※この記事は私の個人的考えのもと書かれております。不快に感じた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。


【はじめに】

9月頃になってくると吹奏楽コンクールは大体それぞれの地域での大会を終え、全国大会に出場する団体が出揃ってくる時期だと思います。


全国大会の切符を手にし絶叫して喜ぶ人もいれば、惜しくも手が届かず悔し涙を流す人もいるでしょう。


勝った方も負けた方も数々のドラマが存在する、まさに吹奏楽部の青春の大舞台と言えるでしょう。


…というのが世間一般の考え方でしょうが、
私の考えた結論から言わせていただくと、


「(音楽教育という観点から見て)現状の吹奏楽コンクールは最低の大会である。」

というものです。


いきなりこんなことを言われて憤慨する方もおられると思います。それはそうでしょう。

自分の青春をかけてきたもの、中学や高校の3年間という時間を費やしてきたものですから、それをけなされるというのはやはりいい気持ちがしない方も多いかと思います。

では、私がなぜこのように思うに至ったのかを3つにわけて述べていきたいと思います。


【吹奏楽コンクールの問題点】

1.順位をつけ、金銀銅という格差をつけている。


一つ目は音楽に順位をつけているということです。

ご存知の通り吹奏楽コンクールではその大会毎に審査員が設けられ、その審査をもとに得点の高いところから1位、2位と順位をつけられ、その中で金賞、銀賞、銅賞とランク付けされます。


しかし、音楽というものは人それぞれによって価値観が違ってきます。

クラシックが好きな人がいればロックが好きな人もいて、はたまたその両方が好きだったり逆にどっちに対しても価値を感じない人だっているはずです。

それはジャンルでなくても人それぞれの好みとして違ってきます。例えばまとまりのある演奏を良しとする人もいれば、楽器それぞれの音が際立っている演奏を良しとする人もいるはずです。


つまり音楽に順位をつけるというのは、非常に曖昧なものなのです。完璧な基準があるわけでもないので、そこは審査員の好みに委ねられてしまうのです。


そうして付けられた順位。果たしてそれが本当に正しいものなのでしょうか。


そもそもそんなふうに音楽を順位づけしていいものなのでしょうか。


人それぞれ価値観は違います。なので例えば自分が予想していた順位と大幅にずれることだってあります。「あの団体の方がうまかった。」「あそこが全国に行くべきだった。」という声をよく耳にしますが、そんな曖昧なもので一喜一憂する大会…何のために音楽をやっているのでしょうか?



2.金なら良し、それ以外はダメという風潮


そして二つ目は金(もしくは代表)以外は全てダメというような風潮です。


ここで問題となるのは「練習姿勢」と「表彰式やその後の態度」です。


まずは練習姿勢の問題です。子供達は吹奏楽部に入った瞬間から「金賞獲得」という目標を背負わされる事が非常に多いと思われます。


そして子供達は休む暇もなく厳しい練習を続けていきます。「金賞を取るために」です。



このような練習姿勢は果たして音楽に対して良いものだと言えるでしょうか?



「いい音楽を作る」よりも「金賞が取りたい」というは非常に薄っぺらい目標です。



そんな中身の無いものに3年間を費やすのです。私は良い練習姿勢だとは思えません。


音楽室にデカデカと「絶対金賞」なんて書いてある学校を見ると寒気がします。



ここで、「いや、私達はいい音楽を作ることを目標にしている。それでコンクールに臨んでいる。」という方がおられるでしょう。


そういう方は立派だとは思いますが果たして本当にそうでしょうか?
それは次の「表彰式やその後の態度」の問題に関わってきます。


表彰式で叫びながら喜ぶ人たち…金賞が取れなくて静かに悲しむ人たち…表彰式ではそういう人達を多く見かけます。


そして表彰式の後、学校ごとに集まった時に金賞を取れたところは再び喜び、そして取れなかったところは涙を流しながら悲しむ…。


もうこのような景色も「夏の風物詩」のようなものになってしまっていますが、このような態度も私は問題であると考えます。



日頃金賞を目標にしていた人や、先程の「私達はいい音楽を作るためにコンクールに臨んでいる。」という人たちの多くは、金賞だとものすごく喜び、金賞が取れないと非常に悲しみます。


日頃金賞を目指していた人はまだしも、なぜ「いい音楽を作る」というものを目標にしていた人の多くが賞の色で一喜一憂するのでしょうか?


