Yusaku Matsuda
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優作

野獣死すべし

Yusaku Matsuda
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ある大雨の夜、東京都内で警視庁捜査第1課の岡田警部補が刺殺され拳銃を奪われる事件が起きた。更にその直後、その拳銃を使用した違法カジノ強盗殺人事件が発生、世間は騒然となる。その犯人は、数々の戦場で地獄を見てきた大手通信社外信部記者の伊達邦彦だった。伊達は東京大学経済学部卒のエリートで頭脳明晰、射撃の心得もある。現在は通信社を退職し翻訳家をしながら趣味である読書とクラシック音楽鑑賞に没頭、社会とは隔絶した生活を送っていた。

次の標的を銀行に定めた伊達は綿密な計画を企てるが、厳重な防犯体勢の元では単独犯行は不可能であると判断、相応しい共犯者を欲するようになる。そしてある日、大学の同窓会に出席した伊達は、レストランでウェイターとして働く青年、真田と出会う。二人は正反対の性格ながらどこか通じ合うものを感じ、以後行動を共にするようになる。現金強奪計画を真田に伝えた伊達は、真田に銃の扱い方を教え、「動く標的」として恋人の殺害を強要。そして、躊躇を重ねながらも恋人を射殺した真田を伊達は「君は今確実に、神さえも超越するほどに美しい」と称え、社会性や倫理感を捨て去り「野獣」として生きていく術を説く。

二人は銀行襲撃を決行するが、伊達に思いを寄せる華田令子が客として偶然居合わせるという予期せぬ事態が起きる。行員達を次々と殺害し、地下金庫から大金を収奪すると逃走を図るが、そこにはマスク姿の伊達を見つめる令子の姿があった。振り返った伊達はマスクをはずし、躊躇する事無く令子にも引き金を引く。

警察の緊急配備網を巧みな鉄道移動で突破したかに思えたが、岡田の部下で伊達を執拗に追い回す変わり者の刑事・柏木はどこまでも伊達に付きまとう。そしてついに決断した柏木は、夜も更けた鉄道の車内で伊達に拳銃を向け尋問を始めたのだが…。

探偵物語


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私立探偵の工藤俊作が、街の仲間達の協力を得たり、彼を邪魔者扱いする刑事をおちょくったりしながら様々な事件を捜査して行く。
作品の企画に伴い、プロデューサー山口剛の早稲田大学在学時代からの友人でハードボイルド評論家・翻訳家である小鷹信光を招いてハードボイルド講習会を主催したりと企画段階では小鷹自身のハードボイルド論に基づいて本格的な主人公の設定が提案されている。しかし、実際の映像ではアドリブが頻発するなど、本気と冗談の境界線を行き来するかのような独特の世界観が築かれた。
口数が多くコミカルな演技と、吹き替えなしのアクションシーンのギャップ等、松田の演じた本作品の主人公は、それまでのシリアスでニヒルなハードボイルドのヒーロー像を一変した。
松田が担当した予告編ナレーションも回を重ねるごとにエスカレートし、後半はあらすじがまともに紹介されず、舞台裏の事情、愚痴、共演者の悪口、松田自身の近況報告に終始するなど、放映当時としては画期的な楽屋ネタの連発となった。
ちなみに楽屋ネタは予告編だけでなく、ドラマ本編においても頻発した[1]。但し、最終回は一転してハードボイルドな展開であった。予告も松田、成田、山西、監督の小池要之助の4人の撮り卸しで挨拶という本編を見るまでは全く秘密だっただけにそのインパクトは大きかった。
局側は原案通りのハードボイルド路線と前作『大都会 PARTIII』のようなアクション路線を制作側に要求していたが、結果的には松田の演技志向が優先され、コミカル路線にアドリブ演技が交わるテレビドラマとなった。
ちなみに第3話では珍しくカーチェイスシーンがあり、そのシーンにて工藤が「おいおい、まるで『大都会PARTIII』じゃないか!」と前番組の余韻を皮肉るアドリブが飛び出していた。この第3話は最初に撮影され、当初第1話として放送予定であったのだが、後発の村川透監督の作品が「こちらの方が今の時代に合う」というプロデューサー全員の一致した意見で放送順が変えられた経緯がある。
一方、初回こそ25%という高視聴率を獲得したものの、シリーズの平均値は『大都会 PARTIII』には及ばず、当時アクション路線を強調していた日本テレビ火曜夜9時枠の作品としては異色作扱いされ、一時マイナー作品として見られていた。
だが松田が亡くなった直後に追悼企画として再放送[2]されたのを機に新規のファンを増やす事となり、ついには松田の入門的かつ代表的作品にまで登りつめ、今なおこの作品を模したパロディや影響の色濃い作品が見受けられるなどその影響は計り知れない。
東京都千代田区平河町に工藤探偵事務所を構える私立探偵。ユーモアと自由を愛する男。
横浜で生まれ育ち、サンフランシスコで刑事をしていた過去[3]を持ち、とある事件で仲間が殺された事で、その悲しみから仲間を作る事を恐れるようになり、日本に戻る[4]。
スーツと派手なカラーシャツを着こなし(ベルトは使わずサスペンダーを愛用)、ソフト帽とサングラスを愛用。移動手段はベスパP150X。タバコはキャメル[5]を好み、(カルティエ製)ライターの火力は常に最大。冬季はスーツの上からダウンジャケットを着込む。聞き込みの際には情報提供者にマイク付きテープレコーダーのマイクをかたむける。月に1回、一人で豪勢なディナーを楽しむ。風俗店の常連客でトルコ風呂(ソープランド)を好んで通っている。
乙女座生まれの潔癖症(第12話での工藤の台詞より)。
血液型AB型(第11話での工藤の台詞より)。
「コーヒーに砂糖とミルクは入れない主義」、「午前中と日曜日は仕事をしない主義」、「職業蔑視はしない主義」、「手相は見ない主義」、「相手にかかわらず約束は守る主義」「家庭のトラブルは扱わない」など多くの主義を持つ。
愛飲している飲み物はシェリー酒(主にティオペペ)と牛乳。
就寝時はピンクのパジャマにアイマスク。
船舶に弱く、乗っているだけでも嘔吐感を催し昏倒する。
イレギュラーな場面に遭遇し警察に嫌疑をかけられ新聞沙汰になる事も多々あるが前科はない(但し、度々拳銃を不法に入手して発砲しており、服部がわざと見逃した事も)。
施錠されているドアを易々と外し、手錠をかけられても素手で外すことが出来る。

