mgpagptpb52147さんのブログ

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お婆ちゃんの葬式して火葬場行って時間までだいぶあるから、今のうちに近所で世話になった人たちにお礼の気持ちに……ということで、お菓子とあと親族皆の弁当をとしこおばさんと買いに行く事に。で、よし買いに行きましょか!という時に、お父さんの姉(お婆ちゃんと血の繋がりがない)の子供ら(23歳長男、21歳長女、18歳次女)が何か『俺らも行くわー』と。あたしは、こいつらおったらめんどくさそうやから『ええで。お世話になった人らにちょっとした物買うてくるしお父さんから金も渡されてるし弁当ちゃんと買うてくるから待っとき』と言うた。只でさえ、長女はダルそうにしてんのに。でも長男が『あ、いやでも…長女が……』とか、ごもるからあたしは早よ言えや!という意味をこめて『長女が何!?何なん』って言うたら、長男『……』何も言わんのかい!!。で、としこおばさんが『ほんならお弁当はあんたらに任してあたしらはお菓子買うてこよか』と。で、天満屋行ってお弁当屋通ったからとしこおばさんが『ようさんお弁当屋あるやん。これなんてどう?』と、長男『いいですね~』あれ!?長女と次女おらへん…のったのった歩いてるし…「はよ歩けや。ってかこんなんやったら行くなや」イライラしてきた。ほんで長男に、お父さんから渡された金(一万円)を渡して。長男『ほんなら僕ら弁当見てきます。あとから、駐車場きます』と、お菓子買うて駐車場で待ってたらやっと兄弟きた。で、火葬場に着いてあたしは喫煙所に直行。ちょっとして、控室に行って『よし昼飯食うか』と、昼飯さがしても見当たらへん。聞いたら、弁当買うてきてへんのやと。コンビニで、サンドイッチとおにぎり、お菓子買うてきてた。いやいや、こいつら何しに天満屋来たん。ほんで一万円渡したやん。(あたしの金やないけど…)親族きとんねん。お前らだけやったらええけど、ほとんどおじさん、おばさんやん。人数分も買うてへんし…。弁当も普通に買われへんってどないやねん。ほんま兄弟3人でわざわざ行って何しに行ったん?もう自分ら成人やし、どんなんを何人分大人と子供の数とか分かるやろが。で、そこで親は怒れよ。としこおばさん『私らは、この子らに任したからなあ…。ちゃんと見れば良かった。』と苦笑い。確かに、あたしもちゃんと確認すれば良かった。自分から買いに行くって言うてまさか、こんなんもきちんと出来ひんとは思わんかった…。皆、呆れて苦笑いやん。何でこいつらこんなんも分からへんの?『全然たりひんやん!まあ何とかなるやろ』ってお前ら分からんかったん?ありえへんと思いながら『あたし、また買うてきます』って言うたら皆、『いいでいいで。大丈夫やで。』と。結局、子供しか満腹なってへんやろ。大人は、サンドイッチ半分個してた。結局あたしは、何も食べへんかった。あの時、こんな事になるんやったら無理矢理あたしが行くから待っとけや!ぐらい言うたら良かったなあ……四十九日はもうこいつら来んでええやん。結局、おっても何もせえへんし…。
弟さん夫婦に病院で付き添って貰い、あたしらは朝から再び病院に行った。朝、お婆ちゃんちょっと熱があって先生が言うには『もしかしたら、脳に障害が残る可能性があるかもしれません。』との事。お婆ちゃん昨日みたいに声かけても返事がなく呼吸音もあんまり聞こえへんかった。熱があるし酸素濃度も心配したけど、数値が96やった。あたしはアホやから『熱はあるけど酸素濃度の数値が96やったらちょっと大丈夫なんちゃうん。』と思ってた。午後になっても変わらず、熱も酸素濃度の数値も変わらず…。で、皆大阪に住んでるし仕事や学校もあるしお父さんは会社の有休使うということで福山に残る事に。やから後はあたしに任せるって事でとりあえず皆いったん帰る事になった。弟さん家族は、車で大阪から来てるから昼過ぎに帰った。で、あたしも妹が帰るから福山駅まで車で送る事に。で、夕方お父さんとあたしが帰ってる時に病院から電話きた。お婆ちゃんの『状態が悪くなったから病院に戻ってきて下さい』との事。あたしは、昨日も電話きたから ちょっとだけ悪くなっただけでまた回復するやろうと思ってたからあんまり深く考えてへんかった。とりあえず、病院戻ってお婆ちゃんの病室に。看護婦さん数人、担当の先生、集まってた。お婆ちゃんの顔見たら青白くなっててた。先生が言うには『状態が悪くなってしまって…お亡くなりに。ただ心臓だけはまだ機能してます』やと。お婆ちゃん、やっとしんどく苦しかった肺癌から解放されたんやなあ…と思ったら悲しいけど、ちょっとホッとしたつもり………でおろうと思ったけど、無理やった。お婆ちゃんの身の回り片付けてたら、ボロボロボロ泣いてもうた。お婆ちゃん、看護婦さんに薄化粧してもらって青白かった顔がちょっとだけ肌色に近い色になってた。元気な頃、化粧毎日してたもんなぁ。アイライナーをアイブロウと間違って買うてもうた事もあったなぁ。マネケンのワッフルがお気に入りやったり。ハローズよりニチエー派やったり。ただの几帳面タイプやなくきっちりしっかりしてる完璧な几帳面タイプやったり。他人にめっちゃ気を使うタイプやったり。こんなどうしようもない孫やのに頼ってくれたり、明後日でもう会われへん様になるんやなぁ。もっと早くに気づけば良かったな。
朝からあたしの携帯にお婆ちゃんの病院から電話あった。『状態が悪くなってしまって今から来て下さい』との事で、急いで病院に駆けつけた。で、お婆ちゃんの様子見に行ったら…。呼吸の音しか聞こえへんかって、お婆ちゃんの耳元で大きい声で『お婆ちゃん、おはよう。来たで』って言うたら『はい』って返事した。あとは、ずっと苦しそうに呼吸してた。先生の話を聞いたら『思ってたより状態が酷くなって、半日は無理』やと。ほんで急いでお父さんに電話して病状の事とか詳しく言うた。朝の6時頃に酸素濃度が64しかなかったらしく、8時頃に酸素濃度が70代を行ったりきたり…。声かけたらきちんと反応するし、意識もあるんやなと一安心した。そうこうしてる内にお昼過ぎになって、やっとこさお父さんの弟家族が病院に到着した。お昼の、酸素濃度は80代を行ったりきたりやった。この時も話は出来にくいけど、何とか朦朧とした意識の中で話は出来てた。ただ、昨日もやけど不安と薬が効いてる副作用でか妄想と現実の区別がつかれへん状況やった。で、夕方お父さんと妹がやっと病院に到着した。この時の酸素濃度が90代を行ったりきたりしてた。熱もないし、ただ酸素濃度が酷くなかったから安心してた。先生も『正直、ダメやと思ってましたが、酸素濃度の数値も安定してるので今日は一安心です。ですが、もって1~2週間ぐらいでしょうし、いつ状況が酷くなるかはまだ分かりません。』との事。最悪の事を考えて、簡易ベッドでお父さんの弟夫婦で夜は泊まる事になった。安心してた。