ふとした気まぐれから

最近、落語を見ています。






まだいくつか見ただけですが

漫才やテレビのバラエティー番組のような

今まで自分が知っていた笑いとは違った面白さがある気がします。







ばたばたせずに落ち着いて見ていられるし

人情というのか

昔の人のすがたや生活が見えてくるように思えます。








ある人は「落語とは人間の業の肯定である。」と言ったそうです。





確かに、意地の悪い人や

けちな人も落語の世界の中では

笑いを誘う、なくてはならない存在のような気がします。








かなしいことをそのまま話せば聞いた人もかなしくなる。

まじめな話を眉間にしわを寄せて話しても、肩っ苦しくて仕方ない。






まっすぐ直球勝負が必要な場面もあるけれど

それだけじゃ続かない・・・

いろいろと反省すべきことがありそうです(汗)










案外、「どうしてなんだろ」と思うような

いやなことほど

面白い話に変化して

見事なストライクをもたらしてくれるのかもしれませんね。






今日もブログを読んでいただきありがとうございます



少しずつでいいからあなたのまわりのいろんなことが

いい方向に向かっていきますように


「受け止めてもらえてる」

「自分のことを大事に思ってくれている」

そう思えた。






どうしようもなかったぼくは

それで救われたような気がしました。






だから

自分がしてもらったように

ぼくも受け止める

失っても、傷ついても






また裏切られるかもしれない

でもまぁそれもいいじゃない(笑)







こんな自分だからわかること

できることもあるのかなぁと・・・








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少しずつでいいからあなたのまわりのいろんなことが

いい方向に向かっていきますように



最近よく、「距離」について考えさせられます。





物理的な距離、

心理的な距離、






すぐに行ける距離だったらと思う反面、

わざわざ行くところに意味があるともいえるでしょう






また、いくら親しいからといって何も考えず

近寄りすぎてもいけないし、

親しいことに安心しきって離れてばかりでもいけない





たとえ苦手だなと感じる人でも

必要になれば、いつでもお互い話ができるよう

ホットラインは残しておかなければならない







中学時代、お世話になった先生に

「いつも、渦から一歩下がったところから

物事を眺めるようにしなさい」と言われたことが

あります。




何かを考えるときに

近づきすぎると見えなくなるものがあることは

まぎれもない事実ですが

いざというときには

渦の中に飛び込んでいくことも必要だし

そうしてみてはじめて見えることもある気がします。







いろいろしくじりながら

ちょうどいいところを見つけていく

しかないんでしょうね。








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少しずつでいいからあなたのまわりのいろんなことが

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