松田優作

人間の証明


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捜査を担当することになった麹町署の棟居弘一良刑事らは、被害者の名前がジョニー・ヘイワードであり、彼をホテルまで乗せたタクシー運転手の証言から、車中でジョニーが「ストウハ」と謎の言葉を発していたことを突き止める。さらにタクシーの車内からは、ジョニーが忘れたと思われるボロボロになった『西條八十詩集』が発見されるが…。

人気絶頂の松田優作を実質の主演に迎え、松田とジョージ・ケネディとの共演による、当時の日本映画ではまれな大規模なニューヨーク・ロケが行われている。また、松山善三(プロでありながら、公募に応募して採用された)の脚色により、結末が原作と異なっている(そのため、原作者の森村が作品テーマとした題名「人間の証明」が、映画版では意味不明となっている)。また、ラストシーンでは本来無言であったはずの松田が独自に台詞を付けたいとの要望を出し、佐藤監督も台詞つきのシーンを撮ったが、監督の判断で台詞はカットしつつも台詞を言った後の表情がとても良かったため、そちらを採用したという。
映画公開時に用いられた有名な台詞「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷峠から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」は西條八十の詩がオリジナルであり、劇中でも語られている。ジョー山中が歌う「人間の証明」のテーマソング(『Mama, Do you remember・・・』と歌詞は西條八十の詩を英訳した物)もヒットし、ベストテン入りも果たしている。
賞金500万円を掲げて大々的に脚本を公募。プロアマ問わずとの条件で最終選考に残ったのは、脚本家・監督の松山善三、脚本家の山浦弘靖、俳優・プロデューサーの岡田裕介(現東映社長)、プロデューサー・脚本家・推理作家の小林久三とプロばかりであった。応募者の名を伏せて角川プロデューサー、佐藤監督らによる選考会はキネマ旬報に公開されたが、のっけから「ロクなのがない!」「(公募に頼った)考えが甘かった」とボロクソであり、「いちばん修正しやすい」との消極的理由で入選作を決定。フタを開けてみれば、誰にとっても大先輩である松山の脚本だったという気まずい結果となった。なお、角川によれば予算にまで気を配って小さくまとめた悪しきプロ脚本が多かった中、大胆に海外場面を多用した松山脚本が角川映画に相応しいと判断されたとのことである。

