『寿量品文底大事(寿量品文底の大事)』(佐後)[古写本](秘) | 細雪の物置小屋

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御宗祖御開山遺文DBを中心に投稿します。
[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 問うて云はく、開目抄の上に云はく「一念三千の法門は寿量品の文の底に秘して沈めたまへり」と云ふ意趣如何。
 仰せに云はく、当流の相伝惟(これ)に谷(きわ)まれり。口外すべからずと雖も末代の為に一筆之を残さん、敢へて聊爾(りょうじ)の義有るべからず。文の底とは他門徒に於ては、平(ひら)文面には様々の料簡を為すと雖も、聖人の御本懐に於ては全く知らざる者なり。所謂、文の底とは久遠下種の法華経、名字の妙法に、今日熟脱の法華経の帰入する処を志し給ふなり。されば妙楽大師釈して云はく「雖脱(すいだつ)在現具騰(ぐとう)本種」云云。
 今日霊山会上の熟脱の法華経は我等が得分(とくぶん)に非ず、断惑証理(だんなくしょうり)の聖者、三周得悟の為なり。さて下種の法華経は久遠名字の妙法なり。然るを日蓮聖人本因妙の修行の手本として、妙法蓮華経の五字を余行に亘(わた)さずして下種し給ふ者なり。一毫(いちごう)未断の我等末代嬰児の一切衆生、妙法の名字を聞きて持つ処に即身成仏を遂ぐるなり。誠に我等が為に有り難き法相なり。
 若し余行に亘さば一部の法華経なるべきなり。夫(それ)を宗旨の本意とは沙汰せざるなり。されば一処の所判に末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し、乃至妙法蓮華経に余行を交へばゆゝしき僻事(ひがごと)なりと遊ばさるゝは此の意なり。秘すべきなり。
 南無妙法蓮華経
(平成新編1707・御書全集----・正宗聖典0381、1034・昭和新定[3]2724~2725・昭和定本[-]----)
[系年不詳"『上野殿御返事(法要書)』弘安01(1278)年04月01日より後"(佐後)]
[古写本・富士大石寺]
[秘・当流の相伝]
[※sasameyuki※]