フィリピンの永住ビザ -2ページ目

ロングステイフェア

一日ぶりに書きますメモ

一昨日の続きは明日以降に譲り、今日は、海外に

長期滞在しようかと考えていらっしゃる方に耳よりな

情報です(=⌒▽⌒=)


約2ヶ月後の8月10日(金)~8月15日(水)まで、

近鉄百貨店阿倍野店7階で、「ロングステイフェア」が

開催されます。(午前10時~午後8時、最終日のみ

午後4時)


フィリピンだけでなく、8カ国くらいが出展するよう

です。セミナー、パネルディスカッション、各国の

政府観光局のDVDや関連テレビ番組の放映、

相談コーナー、パネル展示コーナー等々…。


営業行為、商談などはやってなくて、情報提供

が目的のようですよ天使


ずっとじゃないですけど、私もフィリピン領事館の

出展スペースにいるかも虹 カタログの補充とか

しているどんくさそうな人を見たら、声をかけて

くださいねぇ('-^*)/



http://www.phil-kansai.co.jp

衝撃的なフィリピン

20代半ばの日本人の女性が、数日とはいえ単身でフィリピンへ…。

えへへにひひその頃はまだ20代半ばだったんですよっ目

訪比することを勧めたフィリピン人の所長も、日が近くなるとだんだん

心配になってきたとみえて、現地の友人数人に私の安全をお願いする

連絡を入れてくれた。そんな所長を見て私はだんだん不安に・・・。

「フィリピンってそんな物騒なところなんかなぁ…大丈夫かな…」汗


いざフィリピンに着くと、中年の日本人男性とマニラの空港で会い、

お互いに自己紹介。これまでアジアの国々を好んで旅行していた私には、

空港や、車窓から見えるマニラの風景は抵抗なし。確かに若い

日本人女性の中には、二度と来たくないと思う人もいるかも。


その日は、なんとペニンシュラホテルに無料宿泊ドキドキ!!

一人で泊まりましたよ勿論(*^▽^*) 部屋にファックスまであり、

チョー豪華音譜 

ペニンシュラの次は、マンダリンホテルだったかな…。忘れましたが、

ファイブスタークラスのホテルにタダで泊まり、極楽極楽グッド!