蘇える金狼


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朝倉哲也、二十九歳。表向きは資本金十五億円の東和油脂本社経理課に勤める平凡なサラリーマンだが、いつの日か、この会社を乗っ取ってみせるという野望に燃えている。そのため、表面は真面目な会社員のポーズを装い、勤務後は、週二日はボクシングジムに通っている。その腕前は、コーチの野沢が是非試合をやらせたいと思うほどのものだが、朝倉は、試合に勝って有名になっては元も子もないので、何とか、その申し出を断っている。朝倉は、ある日、共立銀行の現金輸送車を襲い、九千万円を奪い取るが、その札は、ナンバーが銀行に登録されていて使えない。朝倉は、横須賀に出かけ、その札を麻薬に替え、それを再び安全な紙幣に替えた。朝倉は、手に入れた麻薬で、会社の上司小泉部長の愛人、永井京子を手なずけた。暫くして、朝倉は、会社幹部たちの横領事件をネタに、桜井という男がゆすりに来ていることをつきとめた。要求金額は五千万円、背後には、経済界の黒幕、鈴本光明が控えていた。京子から情報を得ていた朝倉は、会社が桜井へわたした内金二千五百万円を奪い取る。会社に金を取り返されたと思って激怒した桜井は、改めて二億円を要求。朝倉は、巧妙な手段で自分の秘めた力を幹部に示すと、桜井を消す仕命を受ける。朝倉は見事に任務を果たすが、幹部たちは、秘密を知った朝倉を消そうと殺し屋を放つが、反対に殺されてしまう。そして、ついに朝倉は、社長令嬢の絵理子と婚約することに成功する。会社の頂点まで、あと一歩と迫ったのだ。その頃、嫉妬に燃える京子は、ある決意をしていた。一方、朝倉は、京子との海外旅行を計画、二人分の旅券を持って京子の部屋に入った。京子は、薬を飲むと、朝倉の腹に鋭利な刃を突き刺した。息絶えた京子を後に、朝倉はよろめきながらも、出国手続を済ませた。数分後、飛行機は離陸した。スチュワーデスが客席を廻っていると、出血し、息絶えた朝倉の身体が横たわっていた。

BLACK RAIN


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ニューヨーク市警殺人課の刑事ニック・コンクリンは妻と離婚し、その子供の養育費を稼ぐのに日々苦労していた。そして、彼はある事件の麻薬密売品の押収品(金)を横領した嫌疑をかけられ、内務捜査官たちから査問を受けていた。そんなある昼下がり、ニックと、同僚のチャーリー・ビンセントは、レストランに居た日本のヤクザの幹部と子分を、もう一人のヤクザが刺殺する現場に出くわす。追跡の末に男を逮捕するものの、日本国内での犯罪で指名手配されていたため、その男-佐藤を日本に護送することになった。
佐藤を護送する任に就き、日本まで向かう二人だったが、到着した先の空港(伊丹空港と思われる)で警察官のふりをした佐藤の手下たちに佐藤を引き渡してしまう。
権限が無いにも関らず、強引に大阪府警の捜査に加わろうとするニックとチャーリーだが、刑事部長の大橋警視はそれを許さず、二人の銃を押収した上で松本警部補を二人の監視役につけた。捜査の方法、日本の風習に戸惑うニックは監視役の松本へ八つ当たりをする。
しっくりこないニックと松本の関係を修復しようとチャーリーがクラブで仲を取り持とうとするが、ニックは佐藤への執着から一人席を外し、クラブ・ミヤコの外人ホステスへ情報収集のため近付く。クラブ・ミヤコの帰り道、ふとしたことからニックはチャーリーとはぐれてしまう。チャーリーは自分のパスポートをコートごと暴走族に奪われたことで、佐藤の罠にはまる。そして佐藤は自分を逮捕したことへの復讐として、ニックの目の前で相棒のチャーリーをなぶり殺しにする。ニックは佐藤への復讐を誓い本格的に佐藤を追うことになる。
事あるごとに反発し合うニックと松本だが、やがて彼らの間には、信頼関係が生まれていく。
捜査を進める内に偽札製造を巡る抗争が背景の事件であり、それが親分である菅井と、元子分で新興勢力の佐藤との抗争でもあることが判明していく。そしてニックは佐藤が隠れ潜む場所を突き止め捜索をすると、クラブ・ミヤコのホステスの影が見えるようになり彼女を尾行。銀行の貸金庫から"ある物"を取り出し、尾行をまく工作をするもののニックにあっさりと見破られ空港でのニセ警官の一人を見かけその男を尾行することに。佐藤を後一歩まで追い詰めたものの、大阪府警に邪魔された上、取り逃がしてしまう。その上ニック自身勝手な行動をしたということでアメリカへ強制帰還させられることに。松本自身も監督不行き届きで謹慎処分を受ける。
それでも佐藤への復讐を諦めきれないニックは、出発直前の飛行機から脱出し、松本のいる家へ向かい再び捜査をしようと持ちかけるが…。