それは「金賞=いい音楽」という固定概念があるためです。


多くの人が「いい音楽を作るというのは金賞を取るという目標が達成されて初めて成し得る」と考えているのです。


しかし先程も述べたように順位と同じく金銀銅という区分けも非常に曖昧なものなのです。金賞ではなくても素晴らしい演奏というものはいくらでも存在します。


しかし、金賞でないからダメなんだ(=いい音楽じゃないんだ)という固定概念のせいでその良い演奏というのはぶち壊しです。


そういうことを教えるために吹奏楽コンクールが存在するのだとしたら、速やかに廃止した方が良いと思います。


3.曲の編集、時間短縮

A編成のコンクールでは課題曲と自由曲合わせて12分という規定があります。
12分を超えてしまうと、失格となり審査対象になりません。


そのため曲をカットしたり指示とは異なる速度で演奏したりします。(課題曲をカットすることは禁止であるため、自由曲をカットします。)


これはその曲を作った作曲者に対する侮辱だと考えます。


作曲家というのはその曲がどのように進んでいけば、自分の伝えたい事を表現できるかなどを踏まえながら曲を作っています。


たとえばメロディーが何回も反復されるような曲の場合、何回目でピークに達するように作り上げるなど、曲を作る上で構造を作っていくことは非常に重要なものです。


それを「12分に収めなくてはならないから」という理由でその曲のあちこちに穴を開けていくのは侮辱以外の何物でもありません。

もしかすれば目立たないからという理由でカットした場所が実は曲の重要な箇所だったら?先程の構造の計算をずらしてしまっていたら?作曲者の思いは正確に伝わらなくなってしまうでしょう。


作曲者自らが12分に収めるように編曲する場合もあるでしょうが、それだって作曲者は気が気ではないはずです。


そしてさらにそれより問題なのは、記されている速度よりも演奏を速くして時間を短縮しようとするものです。


先程も述べたように作曲家は実に様々な事を考えた上で楽譜を書いています。


速度1つでその性格が大きく変わってしまうことはかなり多くあります。


それなのに、時間がオーバーしてしまうからということでじっくり歌う部分をさらさら演奏してしまったりすることは果たして許されるでしょうか?


表現上軽快に演奏したいからというのであればまだわかりますが、時間が足りないから速く演奏するというのはこれも曲に対する侮辱だと考えます。


曲というのは作曲家にとって作品なのです。
コンクールのためにおもちゃのように扱われて良いものではありません。


【これからのコンクールはどのようにしていけば良いか】


さて、ここまで私が述べてきたコンクールの問題点である3つの問題。どのようにしていけば良いかを私なりに考えてみました。


1.順位をつけ、金銀銅という格差をつけている。→目標は順位ではない。自分達の創り上げてきた音楽を演奏することであるという事を理解させる(しかし、金銀銅賞という概念が存在する限りこの要素は薄れてしまうため、やはり順位の撤廃が良いと考える)。

2.金なら喜ぶ、それ以外は悲しむという風潮→金銀銅というのはあくまで飾りである。それで派手に喜んだり悲しんだりする事は音楽に対する侮辱であり何も考えていない証拠であるという事を理解させる。これもやはり金銀銅賞の撤廃が良いと考える。

3.制限時間をなくす。(その場合は何日かに分けなければならなくなると考える。確かに費用などはかかるし、効率が悪くなるかもしれないが、本当に音楽文化を広げたいのであればそんな問題はなんともないはずであるし、そもそも効率化しなければならないようなものを開催する時点で間違っていると考える。


