以下は2012年9月20日に私が「青空帝国」に書いた感想だった
。
「佐村河内守(さむらごうちまもる)というすごい長い名前の作曲
家の交響曲『交響曲第1番HIROSHIMA』が大友直人指揮で
大阪初演されるとあって予習のためCDを聴く。大友さんは相当の
この作品が気に入っているようだ。なぜならショスタっぽい。印象
としてはショスタコービッチとウォルトンとブルックナーとマーラ
ーに武満フリカケをかけたような感じ。良いか?と言われれば、ち
ょっと答えられないなあ。なんとなく印象のないまま終わってしま
う感じ。僕としては何も残らない。
団伊玖磨の『HIROSHIMA』の方がインパクトあったかな?
まあ現代音楽としては聴き易い作品かも。」
このブログ記事に対する反応は厳しかった。コメント
で「産みの苦しみを知らないのか。」とか「身体障害を乗り越えて
頑張っている人の気持ちが分からいのか」あるいはヒドイもにになると「大阪公演に来な
いでください。」というものまであった。
この曲の作曲者佐村河内守氏が「聴覚障害者」
で「現代のベートーベン」という異名をとっている人だったからで
ある。
佐村河内守氏の作品、特に「HIROSHIMA」の場合、音楽評
論家の評論を読んでいると「聴覚障害者」であるという前提がどこ
かカッコ付きになっている印象があった。つまり困難を乗り越えて
来たその苦しみが作品に表れているという様な評価である。
大阪公演でも観客の多くがそういった感じで、それは佐村河内守氏
を特集した「NHKスペシャル」が影響していたのだと思う。私が
かつて経験しなかった通常のコンサートとは思えない異様な雰囲気
だった。コンサートが終わると作曲者が舞台にあげられスタンディ
ングオベーションを受けていた。
なるほど、私がブログ記事で酷く非難されたことも、その時よく理解できた
。
NHKスペシャルで佐村河内守氏の創作活動に感動したシンパたちがっちり
守っていたということだろう。
ところが、昨日、佐村河内守氏が作曲はゴーストライターがいて、
自分は書いていなかったと発表した。レコード会社もプロモーター
もCD発売中止や公演キャンセル払い戻しと大騒ぎとなっているようだ。
もしも、ゴーストライター氏の名義の作品だったらここまでこれら
の楽曲が注目され人気を呼んだだろうか。
私は疑問に思う。
ただでさえ、退屈だとか難解だと言われて敬遠される日本の現代音
楽である。それがCDが18万枚も売れるという人気を博したのは佐村河内守氏が「聴覚障害者」という音楽評価という枠外に付けられた「カッコ付き」が影響していなか
ったのか。
もしそうならば、私は残念に思う。
評論家にしても音楽的、芸術的価値を認めたなら、ゴーストライタ
ーであった新垣隆氏を稀有な才能を持った作曲家として変わらず評
価し続けなければならない。
果たしてそうなるだろうか。
評価とは?評論とは何か?
それがわからなくなる今回の出来事である。
。
「佐村河内守(さむらごうちまもる)というすごい長い名前の作曲
家の交響曲『交響曲第1番HIROSHIMA』が大友直人指揮で
大阪初演されるとあって予習のためCDを聴く。大友さんは相当の
この作品が気に入っているようだ。なぜならショスタっぽい。印象
としてはショスタコービッチとウォルトンとブルックナーとマーラ
ーに武満フリカケをかけたような感じ。良いか?と言われれば、ち
ょっと答えられないなあ。なんとなく印象のないまま終わってしま
う感じ。僕としては何も残らない。
団伊玖磨の『HIROSHIMA』の方がインパクトあったかな?
まあ現代音楽としては聴き易い作品かも。」
このブログ記事に対する反応は厳しかった。コメント
で「産みの苦しみを知らないのか。」とか「身体障害を乗り越えて
頑張っている人の気持ちが分からいのか」あるいはヒドイもにになると「大阪公演に来な
いでください。」というものまであった。
この曲の作曲者佐村河内守氏が「聴覚障害者」
で「現代のベートーベン」という異名をとっている人だったからで
ある。
佐村河内守氏の作品、特に「HIROSHIMA」の場合、音楽評
論家の評論を読んでいると「聴覚障害者」であるという前提がどこ
かカッコ付きになっている印象があった。つまり困難を乗り越えて
来たその苦しみが作品に表れているという様な評価である。
大阪公演でも観客の多くがそういった感じで、それは佐村河内守氏
を特集した「NHKスペシャル」が影響していたのだと思う。私が
かつて経験しなかった通常のコンサートとは思えない異様な雰囲気
だった。コンサートが終わると作曲者が舞台にあげられスタンディ
ングオベーションを受けていた。
なるほど、私がブログ記事で酷く非難されたことも、その時よく理解できた
。
NHKスペシャルで佐村河内守氏の創作活動に感動したシンパたちがっちり
守っていたということだろう。
ところが、昨日、佐村河内守氏が作曲はゴーストライターがいて、
自分は書いていなかったと発表した。レコード会社もプロモーター
もCD発売中止や公演キャンセル払い戻しと大騒ぎとなっているようだ。
もしも、ゴーストライター氏の名義の作品だったらここまでこれら
の楽曲が注目され人気を呼んだだろうか。
私は疑問に思う。
ただでさえ、退屈だとか難解だと言われて敬遠される日本の現代音
楽である。それがCDが18万枚も売れるという人気を博したのは佐村河内守氏が「聴覚障害者」という音楽評価という枠外に付けられた「カッコ付き」が影響していなか
ったのか。
もしそうならば、私は残念に思う。
評論家にしても音楽的、芸術的価値を認めたなら、ゴーストライタ
ーであった新垣隆氏を稀有な才能を持った作曲家として変わらず評
価し続けなければならない。
果たしてそうなるだろうか。
評価とは?評論とは何か?
それがわからなくなる今回の出来事である。