Speaker: 万民中央教会 堂会長 イ・ジェロク 牧師
読むみことば: レビ25:23-25
覚えるみことば: 使徒4:12
参考にするみことば: 第一コリント15:21
教育目標: ただイエス様だけが救い主の資格を備えた方だということを知り、イエス・キリストを信じて、まことの救いの喜びを味わうようにする。
今日は宗教多元主義の影響で、すべての宗教に救いの道があると思っています。山に登る道は違っても、頂上は同じだというのです。しかし、絶対にそうではありません。[使徒4:12]に「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」と記されているとおり、ただイエス キリストを通してだけ救われるのです。
これには明らかな理由があります。イエス様の他には、救い主の資格を備えた人がいないからです。それなら、なぜイエス様だけが私たちの救い主なのでしょうか?
1. 罪の問題を解決できる霊の世界の法則
世にも法があるように、霊の世界にも法があります。人が死の道へ行くことも、罪が赦されて救われることも、霊の世界の法によるからです。最初の人アダムが、神が禁じられた善悪の知識の木の実を食べるという不従順の罪を犯した後、人類が死の道へ行くようになったのも、「罪から来る報酬」(ローマ6:23)という霊の世界の法のゆえでした。同じように、人が死という刑罰を受けるべきなのに救われるのも、霊の世界の法に従わなければなりません。
霊の世界の法には、罪人を罰する法があるかと思えば、反対に罪を贖う法もあります。罪を贖うためには、罪を犯した人の代わりに、必ず誰かがその代価を払わなければなりません。
ところで、罪の代価は誰でも払えるのではありません。必ず霊の世界の法にかなう資格を備えていなければなりません。人類が救われる方法は、土地の買い戻しの法に見つけることができます。土地の買い戻しの法とは、イスラエルの土地の取引に関する法です。
[レビ25:23-25]に「地は買い戻しの権利を放棄して、売ってはならない。地はわたしのものであるから。あなたがたはわたしのもとに居留している異国人である。あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」とあります。
根本的にすべての地は神のものですから、イスラエルの民は思いのままに売ることができませんでした。もし貧しくて土地を売るようになったなら、いつでも親類が代わりに土地の代価を支払えば、必ずその土地を返すようになさいました。このような土地の買い戻しの法の中に人類が救われる道が提示されていますが、はたしてそれは何でしょうか?
2. 罪を贖う救い主になれる資格を持つための条件
神の所有である土地を売り買いする法は、もともと土地のちりで作られた人と直接関係のある霊の世界の法則です(創世記3:19;3:23)。イスラエルのすべての土地が神の所有であるように、アダムと彼の権力もまた神に属するもので、売ることができないのです。
たとえアダムが罪を犯して敵である悪魔・サタンの奴隷となり、すべての権力が悪魔に任せられたとしても、やがて土地の買い戻しの法にかなう資格を備えた人が現れれば、再び返さなければならないのです。
それでは、土地の買い戻しの法に基づいて、救い主の四つの条件について調べてみましょう。
1)人でなければなりません
土地を売ったとき、親類が取り戻してくることができるように(レビ25:25)、罪の報酬によって敵である悪魔・サタンに売られた人を贖うことも、必ずアダムの親類であってこそできるのです。
アダムの親類とは、アダムのように霊とたましいとからだを持った存在、すなわち、人のことを言います。御使いや動物は私たちの人の罪を贖うことができません。[第一コリント15:21]にも「というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。」とあるとおり、最初の人アダムによって罪が入ってきたので、罪を代わりに負ってくれる存在も、必ずアダムと同じ「人」でなければなりません。
それで、イエス様は人となってこの地上に来られたのです。イエス様について、[ヨハネ1:14]に「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」とあり、[ヨハネ1:1]には「ことばは神であった。」と記されています。ことばである神が肉と骨を持った人のからだを持って、この地上に来られたという意味です。
イエス様は人のからだを持って生まれて成長過程を経られ、空腹や渇き、喜びや悲しみを感じられました。また、むちで打たれて十字架につけられた時は、血を流して苦痛も感じられました。これは人として来られたという証拠です。