YUSAKU

Yusaku Matsuda

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Yusaku Matsuda

経歴

1949年(昭和24年)9月21日 - 山口県下関市で、日本人の父と在日韓国人の母との間に非嫡出子として生まれた。父親は長崎出身の保護司で当時39歳、郷里に妻子を持つ180センチメートル近い大柄な男性だった。2人の異父兄がおり、兄弟仲は良かったが、次第に自身の出生の秘密に気付き始め、それが原因で孤独を感じるようになる。
1966年(昭和41年) - 下関市立文洋中学校卒業。下関市立第一高等学校(現:山口県立下関中等教育学校)に進学。
1967年(昭和42年) - 11月、「米国へ行って弁護士になれ」との母親からの厳命により、不本意ながら下関市立第一高等学校を2年で中退し、叔母夫妻を頼って米国籍を得る為に渡米する。カリフォルニア州モントレー郡シーサイド市のシーサイド高校に入学、1年足らず滞在。
1968年(昭和43年) - 叔母夫妻の離婚訴訟や言葉のギャップなどに悩み、9月、母に無断でシーサイド高校を中退し帰国。これより前、中学時代より空手道を修行しており、流派は不明だが弐段を允許されている。帰国後は極真会館本部池袋道場で稽古をしていた。その経験は、後のアクションシーンの随所に活かされる。長兄一家の池袋のアパートに居候して東京都豊島区にある私立豊南高等学校夜間部普通科の4年生に途中編入。
1969年(昭和44年) - 3月、豊南高等学校卒業。
1970年(昭和45年) - 4月、関東学院大学文学部入学。
1971年(昭和46年) - 3月、文学座の入所試験を受けるも一次の筆記試験で不合格。同年5月、金子信雄主宰の劇団「新演劇人クラブ・マールイ」に入団。ここで最初の妻美智子と知り合う。
1972年(昭和47年) - 関東学院大学文学部中退。同年4月、文学座付属演技研究所十二期生となった。文学座同期には阿川泰子、高橋洋子、後輩に中村雅俊、二期先輩に桃井かおりがいた。役者に専念するために、6月には大学に退学届を出す。この頃、『突撃! ヒューマン!!』のヒューマン/岩城淳一郎役のオーディションを受けたという。また、1969年(昭和44年)頃の無名時代に新宿駅東口のトリスバー「ロック」でバーテンダーをしていたときに、客として来ていたひし美ゆり子、原田大二郎、村野武範らと知り合いになり親交を結んでいる。村野は自身が出演していた『飛び出せ!青春』のプロデューサーである岡田晋吉が新人俳優を探していることを聞き、松田を推薦した。このことが『太陽にほえろ!』に出演につながる。
1973年(昭和48年)7月20日 - 刑事ドラマ『太陽にほえろ!』にジーパン刑事としてレギュラー出演、その活躍・殉職シーンが話題となる。同年9月、『太陽にほえろ!』出演を機に「現在は松田優作という通称名を使っているので番組の関係者にも知られていませんが、もし僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが失望すると思います」という理由で法務省に帰化申請を行い、日本国籍を取得。通名だった松田優作が本名となる。
1973年(昭和48年) - 志垣太郎主演の東宝『狼の紋章』にてスクリーン・デビュー。
1974年(昭和49年) - 、黒木和雄監督、ATG、映画同人社提携作品の時代劇映画『竜馬暗殺』。主演の原田芳雄と共演し、時代劇初出演。続いて同年公開の澤田幸弘監督、日活制作のコメディ・青春映画『あばよダチ公』で映画初主演。サスペンスドラマ『赤い迷路』に、山口百恵の叔父役でレギュラー出演。
1975年(昭和50年) - 、刑事ドラマ『俺たちの勲章』に、中村雅俊とのコンビでレギュラー主演を果たす。
1976年(昭和51年)1月27日放送の刑事ドラマ『大都会 闘いの日々』第4話「協力者」にゲスト出演。
1976年(昭和51年)1月31日 -前年7月19日に行なわれた『俺たちの勲章』の鹿児島ロケ打ち上げの際、19歳の予備校生に対して共演者Eと共に暴力を振るい、全治3か月の重傷を負わせた容疑で警視庁新宿警察署に逮捕される。このため、毎日放送の4月新番組『隠し目付参上』をクランクイン寸前に降ろされ、1年間の謹慎生活を送る[6][注釈 3]。身柄を東京拘置所に移された後、傷害容疑で起訴され、同年3月10日、東京地裁で懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受ける。
1976年(昭和51年)5月 - 東映『暴力教室』(岡本明久監督)がクランクイン。これにより映画復帰を果たす。また、同年に公開された時代劇『ひとごろし』では、アクション映画という松田優作のイメージとは異なる臆病な侍を演じ、時代劇初主演となる。
