MGのブログ

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近頃、反日だの、オスプレイだの、領土問題だので日本が抱えてる問題について解説する。

まず、オスプレイだが今日本に来ているオスプレイはアメリカで墜落したオスプレイとは、

違うタイプの物が来ているので、墜落の可能は低い。

なぜ、そのことを報道しないのか、政府、いや在日は何を考えているのか。

国民を安心させるのが政治ってもんじゃないのか?


次に領土問題について

尖閣諸島は沖縄返還のリストの中に入っている、つまり日本の領土と確定。

それに、中国が清のときに日本の物であるという書物もある。

なのに今更、中国の領土とか言ってくるのはおかしい。

中国は尖閣諸島近海の漁がしたいから、ではなく島が狙いだろう。

おそらく、中国は島を手に入れたら、埋め立て工事をして、島の面積を広げ、

軍の基地にするつもりだろう。

中国の本当の狙いは日本本土の占領だろう。

だが、日本の後ろにはアメリカがいるし、海上自衛隊は世界で5本の指に入る強さ、

本格的な攻撃はまだないだろうが、その準備をため、尖閣諸島を狙っているのだろう。


次に反日について

今や、反日デモは世界中に広がっている。

話を少し変えるが、大日本帝国時代の話に入る。

日本は世界で最もやさしい国といわれている。それはこの時代の頃から始まっていた。

1890年、トルコの船が和歌山県の近海に沈没、生存者69名を救出、その後、国に帰す。

あとの話は動画に任せる↓


その後、第一次世界大戦後、ドイツ兵1000人を徳島県の板東俘虜収容所に預けられた。

ドイツ兵からは感謝の言葉が送られてきた。



第一次世界大戦後、ウィルソン大統領によって国際連盟が誕生した。

国際連盟は戦争のない平和な世界にしようという目的でつくられた。

だが、当時インドネシアの島々やマレーシアはイギリスやオランダの植民地になっていた。

俺もおかしいと思った。平和な世界にしようというのに、なぜ植民地がまだあるのか?

そこで日本は国際連盟を脱退し、国際連盟加盟国を攻撃した。

アメリカや中国に邪魔されることをわかっていて攻撃をした。

太平洋戦争の本当の目的は植民地の国々を国際連盟から解放し、独立させることだった。

その証拠に日本軍はその国の人々は誰一人殺してはいない、むしろ守り助けた。

日本がまだ有利だったころ、日本軍は漂流しているイギリス兵400名あまりを助けた。



その後インドネシアの国々を解放してきているとアメリカが本気になってきた。

日本はこのとき戦争をやめるつもりだったが、

もし戦争をやめたら、今度は日本が植民地になることを恐れ、戦争を続けた。

日本が不利になってくると、神風特攻隊が結成された。

文字通り、戦闘機に爆弾をつけたまま敵艦に体当たりする作戦だ。

もちろん生きては帰れない。

彼らはたとえ自分が死んでも、国を守りたかった思いで飛んでいった。

自分たち生まれた故郷、家族、守るため戦った英雄、愛国者たちだ。

特攻隊の年齢は10代後半から20代前半の若き英雄たち。

彼らがいたから今の日本に俺達がいる。

アメリカで一番腹が立つのは小さい子供を戦闘機の機関銃で容赦なく撃ち殺すことだ。

戦争にもルールがある、武器を持たない非戦闘員は殺してはいけないと。

それなのにアメリカは沖縄の住民も火炎放射で焼き殺しやがった。

日本人は思いやりがあるが、アメリカは自己中が多い。

アメリカは俺達を黄色い猿と言いやがった、俺達は日本人だ、日本人をなめるな。

アメリカは最終的に核で戦争を終わらせた。

アメリカが核を使った理由は人的被害の実験台にしたかったからだ。

戦争が終わると、インドネシアの国々は次々と独立していった。

彼らは日本軍上陸記念という日本を祝う祭りまでしてくれている。

彼らにとって日本は神のような存在らしい。

俺達がしたことはまちがってはいなかった。

戦争には負けたが、独立させるという目的は達成したのだから負けてはいない。

この戦争で日本=「守る」という言葉が象徴的になっただろう。


話を戻し、こんなにも世界を平和に近づけたのになぜ、反対されるのかがまったくわからない。

俺達が何をしたっていうんだ?

