昔付き合ってた人に、謝りすぎだとキレられた事がある。こうなった場合はすごくムズい。

もちろん謝ったら火に油を注ぐし、けど申し訳ない気持ちがあるのも本当なのだ。






何で謝りすぎてしまったかといえば、嫌われたくなかったからだ。もとい好かれたかったからだ。もっと言えば自分を守りたかったから。

泣ける話である。

痴話喧嘩から戦争まで、我々は常にこの問題に悩まされたり喜ばされたりしている気がする。











僕はわがまま人間なので、人に嫌われる事が多いし嫌う事も多い。僕の事を嫌う人もわがまま人間が多い。というか周りにわがままな奴が多すぎる。でもわがままな人が好きでもある。

わがまま人間はみんな、生き方を考える。

開きなおるか、味方を増やすか、丸くなるか、それとも死ぬか。






当たり前だけど正解はないから、自分なりに調整や努力をしながらやって行くしかない。向き不向きや運などがこの世にはあるみたいなので、気が狂いそうになるときは誰にでも当然来る。僕にも来たし、今後も来る。今も来てる。

だから個人的には、上手くいかなくても自分と他人を責めすぎない方が良いんじゃないかなあと思う。やっぱり戦争は良くないですよ。銃や爆弾、細菌兵器が登場するのだけが戦争ではないです。











最初の謝りすぎ問題に関しては、いまだに答えはわからない。もしかしたら奇声をあげながら窓ガラスをブチ破り、ヨダレを垂らしながら地面を転げ回るのが正解だったかもしれないけど、本当にわからない。






もちろんその人とは別れたけど、彼女も俺も今も生きて暮らしてるし、変化をしたりしなかったりしつつ、過去や未来について色々な事を考えてると思う。世界には人がたくさんいるし、やってしまった事は消えたり消えなかったりするし、相応の結果が来たり来なかったりするし、わからない事ばかりだ。






それらの経験を踏まえて今は、自分と相手にとって、最適なありがとうとごめんなさいが言える人になりたいなと思ってます。それが礼儀というものだと学んだからです。







:ベン

私が住んでいるアパートの隣の部屋には20代くらいのネパール人の男性が一人で住んでいる。



一晩中友人と騒いでいたり夜中にベランダに設置している洗濯機を回したり、結構やりたい放題のネパール人だ。






私はラジオとYouTubeclubhouseを同時に付けたまま寝るくらい騒音に耐性があるので大丈夫だ。

というか騒音があった方が人間を感じられて安心するのでむしろありがたい。



しかし、大多数の人間とって騒音は騒音なので、ある日その部屋に怒鳴り込んでいった男がいた。




隣の部屋の中にいる自分にも鮮明に聞こえる怒鳴りを玄関先でキメているその男はネパール人の騒音部屋の上の階、つまり私が住んでいる斜め上の階の住人だった。




男の声からして60代近い老人、おそらく日本人だ。




その男がいうには夜中に洗濯機を回すな、という事らしい。正しい怒りだ。



それに対してネパール人は日本語がまだほぼできないようで何度も聞き返している。



しばらく怒鳴られた彼は

それまでほとんど日本語を喋れていなかったのに、突然流暢なイントネーションで、

「言いがかり!言いがかり!」

と連呼し始めた。






洗濯機を夜中に回している音は自分も何度も聞いたので言いがかりでは無いのは確実である。





しかし、彼は「言いがかり」と連呼する。




怒鳴ってきた老人も言いがかりじゃないだろう!と反論するがそれをかき消すスピードで


「言いがかり!言いがかり!」

とだけ連呼し続けていた。





暫くして老人は埒があかないと諦め、その場は収まったようだった。





その時、私は何故彼が「言いがかり」という日本語だけを流暢に話せるようになったかを考えた。




彼は日本語をほとんど話せない為、悪い日本人に何度も騙されたのかもしれない。




その連続の中、「言いがかり」だと言えばやっかい事に巻き込まれない事を学んだのかもしれない。





それが母国を離れ、単身日本で働く彼が編み出した唯一の対処法だったのかもしれない。





または全部嘘で本当は日本語を喋れないふりをしていたのかもしれない。

お久しぶりです。ご無沙汰してました。

 

三日坊主にならない秘訣は「三日坊主になってしまった……」と凹まないこと、というのを鵜呑みにして、ただ今復活しました。昔から都合の良いことを一気飲みする能力だけは高いので、誰からなんと言われようと気にしません。

 

去年は激動の一年で、とはいっても波風立てないことがモットーの私なので、波打ち際でちょっとはしゃいでたらズボンが濡れちゃってちょっとテンション下がるくらいの波だったのですが、初めて会社を辞めて、フリーランスというなのフリーターをブチ過ごしていました。ウーバーやらadobe土方、色々なバイトをさせてもらってどうにか2021年を迎えることができました。皆さんのおかげですし、皆さんのせいです。