1976年(昭和51年)7月25日 - アルバム『まつりうた』で歌手デビュー。
1977年(昭和52年) - 刑事ドラマ『大都会 PARTII』でテレビに本格復帰。角川映画『人間の証明』棟居刑事役で主演。
1978年(昭和53年) - 村川透監督の東映セントラルフィルム映画『遊戯シリーズ』第一作『最も危険な遊戯』主演(同年『殺人遊戯』、翌年『処刑遊戯』)。
1979年(昭和54年) - 村川透監督角川映画『蘇える金狼』(翌年『野獣死すべし』)そして澤田幸弘監督のアクション映画『俺達に墓はない』主演。また、映画では初主演になる推理もの・ミステリー映画『乱れからくり』(泡坂妻夫原作、児玉進監督)。TVドラマ『探偵物語』に主演。本放送時は、中盤から視聴率が低迷したものの、一部に熱狂的なファンを生んだ。この頃多くのアクション映画に主演しているが、ボブ・ディランをもじった朴李蘭の名で、劇団の旗揚げも行う。傷害事件の執行猶予満了。
1983年(昭和58年) - 森田芳光監督の映画『家族ゲーム』で、それまでのイメージを一新する役柄を演じ、数多くの賞を受賞。
1985年(昭和60年) - 『それから』で再び森田芳光作品に出演し、主人公を好演する。
1986年(昭和61年) - 映画『ア・ホーマンス』製作途中で、作品の方向性に関して意見が食い違ったため、監督が降板。自らがメガホンを取ることとなり、これが初監督作品となる[注釈 4]。やくざ抗争とSFテイストを融合した異色の作品である。
1988年(昭和63年) - 深作欣二監督の時代映画『華の乱』では、国民的女優吉永小百合と共に主役を演じる。この撮影をしている頃から、松田優作は尿が出なくなり腹がパンパンに張っていたという。その後アメリカ映画『ブラック・レイン』に出演し、念願のハリウッドデビューを飾る。同映画の撮影時点で自身が癌に侵されている事を知るが、延命治療を拒み、出演していた。なお、病気の事実を知る者は、撮影関係者では安岡力也のみであり、周囲にも堅く口止めがされていた。
1989年(平成元年)[元号要検証]11月6日 - 午後6時45分、入院中の西窪病院(現在の武蔵野陽和会病院)で膀胱癌の腰部転移のため死去。享年40。
『ブラック・レイン』で高評価を得ていた松田には、ハリウッドからロバート・デ・ニーロとの共演作などの出演依頼も来ていた。
松田が弟の様に可愛がっていた仲村トオルは松田の遺体の前で「優作さん!起きてください!早すぎるよ!!」と泣き叫んだ。
『ブラックレイン』で共演した高倉健は、ブラックレインの演技によって松田がアカデミー賞に関わるであろうと判断し、前もってプレゼントを購入していた。だが松田が亡くなったことにより、そのプレゼントは妻・松田美由紀に手渡すこととなってしまった。
亡くなった翌日放送の『夜のヒットスタジオSUPER』に於いて、追悼で松田が出演していたVTRが流れた後に司会の加賀まりこが涙を流して追悼のコメントを語った。遺作となったTVドラマ『華麗なる追跡 THE CHASER』は、「世界一速い女」フローレンス・ジョイナーと「世界で一番速く走っている様に見せられる男」松田の共演というコンセプトであったが、進行した病の為思うように走れなくなっていた松田は、脚本や演出に手を入れてかなりの改変を加えた。スタッフの中には内心腹を立てた者もいたが、松田の死後にその理由を覚り、後悔したという。
人物
身長は公称185センチメートル(元妻の証言により、実際は183センチメートル)の長身でタフなキャラクター・抜群の運動神経と長い手足を生かしたその動きはそれまでの俳優にはない独自のものであり、アクション・スタント シーンにスタントマンを使わなかった。萩原健一と並んで同時代を代表するスターである。
デビュー時はアクションスターとして注目されたが、演出家に対して徹底して食いついて演出面にも追求(カップに注がれた消え物のコーヒーについて「なぜ湯気が立っているんだ!」「これは誰が飲むものなんだ!」など)するなど芝居に対して非常に勉強熱心で、個性派俳優として次第に役の幅を広げていった。強烈なカリスマ性をもつ俳優であり、松田の演じたキャラクターや、本人そのものをイメージした格好を真似る若者を産み、また同業者である後輩にも、彼のスタイルを踏襲した俳優(古尾谷雅人、又野誠治など)も登場した。漫画『北斗の拳』の主人公ケンシロウもパーソナリティ面で松田をモデルとしてスタートした。
性格は短気な傾向があり、興奮すると手が出ることも多かったそうである。しかし、決してむやみやたらに暴力を奮っていたわけではなく、相手が理不尽な事を言ってきたり、間違った事を言った場合のみに限られた。ただ、その一方で自分の仲間を非常に大事にしていたらしく、水谷豊、丸山昇一、佐藤蛾次郎など優作と親交が深かった多数の友人が優作の伝記で彼の人となりを熱く語っている。佐藤は後年「優作ほど先輩を立てる役者はいなかった」と振り返っている。店で打ち上げをやっていた時に、同じ店に来ていた他の客がバカにしたような口調で佐藤に「蛾次郎~!」と、囃し立てると松田は激怒し本気でその客に殴りかかりそうになったというエピソードもある。
