『健康の定義』
みなさんもご存知のとおり
WHO憲章にて
健康とは
身体的•精神的•社会的
に良好であることが定義されている
もう70年以上前に定義されたものだが
定義の本質を
理解出来ているひとは少ないと思う
昨今
日本はコロナ前から
「健康ブーム」であり
医療費がバカ高く、セルフで
健康に気をつかわなければならない
米国🇺🇸のあとを追って(雲泥)
コンビニやファミレスなどでも
健康(的な?笑)商品が置かれるようになった
コンビニの健康的なものが
良いか悪いかは別として
食
にこだわるのは
身体的部分であり
栄養療法などで
うつ病を克服するひともいるが
実はそれは
栄養素だけが影響しているわけではない
(例えば 鬱に効くと言われている物を 愛する奥さんがネットで調べて作ってくれた、、など)
人は脳死でもない限り
必ず感情が起因している
つまるところ
自分が好きなもの(良いと信じてるもの)を
選ぶことは
実は精神的部分も含まれる
し
か
し
だ
たぶん
以前の記事でもお伝えしたように
私は
ヴィーガンやマクロビオティック
の人達を否定するわけではないが
(映画ゲームチェンジャー は好き)
食や食以外でもルールに縛られている
というか
縛られ過ぎているひとは
健康
からは逸脱すると思う
もういちど言うが
その生き方を否定しているわけではなく
(あとで出てくるが)完全に囚われてしまった人
のことを言っている
なぜなら
社会的があまりに賄えない
菜食主義は私も賛成だし
果物は嫌いだが
野菜が大好きな平沼が思うのは
まずお国柄🇯🇵
ヴィーガンの映画
「GAME CHANGERS」
の舞台は日本ではない
そもそも英国で始まった
ヴィーガニズムは
動物の命を大切にという根源があるが
これも世界的には70年以上の歴史がある
それこそ海外のスーパーやレストランでは
当たり前のように
ヴィーガンメニューを注文出来る
(そもそも菜食主義自体が珍しくない)
生活(文化)に馴染んでいると
言ったら良いだろうか
それに比べて
日本の環境(そんなもの高っいオーガニック専門店でしか買えない)において
同じ習慣を完コピするのは
不可能であろう
よって
日本において
信者は少なからず頑張らなくては(無理をしなければ)遂行出来ないわけで
それには必ず
ストレス
が伴っちゃうよねって話
話を少しフィットネスに寄せていくと
何らかの競技者は別として
短期ではなく
通年でケト(糖質制限)をやっている方や
サプリメント宗教の方にも
警笛を鳴らしたい
私は常々
厳格な競技者を除く
一般のクライアントには
食=栄養補給
ではなく
食=コミュニケーションツール
とお伝えしているが
例えば
仲の良い友達にランチに誘われたとき
「パスタは良いや」
や
「バイキングはちょっと、、」
は
期間限定の
友達に応援してもらえる場合を除いて
(双方)少し残念な気がしてしまう
優先順位が
ボディメイクや健康的な生活を送ることが
断トツなら何も言わない
それは友達も理解してくれるはず
ただ
そうでないなら
やっぱり
社会的にも(人は共存して生きている)
謳歌してほしい
これは完全に
私個人の意見であり
正解が何かとは全く別の話だが
健康という
shigaramiに
完全に囚われてしまったひとは
いつの間にか立ててしまった
その柵を乗り越えることが出来ると
WHOの言う
健康
に近づくのかもしれない
途中から本来話したかった
精神的健康の部分から
かなり外れてしまったが
ブログに何時間も割くことは
コスパが悪いので(面倒くさいだけ)
今朝お風呂で浮かんだ
メモだけ今スクショして
貼っておきまーす
(修正なし)
ばーい







