日本人である私は悪魔という概念をいまいち理解できずにいる。


日本のホラーに出てくる彼らは元々人であり怨みや呪いの禍々しい力により現世に留まり続ける存在。

そら、恐ろしいです。
飲み込めます。


海外のホラーに登場する、悪魔という概念。

元々からして人ではなく、まさに悪魔という存在そのものという存在。


この悪魔が現れる初めの頃(映画の序盤)は、いっつもちょっとだけ不思議な、又は変な現象が続く。



ドアが勝手に開く、変な音がする。


それ以外に特に起こらない、ちょっと変だぞ。程度。


にもかかわらず、後半人死ぬ死ぬ。

あっさりと、バッタバタ殺す。



ここに疑問がある。


ほな序盤なんやったんと。
最初からこれをすればよいがね。と、思うのだが、悪魔たちは一様に序盤ちょっと不思議又はちょっと変だぞ。程度に留まる。


これは、考え方としては、悪魔という存在は、産まれる。と、考えれば良いのだろうか?


悪魔という存在が産まれる。

産まれたすぐから悪魔は悪魔であるが、自分の力や怒りのようなものをうまく発揮できないのではないだろうか?


ただ、本能が働く故、できる範囲での悪魔的な行動をとる。


変な音出してみる、ドア開けてみる等。


このできる範囲での悪魔的な行動が増えていき、学び育ち、使命に気付き、その空間におるもん殺しまくる。


これが、悪魔という概念の正しい捉え方なのであろうか。

疑問な事は多々あるが、まぁこれを今のところ僕は悪魔であると捉えている。


で、問題は、どうやって退治するのかである。



僕が一番訝っているのは、この悪魔に対抗する仕事に就いている人達のあまりにも無惨な負けっぷりである(もちろん映画の)。


僕が観る悪魔を取り扱う映画の主人公は大抵、その悪魔に相対すような職種の人ではなく、悪魔と縁も所縁もない人達のストーリーである。



そんな人達が、いや、これ悪魔だわ!!悪魔の流れだわ!!と気付き、ほな専門家に頼もかいな。となって呼ばれた専門家の頼りにならないことならないこと!!


もうどんどん悪魔が悪魔らしくなってきてんねん!!


専門家に連絡するけど、専門家週明けまで研修かなんかで来られへんと。


来られへん言うたかて、来てもらわな!!どんどん悪魔らしくなっとる。悪魔の流れが来とる!!あかんあかん!!


いや、やっと週開けた、専門家早よ来て、早ように来て!


いうて、来た専門家手ぶらやったりすんねん。


次のシーンで、あっさりと死ぬねん、専門家。


そらそやわ、遊びに来たんとちゃうねんから、手ぶらで来たらあかんがな!!言うような専門家ばっかりや。


僕が選ぶ映画が悪いのか、もうそんな専門家ばっかり出てくるから、恐怖を感じるとか以前に、頼むから手ぶらで来るなよ!!とか、その発言、お前さてはノープランやな!!とか、専門家をフューチャーしてしまう。


十字架と聖水と聖書以外に何かないんか?
悪魔に効くもん。



十字架と聖水と聖書も、そんなに効かんからな、実際。



一回くらい、悪魔に勝ちたい!!





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彼女が言う。

焼き肉食べに行こう。と。


万年金がないと鳴く彼女が、焼き肉を、である。


今から帰るよ。と電話すると、バス停まで行くから、焼き肉食べに行こう。と言った。




営みですやん、絶対営まれるわ。
いや、ちゃんと営んでますやん、週2回は営んでますやん。



分かりやす過ぎるわ、分かりやす過ぎるから恐怖やわ。


営めど営めど我が暮らし楽にならず。や、啄木な気分や。


と、ここでバス停に着いた、彼女がすでにそこにいたので一旦書き込みをやめて一緒に焼き肉屋に向かった。



焼き肉屋で、肉とビールをしこたま食べて帰宅。


だいぶと酔っぱらっていたのですぐに眠る。


二人とも休みのため目覚ましも合わせずに寝るも、だいたいいつも起きる時間に目があく、彼女も起きる。


あぁ、来るぞ、襲いかかって来るぞ。と思っていると、まだ眠いと彼女は二度寝。


あれ?まだ寝るの?焼き肉のお陰か完全に目覚めてるんだけれども。



ちょっと胸を触る。


眠いからやめて!!と彼女が言う。


いや、てっきりそっちから営んで来るもんやと思ってたから、こっちとしても、いつの間にか営む準備が整っていたのだけれども、眠いからやめてと仰られると、なんだか余計に営みたくなるじゃない。


と、もうちょっと胸触ってると結局もっと触って言う流れから、営むと。


いや、お前も結局はおんなじ気持ちやったんかと営んで。

誰が得すんねん、この話。








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そこに所属する面々が、若いもしくは高齢である事を表現する時に用いられる手法に、そこに所属する面々の年齢を足して表すという手法がある。


この子達の年齢を全員合わせても、なんと、24歳なんですー!


えー!!それでも私の方がお姉ちゃんなんだねー!みんなすごいねー!


という場面を見かける事がある。


この方々の、年齢を合わせると、なんと!!383歳なんですー!



すごーい、なんというか、もう絶句ですー!


という場面も見かける事がある。


この手法、実にすんなりと受け止められている印象を受けるのだが、すんなりと受け止められてよいものなのだろうか?



果たして、それでも私の方がお姉ちゃんなんだー!なのだろうか?

383歳なんですー!なのだろうか?


そこに所属する面々は時間を平行に過ごしています、今日の1日はみんな1日です。

平行に、すなわち横並びに過ごしている面々のその過ごしている時間を
強調という表現のためだけに、縦に並ばせての、24歳であり、383歳の合成。

それは所属する面々を1つにする、けれども彼らはあくまでも1人ではないため、所属する面々が同じ時を全く過ごしていない形状にしている事になる。




この子達の年齢を全員合わせても、なんと、24歳なんですー!



それは、結局彼女達の共有した時間を引き離し、あたかも出会っていないかの如く時間軸の縦に並べた場合でも、私の方がお姉ちゃんなんだー!みんなすごいねー!



これだと、この子達の若さが引き立つよりも、この私の方がお姉ちゃんなんだー!と答えた彼女がいかに無駄に人生を浪費してきたかが引き立ち、若い彼女達の輝きが増す。



この表現に対する返答に、皆もっともっと真剣になるべきだと、感じる。