昼間はフツーの観光地を案内していただき、夜は、社会勉強と称して

バーって言うんでしょうか、ステージで女の人が踊っていて指名する

所へキャハハ

純情な私には、衝撃的でした…。お手洗いに行こうと思ったら、

女性用トイレが…ないっあせる そりゃあそうでしょう。女性のお客なんて

来ることないでしょうからねぇ(笑)。従業員用のトイレを使わせて

もらいました(*^▽^*) そのバーで何を見たかは割愛させていただきますが、

貴重な社会勉強となりましたよぉ叫び


帰国後は、ますます仕事にも力が入り、日々、日本の常識では語れない

フィリピンという国や国民に新たな発見を見いだし、楽しい日々が過ぎて

いきました。休みの度に単身でフィリピンに行き、いつしか第二の母国の

ような気分になってましたね飛行機


そのうち、日本にはフィリピンに関する情報が提供できる機関があまり

なくフィリピンに行きたい人、商売」したい人などで情報収集に苦労して

いる人が意外に多いことに気づき、いつしかフィリピン関係の事業をし、

日本とフィリピンを行ったり来たりする生活を夢見るようになってました。


その後、フィリピンの政府機関を退職し、将来に備えて何かのノウハウを

勉強しようと、貿易会社へ転職ロケット そう、私って思い立ったら考える前に

とりあえず実行してみるタイプなんですぺこ これで今までの人生、何回

後悔したことか汗


その貿易会社は、中国、韓国と主に貿易していましたが、一人、フィリピンを

愛してやまない役員がいたので、フィリピンと関わることができ、且つ、貿易の

勉強ができ、一石二鳥のラッキーな時期でした。


そろそろ自分で何かやってみたいなぁ。でもお金がない・・・しょぼん 夢を具体的に

実現させる何かを始めるキッカケがつかめないまま、貿易会社に勤める毎日。

この頃、過労死一歩手前くらい働き、毎日、終電に間に合わず、タクシーで帰宅

してたから、夢の実現について考える余裕もなかった。そんな時、私に転機が

訪れた流れ星 ある人との出会いである。2000年3月の事だった。この人との出会いが

なければ今の私は100%ない。


詳細は次回を乞うご期待~ヽ(゚◇゚ )ノ


http://www.phil-kansai.co.jp






私とフィリピンの出会い

はじめましてはにわ 今日が初めてなので、まずは自己紹介しますぅクラッカー

名前は、ひろちゃん。性別は女性おとめ座 年齢は…ご想像にお任せしますわん(*^▽^*)

こんな私ですが(どんな私やぼー)よろしくお願いしますっキスマーク

フィリピンとの出会いのきっかけは1995年1月17日の阪神大震災ゾゾゾ

その頃、旅行代理店を退職し、日本語教師としてバリ島波に2月から行こうとしていた私。

準備万端合格 ビザも取って、荷づくりもほとんど終えた私は、アルバイトをして現地の生活費

を最後のあがきで捻出していた。その時…阪神大震災が勃発したのでした。

当時、私は西宮に住んでいたので、家族は皆無事でしたが、家がかなりのダメージを

うけて、バリ島に行くなどと悠長なことを言っていられない事態となり、ドタキャンを余儀なくされたのでしたガクリ

しばらく家族全員で親戚の家での不自由な避難生活。2月中旬、傾いた家に戻り、大工さんに修理して

もらいながら、私たちは2階で生活を開始。1階は床も壁も修理中だったので、2階での生活は

寒くワビシイものでしたが、家族が無事であった事で毎日幸せを噛みしめていましたよ薔薇

ここからが今日の本題(前置が長すぎ汗

バリ島に行くために旅行代理店を辞めてしまった私は、そろそろ仕事を探そうと、就職情報誌を買いあさったの

ですが、希望の職種(旅行業か日本語教師)の求人情報がなかったのでとりあえず派遣会社数社に登録することに…。

間もなく、一社から大阪にあるフィリピンの政府機関が英語が話せる日本人を募集していると連絡があり、

フィリピンのことなど、「首都がマニラである事」くらいしか知らないくせに派遣していただけることに…アップ

そこでの私の仕事は、フィリピン人の広報担当官のアシスタント。フィリピンに関する問い合わせに答えなければ

ならないけど、なにせ首都くらいしか分らないから、何を聞かれても分らない。ヒドイ時には聞かれている質問の

意味が日本語にもかかわらず理解できないショック! 質問を聞き、「担当者から折り返し連絡させます。」と答え、

事務所内の資料で答えを調べてから、別人の「担当者」と名乗って回答する独り芝居の毎日を繰り返すうち、

フィリピンの事に少しずつ詳しくなっていったかお

ある日、フィリピン人の所長に、「いろんな人の質問に答えているのに、フィリピンに行ったことがないなんておかしいから

一回行ってみようかなぁ」って言ったら、マニラのホテルに勤めている友人がいるからタダで泊まれるように頼んで

やるとのこと。当時、マニラのホテルではマネージャークラスの人なら2泊くらいまでなら無料で泊まらせる決裁権

があるとの事(本当だったのかどうかは未だに不明)。行くことを後押ししてくださった。

訪比間近になるにつれ、フィリピン人所長は、現地の日本人の友人を私のエスコート役に頼んでくれ、マニラ空港に

迎えに来てもらえる事に。若い女性がフィリピンに行くと、すごく気に入るか、二度と行きたくないと言うかどちらかだとか…。

いろんな注意事項をレクチャーされ、不安と期待でフィリピンへDASH!

続きは次回を乞うご期待音譜