『新潮45』に掲載された音楽家、野村剛夫氏の「全聾作曲家 佐
村河内守は本物か」をkindleで読む。

昨年12月に発表され

たこの短い評論がゴーストライターだった新垣隆氏に事実を公表す
る端緒となったという。
私は佐村河内守の「交響曲第1番HIROSHIMA」を2年前「
ショスタコービッチとウォルトンとブルックナーとマーラーに武満
フリカケをかけたような感じ」と評したが、野村氏もショスタコー
ヴィッチやマーラーの切り貼りであることを記している。素人の私
でもそれが分かったのだから、その辺はクラッシック音楽が好きな
人ならとっくに分かっていたことだろう。どうして我々はこのよう
に簡単に礼賛してしまったのだろうか。

野村剛夫氏は交響曲の題名を『HIROSHIMA』としたのは普
遍的に神聖化されているヒロシマと自身が「被爆二世」であるとい
うことを意識したとし、併せて「聴覚障害者」として、または病魔
を抱える身として、苦労をセールスポイントにして音楽を売ったとしている。
つまりはお金のためであったのではないかと。

もし、そうならば金銭のために「物語」を作って多くの人を欺いた
ことになる。それとも金銭のためではなく名声のために、だんだん
とこのループへと引きずり込まれたのだろうか?

本日の新垣隆さんの会見で佐村河内守氏は「聴覚障害者」であるこ
とも虚偽ではなかったかとの証言もあった。
作品が自身で書かれたものではないことだけでなく、聴覚障害まで
虚偽であれば佐村河内守氏を巡る物語は全て虚構となる。
更にはその虚構から生まれた「物語」を安易に「神話」化して大衆
に与えてしまったマスメディアや音楽関係者の責任も重い。

2012年に私が見た大阪初演のスタンディング・オベーションの
異様な光景はまさにそうした「神話」化が生んだ結果だったののだ
から。

今回の騒動で我々が学んだことがあるとすれば、我々はマスメディ
アにはかくも簡単に騙されてしまうということだ。
一個人の壮大な虚偽をも見抜けないメスメディアを信じてしまう我
々自身の感覚を決して信じてはならないということなの
ではないだろうか。