元妻の松田美智子の話によると、優作は遊郭の一角で生まれ育ったことや韓国国籍であることを死活問題のように悩んでいたという。また、美智子は「ファンが語る優作は、どこか漫画的です。血が通ってないというんでしょうか[7]」と語っている。
麻雀が非常に強く、負けた事はほとんどなかったと関係者は語っている。『太陽にほえろ!』に出演するきっかけになったのも、麻雀勝負で村野武範に勝ったので村野を通じてプロデューサーに自分を紹介してもらい、役を貰ったエピソードは非常に有名である。また後の自身の主演映画「最も危険な遊戯」の冒頭の雀荘のシーンにて「その強さ」を自身の役柄である殺し屋・鳴海の口から語らせている。
『太陽にほえろ!』を降板する際、後任の勝野洋へなにかアドバイスをと求められて、「走る姿を研究しろ」と答えたという。そもそも松田の前任だった萩原健一を番組出演へと説得する際に監督の竹林進が言った「きみの走ってる姿を撮りたい」を基本コンセプトに、その後を継いだ松田をはじめ新人刑事の疾走する姿は多くのファンを魅了し、「走る」事は同番組の代名詞として後々まで受け継がれた。
『太陽にほえろ!』の撮影中、ロケ現場ではしゃいでいる子供にからわれた事があり、その際「考えると俺達って昼間からこんなおかしい事をやっているんだよな・・・」と自分が一般とは違う世界で生きているのに気づき、それを期に「よし、誰にも文句を言わせない作品を撮るぞ!」と決心し、それが後のモチベーションにつながった。
六月劇場の研修生だったころ、黒澤明監督の自宅を訪問し、3日間座り込んで弟子入りを迫った。しかし、3日経っても黒澤に会う事は出来ず追い返されてしまう。後に松田は、「俺は一生かかっても必ず有名になってみせる。だが有名になっても黒澤監督の映画にだけは決して出んからな」と語る。その言葉通りに、松田は逝去するまで黒澤映画に出演する事はなかった。
尊敬している映画監督は深作欣二。嫌いな映画監督は伊丹十三であるとのこと。
下積み時代、「俺が売れないのは一重瞼だからだ」とコンプレックスをもらしており、後に瞼を二重に整形している。金銭面で困窮していた時期であったが何とか手術費用を捻出した。当時の二重瞼の手術の主流は切開法であり、術後約1週間で抜糸を行うが「費用がまた何万円もかかるのではないか…」と懸念した松田は抜糸予定日に病院へは行かず、自宅で鏡を見ながら裁縫用の小さなハサミを用いて抜糸をしたと語っている。その際、無理に糸を引き抜き、消毒も十分にしなかったため後々まで跡が残った。実際は抜糸までが手術費用に含まれており、再診でかかる費用はせいぜい消毒代と化膿止めの薬代、数千円程度であったと後に知り後悔したと言う。
松田美由紀は松田を「普段のファッションには無頓着で、放っておいたら何を着だすか分からない程だった」と言う。近視で、普段掛けていた眼鏡も上部が黒縁のいわゆるオヤジ眼鏡だった。
『太陽にほえろ!』出演当時は運転免許を有していなかった為、車の運転場面は全て代役である。勝野洋や下川辰平も同様であった。後の『探偵物語』1979年(昭和54年)ではベスパに乗っているが、自動二輪免許は所有していた。さらに後には4輪免許も取得。ドラマでベスパを使用することを助言したのは、友人の岩城滉一。当時の松田は中型自動二輪免許を取得したばかりで、プライベートではホンダGL400に乗っていたが岩城の「それダサイよ」の一言で、ベスパを使う決心をしたと云われている。
2002年(平成14年)年の制作のゲームソフト『鬼武者2』の主人公柳生十兵衛のキャラクター・デザインに松田優作のイメージが使用されて話題となる。グラフィックは生前の姿を元に3Dモデリングで作成され、声はモノマネタレントのハードボイルド工藤によって録音された。また、ゲームクリア後のオマケとして、TV『探偵物語』の工藤俊作を連想させる「黒いスーツの男」というミニゲームが収録されている。
2009年(平成21年)年、松田優作本人が穿いていたジーンズをイメージして作られた特製ジーンズ(股下38インチ、左フロントポケットはライターの定位置だったために四角形に色落ち)が20回忌となる11月6日にフルカウントより発売された。
家族
劇団仲間であり、後に『完全なる飼育』などの代表作を持つ作家・松田美智子と1975年(昭和50年)9月21日に結婚し、長女が生まれるも、女優・熊谷美由紀(現・松田美由紀)との不倫が原因で1981年(昭和56年)12月24日に離婚。美由紀とは『探偵物語』の共演で出会い、龍平出産後に結婚。
美由紀との間に、順に長男・龍平、次男・翔太、長女(優作逝去時一歳)がいる。義娘に太田莉菜(長男の妻)、孫が1人いる(長男夫妻の長女)。
全出演作品

