3.11の事をココに記してなかった。

mixiには、極簡単に3~4日分の記録を載せてたけど・・・


ココで、震災当日の詳細を書き出すことで、

少し気持ちの整理をしたいと思います。


3/11(金)

この日は、連日超激務で仕事をしているだんな様が、一息入れたいと休みを取っていました。

なので、仔猫ちゃんの幼稚園の送迎をだんな様にしてもらいました。


午前中は、幼稚園のクラス役員で集まりがあり、

17日に行う分散会の準備をしてました。

幼稚園へ来るのもだんな様に送り迎えをしてもらい、仔猿君と一緒に役員のお仕事。

お昼に終了して、役員のママ達と子供たちの様子を覗き見し、先生に分散会当日に使う飾りを預かってもらうように

話をして、荷物を預けた。

9日に大きな地震があったよねとか話しつつ、分散会頑張ろうとその場を別れました。


お昼も過ぎて、お迎えにだんな様に行ってもらい、

仔猫ちゃんが帰ってきたら、ホワイトデーのお返しをみんなで買い物に行こうと話してました。

仔猫ちゃんと一緒にだんな様が帰宅し、着替えて、出かける準備をしてる時に

地震が来ました。

9日の地震の時は、仔猫ちゃんは、幼稚園に居て、お友達は泣いてしまったらしく、慰めてあげていたという仔猫ちゃん。

でも、この時は、凄く怯えて泣きじゃくり、だんな様にしがみついてました。

私は、仔猿君を寝かしつけようとしていて、ソファーに横になってました。


揺れの大きさも長さも、コレまでに経験したことがないもの。

あまりにも長く、一時揺れが弱まったところで、だんな様から仔猫ちゃんをこちらに預かり、

逃げ道の確保など、動いてもらいました。

ちびっ子2人ともあまりの恐怖で、ずーっと泣き叫んでました。

2人をぎゅっと抱きしめて、私自身も近くの物が落下しないように抑えたりもしてました。

その内、仔猫ちゃんが現実逃避から、寝てしまい。

揺れも落ち着いてきたので、仔猿君を落ち着かせ、私もいろいろと動き出しました。

まずは停電のため、懐中電灯を出してきて、

ガラスの破片を集めてるだんな様の手元を照らしたりしてました。

だんな様、今までにこういう経験が全くなく、悠長にガラスの破片の掃除・・・

私は、慌てて水の確保をお願いしました。


このとき、中学校は卒業式で、午前中で帰ってくるはずの仔犬姫は

なかなか帰ってこなく、14時頃に帰ってきて、お昼もろく食べず(歩きながら食べると)

友達と出かけると外出してました。

地震が来たとき、地下鉄に乗っていて、勾当台公園駅で降ろされたそうです。

本人たちは、仙台駅まで行きたかったらしい。

連絡手段もなく、17時に公衆電話から友達3人と歩いて帰ってくると連絡が入り、一安心。

18時半頃に帰宅しました。


我が家の被害としては、食器棚のガラス戸が壊れ、食器が半数近く割れてしまったくらいかな???

大きな被害もなく、本当にラッキーと言うしかないくらいでした。

すぐ近くでは、ガス管や水道管に亀裂が入って、酷い状態になってる所がありました。


だんな様が、まだ明るいうちに、近所のコンビニに行ってくれるも、

乾電池1パックだけを買ってきておしまい・・・

おにぎりやサンドウィッチなど、まだ商品棚にあったという事。

いろいろと食品を買ってきてくれるという事はなかった。

しかも、散歩して彼方此方の被害状況を見てきたと・・・


食料を何とか確保する為、自宅の中のおやつを一まとめ。
食パンをサンドウィッチにして、確保。
卓上コンロ出してきて、土鍋でご飯を炊いてくれただんな様、おにぎりを作成。
後は、ひたすら、あるものを食べる状況。
一番の悩みは、チビたち。
特に仔猫ちゃんは、選り好みして、食べないと・・・
そして、トイレが近いので、それも困った。
お風呂の残り湯で、何とか流し、だんな様やσ(-_-;)仔犬姫は、避難所の小学校の仮説トイレへ。

夜は、2階から毛布をかき集めてきて

上着に靴を着用したまま、すぐに逃げれる態勢でソファーや床に固まって寝ることに。

私は、手動式のラジオ付懐中電灯を一晩回し続けました。

とても、寝れる状態ではなかったです。だんな様は、いびきかいて寝てたけど。

仔猿君も、何度も起きて、授乳してました。

ずーっと抱きかかえたままの状態で、寝かせてました。

ラジオを一晩中聴いてると、耳を疑いたくなるような事ばかりが流れてくる。

仙台市内(荒浜)で、死体が200~300体流されてると・・・

ラジオ以外情報を得る事が出来ず、何馬鹿な事を言ってるんだって思った。

いくら津波でも、そんなに犠牲者が出る訳がないと思ってた。


翌朝(3/12(土))、地元紙が配達され、その一面の写真に愕然としました。

ケータイやピッチが制限をかけられ、使えない状態になってしまい。

自宅の電話で、安否確認をしようと電話をかけても、繋がらない状態。

どうすることも出来ず、

だんな様がお昼から仕事へ行くというので、その前に仔猫ちゃんと仔猿君を見ててもらい

仔犬姫と小学校へ行きつつ、周辺のコンビニやスーパーの様子を観に。
お菓子くらいしか手に入らなかった。
食料(パンなど)は、地震当日になくなったそう。

自宅に戻ってきてから、給水所で水を貰う為の入れ物を、用意。

使っていなかった3リットルの電気ポットや水筒等引っ張り出して来ました。

この辺りは、小学校1年の時とは言え、宮城県沖地震を経験して、

共働きで不在の両親に代わり、水の確保をしていたので、手際いいです。

それに、今はペットボトルもあるしね。

昔に比べたら、かなり良いです。


お風呂の残り湯も少なくなってきて、トイレも極力避難所へ行ってました。

仔猫ちゃんには、オムツを履いてもらい、どうしても我慢できなかったら

オムツにしてもらうようにしました。

買出しへ出かけて、4時間以上も並んでなくちゃいけないし、

仮設トイレも待ち時間があるので。

オムツにする際に、仔猫ちゃん凄く泣いて、可哀想でした。


だんな様は、夕方18時頃には帰宅してくれて、みんな揃って夕飯を食べる事が出来ました。

避難所へ行って、食料を分けてもらったりして

何とか食いつないでた感じです。

食べ物に関しては、とにかく子供達に食べさせないとって必死で

自分の分の事はあまり頭になかったです。


震災翌日からは、とにかく食料の確保の為に

あちらこちらへ仔猿君をおんぶして、仔猫ちゃんの手を引いて

歩き回り、列に何時間も並びという事が続きました。

給水所が遠かったこともあり、本当に必死に毎日を過ごしてました。


3日目からは、また別にUPします。