一、又(また)五人一同に云(い)はく、如法(にょほう)・一日の両経は共に以(もっ)て法華の真文(しんもん)なり、書写 読誦(どくじゅ)に於(おい)ても相違(そうい)有るべからず云云。
日興が云はく、如法・一日の両経は法華の真文たりと雖(いえど)も、正像(しょうぞう)転時の往古(おうこ)、平等摂受(しょうじゅ)の修行なり。今 末法の代(よ)を迎へて折伏の相を論ずれば一部読誦を専(もっぱ)らとせず。但(ただ)五字の題目を唱へ、三類の強敵(ごうてき)を受くと雖も諸師の邪義を責むべき者か。此(これ)則(すなわ)ち勧持 不軽の明文、上行弘通の現証なり。何(なん)ぞ必ずしも折伏の時 摂受の行を修すべけんや。但し四悉の廃立(はいりゅう)二門の取捨(しゅしゃ)宜(よろ)しく時機を守るべし。敢(あ)へて偏執(へんしゅう)すること勿(なか)れ云云。
(平成新編1880・御書全集1614~1615・正宗聖典0551・昭和新定[-]----・昭和定本[-]----)
[嘉暦03(1328)年07月(佐後)]
[古写本・日時筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]