映画

1973年(昭和48年)
狼の紋章、東宝、監督:松本正志 - 羽黒獰 役
初映画出演作にして主人公の敵・羽黒獰役を射止めている。主演は志垣太郎。
1974年(昭和49年)
ともだち、日活児童映画、監督:澤田幸弘 - 小松 役
竜馬暗殺 、映画同人社・ATG、監督:黒木和雄 - 右太 役
時代劇初出演で、竜馬の敵、右太役を演じている。主演の坂本竜馬役は原田芳雄。
あばよダチ公 、日活、監督:澤田幸弘 - 夏木猛夫 役
1976年(昭和51年)
暴力教室、東映、監督:岡本明久 - 溝口勝利 役
ひとごろし、永田プロ・大映・映像京都 - 双子六兵衛 役
1977年(昭和52年)
人間の証明、東映・角川映画 - 棟居刑事 役
1978年(昭和53年)
最も危険な遊戯、東映、監督:村川透 - 鳴海昌平 役
殺人遊戯、東映、監督:村川透 - 鳴海昌平 役
沖縄列伝・第一 島小(しまぐわ)、自主ドキュメンタリー、監督:吉田豊 - 松田はナレーションを担当。
1979年(昭和54年)
乱れからくり、東宝、監督:児玉進 - 勝敏夫 役
俺達に墓はない、東映、監督:澤田幸弘 - 島勝男 役
蘇える金狼、東映・角川映画、監督:村川透 - 朝倉哲也 役
処刑遊戯、東映、監督:村川透 - 鳴海昌平 役
1980年(昭和55年)
レイプハンター 狙われた女、にっかつ、監督:澤田幸弘 - 勧誘員 役(ゲスト出演)
薔薇の標的、東映、監督:村川透 - ホテルの客(矢沢) 役(ゲスト出演)
野獣死すべし、東映・角川映画、監督:村川透 - 伊達邦彦 役
1981年(昭和56年)
ヨコハマBJブルース、東映、監督:工藤栄一 - BJ 役
陽炎座、シネマ・プラセット、監督:鈴木清順 - 松崎春狐 役
1983年(昭和58年)
家族ゲーム、にっかつ・NCP・ATG、監督:森田芳光 - 吉本勝 役
探偵物語 (1983年の映画)、東映・角川映画、監督:根岸吉太郎 - 辻山秀一 役
※テレビドラマ「探偵物語」は無関係。
1985年(昭和60年)
それから、東映、監督:森田芳光 - 長井代助 役
1986年(昭和61年)
ア・ホーマンス、東映・キティフィルム、監督:松田優作 - 風 役
1988年(昭和63年)
嵐が丘、西友・西武メゾングループMEDIACTUEL、監督:吉田喜重 - 鬼丸 役
華の乱、東映、監督:深作欣二 - 有島武郎 役
1989年(平成元年)[元号要検証]
ブラック・レイン、ジャッフェ、ランシング・プロ、監督:リドリー・スコット - 佐藤浩史 役
テレビドラマ
1969年(昭和44年) - 1971年(昭和46年)
柔道一直線、TBS - エキストラ(試合を観戦する柔道部員)出演
1973年(昭和48年) - 1974年(昭和49年)
太陽にほえろ!・NTV・東宝 - 市役所福祉課職員 役(第35話)、柴田純(ジーパン) 役(第53話 - 第111話)
1974年(昭和49年) - 1975年(昭和50年)
赤い迷路、TBS・大映テレビ - 都築潤 役
1975年(昭和50年)
俺たちの勲章、NTV・東宝 - 中野祐二 役
1976年(昭和51年)
大都会 闘いの日々、NTV・石原プロ - 第4話「協力者」ゲスト出演 松宮次郎 役
夫婦旅日記 さらば浪人、CX - 第17話「群狼の街」ゲスト出演
1977年(昭和52年) - 1978年(昭和53年)
大都会 PARTII、NTV・石原プロ - 徳吉功 役
1977年(昭和52年)10月 - 11月
森村誠一シリーズ・腐蝕の構造
1978年(昭和53年)
大追跡、NTV・東宝 - 最終回ラストシーンにゲスト出演
1979年(昭和54年)
あめゆきさん、TBS - 山田わかの恋人 役
1979年(昭和54年) - 1980年(昭和55年)
探偵物語、NTV - 工藤俊作 役