自衛隊を災害救助派遣したり、難民の子供たちを救っているのに、なぜ反対する?

これは日本への挑戦なのか?

このブログを見ている全日本人に告ぐ、今こそ日本の力を世界に見せつけてやるときだ!

俺達がもう一度、本当の平和ってものを教えてやるときだ!

皆、日本人に生まれてきたことを誇りに思え。




俺がまだ転校してくる前の話。

俺は幼稚園の時に病気にかかった。

朝起きると右の耳が聞こえにくく耳が痛かった。

その日はすぐ病院に行き、中耳炎ってことがわかった。

俺は母さんから「すぐに治るからね。」と言われ安心した。

数日後、おたふくになった。

その日は特に耳が痛かったので倉中に行った。

親からは何も言われず、1週間入院することになった。

て言ってもただの点滴、1週間点滴をしてれば治ると思っていた。

でも、退院しても耳は治らない。

その状態のまま小学校に入学し、小3の時、友達と野球して遊んで帰ってきた時、

突然、目が回り、俺はその場に座りこんでじっとしていた。

親が気づき、「どしたん!?」「目が回ってクラクラする・・・」

で、病院に連れていかれた、歩くたんびに吐き気がしてしょうがなかった。

その時病気の意味はよくわからんかったけど、親から運動しすぎたらおえんよって言われた。

その日から俺は運動を控え目にした、俺が運動がきらいな理由がそれだ。

友達も気をつかってくれて、俺はよく友達の家に行っていたが、

友達が俺の家に来てくれるようになった。

普通に学校に行っていたが、ときどきめまいがして学校を早退することもあった。

そんなこともあり小4のとき、急に父さんにDVされた。

俺の足をつかんで振り回されて、投げ飛ばされた。

そのあと父さんは居酒屋に行ってかえってこなかった。

その日から父さんと母さんがケンカを始めた。

夜遅くに父さんと母さんのケンカが聞こえてくると、俺は布団の中で泣いていた。

ケンカの最中、離婚の話が出たのを覚えている。

次の日、母さんから父さんと離婚する話を聞いた。

正直辛くてしょうがなかった、今思えば父さんと母さんが別れたのは俺のせいじゃないかと

思っている。

俺がめまいがするようになってからというもの、あまり遊んでくれなくなったからだ。

で、小4の3月の春休みの夜、俺と母さんは家を出た。

俺は車の窓から夜空を見ながら泣いてた、母さんも泣いていた。

夜空をみながら、優しくしてくれた友達のこと考えてた。

何も言わずに、転校したのが本当に辛かった。

で、こっちに来て問題なく生活していた。

小6ある日、母さんが車検の手続きで車屋に行った。

俺は店の中の椅子に座って待っていた。

数分してから店のドアがあいたので、誰が来たのかと振り向くと父さんがいた。

俺はキョトンとしたような顔していると、父さんがこっちに来て、俺の頭を撫でたあと、

強く抱きしめてくれて、「おおきゅうなったな。」って言ってくれた。

母さんは奥の部屋で話ていたので気づいてなかった。

そのあと、父さんは「学校楽しいか?」「友達出来たか?」って聞いてきたけど

俺は半泣きになりながら頷くしかできなかった。 よく見ると父さんも涙目。

そのあと父さんはサイフから2000円札をくれた。

「オカンには内緒ぞ。」っていうと店を出ていった。

その2000円札は今も使わずに持っている。

俺は今まで育ててきてくれた母さんに早く恩返しがしたい。

早く就職して、結婚して母さんを安心させたい。

結婚して子どもができたら絶対離婚しないようにしたい、

俺が味わったことを子どもにおもわせたくないから。


サイフの中整理してたら2000円札がでてきて昔のこと思い出したから、

つい書いちまったw

そろそろ涙でパソコン字が見えにくくなってきたからこのへんで。