安青錦関の優勝✦大関昇進


外国人の枠って一部屋一人なんですか?!知りませんでした。驚

だからあんなに強い人ばかりなんですね~笑




ウクライナってアマチュア相撲では強豪なんですね~「勝っても絶対に喜んではいけない」とウクライナの恩師は教えたとのこと……確かに花田虎上さんも同じ事を師匠から言われていたとおっしゃってました。日本人の心?!なんですかね~。



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安青錦の師匠、安治川親方(47=元関脇安美錦)は、弟子の初優勝をかみしめた。福岡県久留米市の部屋の千秋楽パーティー会場で安青錦を出迎え、「おめでとう」と声をかけて抱き合った。 22年12月1日付で伊勢ケ浜部屋から独立し、安治川部屋を新設してから初めての幕内優勝力士が誕生。「よくやった。自分で(優勝を)つかみ取ったと思う。本人の強くなりたいという思い。それが稽古を重ねてきて結果になったのではないかと思います」。 もともと、外国出身力士は受け入れない意向だった。外国出身力士の所属枠は、原則的に1部屋1人。不在の部屋には、世界中から有望者からの売り込みが絶えない。安治川親方は入門希望者を断り続けていた。 どの部屋も1枠しかないため、学生相撲で実績があったり、運動神経に優れて体の大きい有望な新弟子が入る。多くの兄弟子たちが一瞬で番付を抜かれていく。相撲文化を理解していないと、いざこざが生じる場合もある。安治川親方は「初めは受け入れる気はありませんでした。断っていました。まずは、部屋の基盤を作らないといけないから。下の者に教える人を育てなきゃいけないので」と話していた。 ところが、信頼できる人からの勧めで考えを変えた。報徳学園の元監督、福田耕治さんから紹介があった。それが、安青錦だった。 「私が高校の時から(福田氏を)知っていて、その方が勧めてくれたので、じゃあ1度お会いしましょうかと。ただ話を聞くだけと思って会ったんですけど、いい目をしていた。真っすぐな目をしていた、すごく相撲が好きだという気持ちが伝わりました」 安青錦は22年4月の来日後、関西大や報徳学園中高の相撲部で稽古を積んでいた。間近で見ていた福田氏の勧めなら信じられた。 「日本に来た経緯とか、出会ったタイミングとか。そういう面では、出会うべくして、出会ったのかな」 22年12月に研修生として採用した。あれから約3年。「これからが大事ですから。一緒に稽古積んで、私もいろんなことを勉強して、一緒に上を目指していきたい」。安治川親方の決断は間違いではなかった。