【教育の場で行われるコンクール】

いままでコンクールの問題点を述べてきたが、なぜそれがダメなのか、問題なのか。


その最たる理由が
吹奏楽コンクールが学校教育の場で行われているということです。


音楽の授業では子供たちが様々な音楽の価値がある事を知り、音楽の視野を広げることが目標の一つとされています。



西洋音楽が良くて他の音楽は低レベルだ。という考えではなく、すべての音楽は平等であるべきだという考えです。


それなのにもかかわらず、吹奏楽部に所属すると、音楽の視野を広げるばかりか、「目指せ金賞」という小さな窓からしか音楽を見れなくなってしまいます。


金賞の取れない音楽は排除され、けなされ、批判されてしまいます。


確かに吹奏楽というジャンルの中であるから多少の偏りはあるにしても現在の吹奏楽部で行われているものは範囲が狭すぎると思われます。



コンクールが教育の場とは全く関係のないところで行われていたとしたら、知らん空という感じで音楽教育が行えましょう。


しかし、これは学校という教育現場で行われている活動なのです。授業で行っていることと部活動で行っている事の矛盾が生じることは果たして良いことなのでしょうか??



【コンクールの良さとは何なのか?】


私はコンクールの良さというものがわかりません(強いて言うならばプロの音楽家に評価をしてもらえるというところでしょうか)。


ですので、是非皆さんにコンクールの良さとは何なのかを伺いたいのです。


その意見を噛み砕いて問題点のあるところは追求し、本当に良いところだと思えば自分の中のコンクールの印象が変わります。


そのようにして皆さんも議論することで、適当にコンクール出てただ金賞を貰って嬉しいというのではなく、そのような問題点や良さを考えながらコンクールと向き合っていけば、音楽を演奏することとは何なのかがわかってくると思います。


ということで是非意見の方を宜しくお願いします。


ですが、伺った際に今までに遭遇する回数の多かった「コンクールの良いところ」があるので最後にそれについて述べていきたいと思います。



「ひとつの目標(金賞)に向かって仲間と何かを成し遂げることができる。」


私は別に1つの目標に対して熱心に向かうことを否定しません。

ですが、そこに音楽を用いることはやめていただきたいと考えます。

何回も述べているように音楽には様々な価値があります。それを一つの価値観だけで(しかも曖昧な)良さを決めつけたものに喜ぶのはいかがなものかと思います。


ひとつの目標を目指すならば「いい音楽を目指す」ことも出来るはずなのでコンクール出なくてもいいはずです。


「何かしらの目標(金賞)がないとやってられないから。」


そんな人は音楽向いてないんでやめたほうがいいと思います。


金賞を取る快感というのはすさまじいものです。それに酔いすぎて学校生活が終わってしまい、コンクールに携わらない人生を歩む時、あなたは何を目標にしたらいいかをわからなくなってしまうということです。


目標ならもっと別の目標を立てましょう。


音楽でなくても、目標を達成するという結果の喜びではなく、目標に至るまでの経過の楽しさ、試行錯誤することの楽しさ、よく考えることの楽しさを知った方が一生趣味として付き合えると思います。


「多くの人に聞いてもらえるから」
「1曲を集中して作り上げる経験というのはなかなかできないから」



この2つの意見には全く同じ返答ができます。


つまりこの2つは「コンクールでなければならない必要性」がないのです。


確かにコンクールで全国までいけばたくさんの人に聞いてもらえるでしょう。
しかし、それはコンクールでなくても演奏会でも良いではないですか。(コンクールに勝ち上がってきたからこそ人がいっぱい来るんだという意見もありましょうが、これは聴衆のレベルが低いということになります)


一つの曲についてじっくり考えることもとても良いことです。しかしこれもコンクールでなくてもできます。


わざわざコンクールにする必要がないのです。

【終わりに】

このようなだらだらと長くてまとまりに欠ける文章を最後まで見てくださった方。本当にありがとうございました。


これを読んで何か思うことがありましたら、意見の方を是非宜しくお願いします。