此(こ)の一念三千の宝珠(ほうじゅ)をば妙法五字の金剛不壊(こんごう ふえ)の袋に入れて、末代貧窮(びんぐ)の我等(われら)衆生の為(ため)に残し置かせ給(たま)ひしなり。正法・像法に出(い)でさせ給ひし論師・人師(にんし)の中に此の大事を知らず。唯(ただ)竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)こそ心の底に知らせ給ひしかども色にも出(い)ださせ給はず。天台大師は玄・文・止観[げん・もん・しかん、細雪注・法華玄義と法華文句と摩訶止観との「法華三大部」のこと]に秘せんと思(おぼ)し召(め)ししかども、末代の為にや止観十章第七 正観の章に至りて粗(ほぼ)書かせ給ひたりしかども、薄葉(うすよう)に釈(しゃく)を設(もう)けて さて止(や)み給ひぬ。但(ただ)理観の一分(いちぶん)を示して事の三千をば斟酌(しんしゃく)し給ふ。彼(か)の天台大師は迹化の衆なり。此の日蓮は本化の一分なれば盛んに本門の事の分を弘(ひろ)むべし。
(平成新編1224・御書全集1016・正宗聖典----・昭和新定[2]1822~1823・昭和定本[2]1498)
[弘安01(1278)年04月23日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]