2)アダムの子孫であってはなりません
人はすでに生まれたとき、両親から容貌や性格だけでなく、罪の性質まで受け継ぎます。乳飲み子からもこれがわかります。お母さんが他の子にお乳を含ませでもすれば、すぐその子をお母さんのふところから押しのけようとします。思いのままにならなければ、「ワーン」と泣き出します。誰も子どもに憎しみやねたみ、そねみを教えたことがないのにです。
このように持って生まれた罪の性質を「原罪」と言います。イエス様がアダムの子孫として来られたなら、必然的に両親から罪の性質を持って生まれるしかありません。罪のある人がどうやって他の人の罪を贖うことができるでしょうか。イエス様がおとめマリヤの胎に宿られた理由がまさにここにあります。男女の結合で宿った人はみな先祖から原罪を受け継いでいるので、イエス様は聖霊によって宿られたのです。
3)霊的な力がなければなりません
戦場で捕虜として捕まった同僚を救い出すためには力がなければならないように、人類の罪を贖うためにも、敵である悪魔・サタンに勝って人々を救える力がなければなりません。霊の世界では、罪がないことが力です。敵である悪魔・サタンに打ち勝つためには、原罪だけでなく自分で犯した罪もあってはなりません。原罪とは、アダムから受け継がれた罪の性質のことで、自分で犯した罪とは、人が生まれた後、成長しながら犯した罪のことを言います。
人は誰でも原罪と自分で犯した罪があるので、人類を救える力がありません。しかし、聖霊によって宿られたイエス様は原罪がなく、ただ神のことばどおりに生きられたので、自分で犯した罪もありません。これによって、人の罪を贖える第一、第二、第三の条件にすべて合います。
ところで、人は生きていきながら大小の罪を犯します。仮に行いとしては罪を犯さないとしても、心で憎んだりねたんだりします。神はこれも罪だとみなされます(マタイ5:28、第一ヨハネ3:15)。ですから、罪がないと言える人は誰もいないのです。
4)命までも与えられる愛がなければなりません
たとえば、弟が借金で苦しみながら生きているとしましょう。兄は弟の借金を返してあげる余裕のある財閥です。けれど、兄に弟を愛する心がないならば、助けようとしないでしょう。
同じようにイエス様も、もし愛がなかったとすれば、人類の罪を贖ってくださらなかったでしょう。なぜなら、これには凶悪な罪人のように罪に定められ、あらゆるあざけりとさげすみを受けて、十字架につけられて死ななければならない、途方もない犠牲が伴うからです。それでもイエス様は、神の御子でありながらも罪人になった人類の代わりに十字架につけられて死なれたのですから、これはまことに大きい愛なのです。
イエス様は人類の罪を贖うためにご自身の命を少しも惜しまれませんでした。[第一ヨハネ2:2]に「この方こそ、私たちの罪のための──私たちの罪だけでなく、世全体のための──なだめの供え物です。」とあるとおりです。
普通の人なら「なんで何の罪もない私が十字架につけられて死ななければならないのですか」と不平を言うこともあるでしょう。しかし、イエス様は神のみこころを成し遂げるために十字架刑を喜んで受けられました。
このように人の罪を贖うためには四つの条件をすべて備えるべきですが、イエス様以外に他の人がいるでしょうか? 人類の歴史上、イエス様おひとりだけです。したがって、イエス様だけが救い主であることを悟って、イエス・キリストを受け入れて、救いの祝福をいただきますように。
* まとめと適用
1. 罪人になった人類が救われる霊の世界の法とは何でしょうか?
( )
2. 使徒の働き4章12節を覚えて書いてください。
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3.イエス様だけが救い主としての資格を持つ方である条件、四つを書いてください。
第一:
第二:
第三:
第四:
* 今週の課題
皆さんは「イエス様の御名によってお祈りします」と言いますか?「イエス・キリストの御名によってお祈りします」と言いますか? どちらの祈りが正しいでしょうか? 次回までに考えてきましょう。
* 知って力にしましょう!
「ちりで創造された人」
創世記3章19節に「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」とあり、23節には「そこで神である【主】は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。」とある。このように「ちり」とは霊的に「人」を意味するので、土地の買い戻しの法の中には人間の救いの道が込められている。 |
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