1982年(昭和57年)
春が來た、ANB - 風見 役
死の断崖、NTV・東映 - 尾形徹男 役
新・事件 ドクターストップ、NHK - 相沢清二 役
ホームスイートホーム、NTV - 第8話 - 第11話ゲスト出演
1982年(昭和57年) - 1983年(昭和58年)
あんちゃん、NTV - 第15話・第16話ゲスト出演 山本倉三 役
1983年(昭和58年)
熱帯夜、CX - 須藤英二 役
断線、ANB・東映 - 田島(滝村)光夫 役
1984年(昭和59年)
新・夢千代日記、NHK - 岡崎孝夫・前田純孝 役
女殺油地獄、NHK - 与兵衛 役
1986年(昭和61年)
追う男、NHK - 瀬木涼介 役
1988年(昭和63年)
土曜ワイド劇場、桜子は微笑う ラストエンペラーに仕掛けられた妖しい女の罠、テレビ朝日 - 梔子玲三 役
1989年(平成元年)[元号要検証]
華麗なる追跡 THE CHASER、10月7日・NTV - 兼城直也 役(フローレンス・ジョイナーと共演)
ドキュメンタリー
2009年(平成21年)
SOUL RED 松田優作 - 生誕60周年及び没後20周年を機にして作られたドキュメンタリー映画
広告・テレビコマーシャル [編集]
日本ビクター ラジカセ「√2」・「√5」
1984年(昭和59年) - 1989年(平成元年)[元号要検証]
キッコーマン、焼酎 「トライアングル」
1985年(昭和60年) - 1987年(昭和62年)
マンダム 「ギャツビー」
1987年(昭和62年)
キリン 「ライトビール」 - 原田芳雄、宇崎竜童と共演
角川文庫
1997年(平成9年)
サッポロ飲料 缶コーヒー 「JACK」-「探偵物語」でのコーヒーにまつわるシーンを再編集
2000年(平成12年)
Schick - 「探偵物語」の工藤俊作をメインキャラクターにキャンペーンを展開
2008年(平成20年)
グンゼ - 「The GUNZE」-「探偵物語」の工藤俊作をキャラクタとしたコマーシャルを作成
その他の出演番組
クイズタイムショック(ANB)※山口崇司会時代にパーフェクトを達成[要出典]
徹子の部屋(ANB)
おしゃれ30・30(NTV)
夜のヒットスタジオ(CX)※松田聖子と共に初登場だった
オールナイトフジ(CX)
ディスコグラフィー
アルバム
まつりうた、1976年(昭和51年)7月25日発売、東宝レコード ※バップ(ミュージックファイルシリーズ)からCD化された際にボーナストラック1曲を追加
Uターン、1978年(昭和53年)8月25日発売、ビクター
TOUCH、1980年(昭和55年)5月1日発売、ビクター
HARDEST DAY、1981年(昭和56年)5月21日発売、ビクター
HARDEST NIGHT LIVE、1981年(昭和56年)11月21日発売、ビクター
INTERIOR、1982年(昭和57年)11月21日発売、ビクター
DEJA-V、1985年(昭和60年)3月21日発売、ビクター ※松田優作 with EX
D.F. NUANCE BAND、1987年(昭和62年)4月21日発売、ビクター
シングル
すべてビクターから発売。
Uターン、1978年(昭和53年)7月25日発売
B面:ひとよ酒
白昼夢、1980年(昭和55年)5月21日発売
B面:UPWARD MORE
ブラザーズ・ソング、1981年(昭和56年)4月21日発売
B面:LADY
夢・誘惑、1984年(昭和59年)9月21日発売
B面:246の幾何学
One From The Heart、1985年(昭和60年)3月21日発売 ※松田優作 with EX
B面:Night Performance
ベスト・アルバム
Yusaku Matsuda 1978-1987、1990年(平成2年)2月21日発売、ビクター