日本国には欽明天皇(きんめいてんのう)の御宇(ぎょう)に仏法百済国(くだらこく)より渡り始めしより、桓武天皇(かんむてんのう)に至るまで二百四十余年の間 此(こ)の国に小乗 権大乗のみ弘(ひろ)め、法華経有りと雖(いえど)も 其(そ)の義 未(いま)だ顕(あら)はれず。例せば震旦国(しんだんこく)に法華経渡って三百余年の間、法華経有りと雖も 其の義 未だ顕はれざりしが如(ごと)し。桓武天皇の御宇に伝教大師 有(いま)して、小乗権大乗の義を破して法華経の実義を顕はせしより已来(このかた)、又 異義無く純一(じゅんいつ)に法華経を信ず。設(たと)ひ華厳・般若(はんにゃ)・深密(じんみつ)・阿含(あごん)の大小の六宗を学する者も法華経を以(もっ)て所詮(しょせん)と為(な)す。況(いわ)んや天台真言の学者をや。何(いか)に況んや在家の無智の者をや。例せば崑崙山(こんろんざん)に石無く 蓬莱山(ほうらいさん)に毒無きが如し。
(平成新編0272~0273・御書全集0441・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0425~0426・昭和定本[1]0244~0245)
[弘長02(1262)年02月10日(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]