神経の高ぶりを受け止めきれない
小さな頃から神経が高ぶると、必ずと言っていい程吐いていたので、ずっと味わってきたこの感覚を「神経の高ぶり」って表現でホントに良いのかな、なんて最近思ってきた
はっきり言って、毎日高ぶりまくって散々吐いてきた事は、生きづらさの塊だ
今でこそ吐かなくはなったものの、食事を楽しめる余裕がない
高ぶりながら、口に運んで咀嚼する
そんな日が、そんな場合がほとんどだ
それは、誰と食事をするのかにもよるけど、基本的には変わらない
最近のカウンセリングでは、神経の高ぶりの事を集中的に話している感じで、カウンセラーも、俺の言う「神経の高ぶり」が何なのか判断に迷っている感じがする
「mintさんにとっての神経の高ぶりってどんなものなんでしょうね」
なんて返しが最近は多い
「俺の神経の高ぶりは、不安や恐怖、怒りが形を変えたものだと思っていましたが、高ぶり過ぎて感情を感じ取れない時も多いので、単純に、不安や恐怖、怒りが、高ぶりとなって表れている(現れている)っていうのも違う感じがします」って答えた
前のカウンセラーさんとの話し合いでは出てこなかった表現
これはこれで前進…なのか
神経の高ぶりには、今でも圧倒されまくっている
吐かなくなっただけ成長なんだろうけど、物凄いモヤモヤする
前のカウンセラーさんとの話し合いの中で、
「神経の高ぶりに名前をつけるとしたらなんて呼びますか」
と聞かれたので
「マモノ…ですかね」
と答えた
俺にとって、神経の高ぶりは訳が分からなすぎて、色々考えた結果、「マモノ」になった
「マモノ」の尻尾が本体だとずっと勘違いしていて、見上げたらゴジラみたいなのがいた
自分にとっては、神経の高ぶりって、それくらい圧倒的で、まだまだ訳が分からない存在
ゴジラみたいに突然表れて、街をぐちゃぐちゃにして帰っていく
ぐちゃぐちゃの予想が今でも上手くいかない
じゃあ「ゴジラ」でいいじゃんって、自分でも思ったけど、わざわざ自衛隊まで呼んでもらって攻撃する対象じゃないから「ゴジラ」にはしなかった
受け入れられなくても「敵」ではないことは間違いがないから
いまだに訳が分からなくても、そんな感じがしている
いっぱい寄り道したり、ふらふらしながら「マモノ」と上手く付き合える方法を探している