学徒のつぶやき

昭和17年9月20日初版発行、金城出版社刊、大林清著『撃滅の朝』。戦意高揚のための戦時小説集である。表題作『撃滅の朝』の他に 10遍の短編小説が収められたアンソロジー集。最後の11篇目が『サヨンの鐘』である。『サヨンの鐘』については僅かながらも日本でも研究があって、参考 文献や資料ノートのようなものも論文検索サイトにも存在している。しかし、不思議と現在まで大林清の『撃滅の朝』は取り上げらている例は発見出来ていな い。どうしても歌謡曲『サヨンの鐘』と映画『サヨンの鐘』へ視点が行きがちだからであろうか?著者の大林清は調べてもなかなか詳細がわからない。自宅には 国文学の資料は圧倒的に少ないのでまた大学ででも調べてみようと思う。


大林清(1908年 - 1999年)慶應義塾大学仏文科中退後、作家として活動を始め主に大衆小説の作家ととなった。デビュー当初から愛国戦時小説の類が殆どである。かなり多作 で「少女倶楽部」などにも愛国小説を書いている。戦後も大衆小説、伝記作家として活躍したが振るわず、むしろ映画のシナリオ作成のためのシノプシス(通 常、邦画では原作と呼ばれる)にむしろ有名な作品がある。高峰三枝子主演の映画『情熱のルンバ』などがその良い例だろう。シノプシスがどの程度のものだっ たかはわからないが、当時の映画原作は出版に耐えるようなものではなかった。大林は4回の直木賞のノミネートを受けたが受賞には至らなかった。

 

問題の小説『サヨンの鐘』は蕃社リヨヘン社の警官兼小学校教員の瀧田と、その上司の娘、内地から父を連れ戻しにやってきた師範出の才女、久美子との 物語となっている。サヨン遭難事件が物語のクライマックスだが、サヨンは冒頭と最後にしか登場せず、キャラクター描写が皆無に等しい。

先住民タイヤル族への教育への情熱を持っている瀧田は内地での幸福を願う婚約者との縁を破談にして、リヨヘン社での職務に専念する。そんな中、リヨ ヘン社にやってきた上司の娘、久美子がやって来た。滝田のタイヤル族の子共たちへの熱心な教育の態度に久美子は感動するが、内地を中心に考える久美子の教 育論の衝突する。瀧田は久美子に惹かれながらも内地のことだけしか考えない婚約者と同じ久美子に反発も覚えるのだ。、

瀧田の出征とその下山でのサヨン遭難によって久美子は心動かされ、リヨヘン社に留まりそこで蕃社の小学校の教員になる。久美子は瀧田の帰りをここで 待っているのだ。三年後、瀧田の婚約者だった女性がサヨンの物語が内地で話題になったことがきっかけで初めて瀧田の心を知り、サヨンの墓参りにやってく る。彼女は親が決めた縁談で内地で結婚が決まったのだ。久美子は彼女とともにサヨンの墓に行き、総督府から贈られたサヨンの鐘を突き、その音色を聴く。  この物語を一読すれば、救いようがないほど歪んでいる事がわかる。

 

小説の主題は「内地」女性の「外地」への無関心さである。この物語は滝田、久美子、元婚約者の女性のメロドラマに見えるがそうではない。サヨン、久 美子、婚約者の3人の女性の物語である。瀧田の婚約者は蕃社であるリヨヘン社までも来ようとはしない。久美子は父を内地に連れ戻すために台湾のこの深山ま でやって来た気丈夫な女性だ。サヨンは瀧田を師として敬う快活な少女。久美子と婚約者のあいだには「外地」よりも「内地」での生活が日本人にとって大切で あるということでは共通している。その「内地」と「外地」の差異は「民族と血」の問題であり、その優劣である。

瀧田は久美子に言う。

「今では次の時代の高砂族を内地人に伍して行ける國民にしようと一生懸命なんですよ。これは内地人の子共を立派な國民に育て上げるのと、同等のやり 甲斐のある仕事だと思ひますね。いや、十五萬の高砂族、五百萬の本島人、この台灣民族を立派に皇民化できたらマイナスをプラスにするんだからもっと立派な 仕事と云えるかもしれません。」(296頁)

対して久美子は瀧田に言う。

「ご理想は大変結構ですわ。でもわたくし、民族の血と云ふものは、とても教育で變へられるもではないと思ふんですの。だからこそ、独逸人はゲルマン民族の血をあんなにに尊ぶんぢゃないででしょうか?」(297頁)

久美子がここでナチスの教義である「土地と血」の問題を唐突に持ち出すのは奇異ではある。土地と民族と血は不変であるというのはナチの御用学者アル フレート・ローゼンベルクの著者には必ず出てくる思想だ。久美子の思想も民族の優秀性は血が決定しているものであり、教育がごとき小細工では変えられない と言っているのである。婚約者の「内地」への拘りは個人的な幸福を追求したもの、久美子の「内地」への拘りは「外地」への皇民化はもとより価値がないとし たものである。瀧田はそれに対して「外地」の皇民化を尊重している。サヨンは出征する滝田のために自らの命を落としたのである。はるかに皇民としては久美 子と婚約者をサヨンは優っていた事が示された。


久美子と婚約者はサヨンの墓に詣でることによってサヨンを悼むがそれは同時に瀧田の皇民化教育への軽視、あるいは内地中心の幸福に対する自戒を示したことにもなる。

『サヨンの鐘』にはサヨンは必要はない。誰であってもいい。出征する恩師のために命を落とす皇民化された外地人であれば誰でも良いのだ。だから小説 の中でもサヨンの個人的な魅力の描写は不要である。民族としての彼女の魅力を描くことは逆に瀧田の「皇民化」の理想を否定することになってしまう。

タイヤル族であっても、日本人の出征教師のために命を捧げたという本人の意思とは関係ないところで存在する事実さえあれば良いのだ。それによって内 地と外地の意識のズレを最小化する。サヨンは戦時政策の絵に描いたような歪んだ象徴だ。物言えぬものが為政者の道具となるのはいつの時代も同じかもしれな い。


湘南市(シンガーポール)市長だった大達茂雄は東京都長官に就任するや、内地人には前線の深刻さがないと、上野動物園の動物の「戦時猛獣処分」を命じた。動物園の必死の努力で象を仙台動物園へ疎開が決まったにもかかわらず大達茂雄は「動物を殺すこと」に拘った。

サヨンの事故死と象の殺害。その後やってくる「美談」。その「祭り」で人心を制御せんとするところは同じである。

 

大林清の『サヨンの鐘』は文学として何の評価もできない奇怪な作品だ。ただ、サヨンの「本当の在り方」を図らずも露呈してしまった記録なのかもしれない。