 

なので今日は去年新しく学んだこれからの人生で少しでも死ななくなる方法を教えたいと思います。

 

「今精神が死にそうな人はすぐ仕事を辞めろ」

 

まあそれは言い過ぎなんですけど、今仕事でなにやらされてるのかわからなくて精神が死にそうな人は仕事を辞めてみると結構しっくりくるかも、ということです。

 

恐らく、大半の人は一番やりたい仕事をやれてないと思います。就活の時期に無理やり自分の沼を素潜りして、酸欠状態のまま受かってしまったところで働いていると思います、もしくは、もっと良くないパターンとして、自分が行きたいところで働けているのに、何故か違和感が拭えなくて、でも人には言えないもやもやが蓄積しているパターンです。

 

でもどちらにせよ、問題は一緒で「自分はなにをやっているんだろう?」と自分を疑うことが一番精神にダメージがあることなんだと思います。

 

(たかが一年未満しか働いていない奴がなにをいっているんだ?という人もいるかもしれませんが、そういう人たちのことは知りません、すぐにこのページを閉じて中田敦彦のYouTube大学を見にいった方が良いと思います。)

 

自分がやりたかったことはこんなことなのか?自分ならもっとできるはず、学生生活で学んできたことをこんなことに活かしたくない等、案外隙間のある社会人生活のその隙間という隙間にそういった風が吹くでしょう。

 

まあそれを考えれるだけ余裕があるということはある意味幸福なことなんですが、ちょっとした幸福は自分を蝕む毒ともなるので、扱い方が難しいと思います。

 

そういった毒に蝕まれてしまっている人はいっそ仕事を辞めてみればいいと思います。

 

(という言葉を真に受けて仕事を今の時期に本当に辞めてしまうと、それはそれで死にかねないので、辞めた後の想像をするくらいにしとくのがいいかもしれません。私みたいになります。)

 

仕事を辞めてみると、小学校をサボった午前中みたいにとんでもない全能感に包まれますが、その日の午後みたいにあっという間に孤独感と焦りにかわります。

 

それからはマジの意味で生きていかないといけないので、働かざるを得ません。「ザ・ノンフィクション」さながら「生きて〜る、生きている〜」というBGMが聞こえてきながら、生きるために働いているのか、税金を払うために生きているのか良くわからなくなりながら過ごすことになります。

 

ところが案外しっくりくるもので、(ボンバーマンのサドンデスのように自分のエリア内にどんどんブロックが降ってくるので、え?ボンバーマンやったことないからわからない?じゃあ星のカービィの強制スクロールみたいな感じで、自分の意思とは関係なく当たると死ぬブロックや壁が容赦無く迫ってくるので)自分の一挙手一投足全てが自分が生きるためにやっている行動になります。というかなるしか選択肢はありません。本当です。

 

この感覚は良く知っていますよね、そう、課題の締め切り日直前の感覚です。一番良くない感覚ですが、自分の経験からすると、締め切りに追われている精神のすり減らし方と、自分を疑ってしまって精神をすり減らしてしまう方だと、圧倒的に後者の方が良くないと思うので、まずはここからだと思います。

 

↑時間制限が迫ると容赦無くエリアが狭くなる

 

↑迫ってくる壁にぶつかると死ぬ

 

人生の締め切り日の感覚を知ってしまえば、どんな仕事もしっくりくるとか、自分がやりたいことではない、とかいってられなくなります。今からでもやれることは無限にありますが、案外それをやるためには色々な下準備が必要だということを知れます。

 

↑色々なスキルを覚えることができるが、そのためにはしっかり初歩的なスキルから育てていかないといけない

 

そういった人生の長いスパンでの生き方が想像できる人は自分はどう生きればいいのか、という悩みを甘やかせてパンパンに太らせてはいないと思うのですが、でも要するに、今まで高校とか大学とかの3年間とか4年間でのスパンでしか人生を考えてくることに慣れてないと思うので急に社会にほっぽり出されて難しいと思いますが、60年制の学校だと思えばもっと気持ちは楽になるんじゃないですかね、だとしたら4年制の大学でいったら社会人一年目なんて、まだ入学して一ヶ月も経ってないですからね、まだどの部活にしようかな〜なんて浮かれている時期なので、好きに浮かれるべきだと思います、知りませんけど。

 

7年ほど前、ほんの1ヶ月ほどだが、ある非合法なアルバイトをしていた。まあ殺し屋なんだけども、決して現実の人間の命を奪うものではなくて、将来産まれてくるかもしれない人間の一人か二人、その可能性を奪う程度の仕事だ。
簡単に言うと依頼を受けて、ターゲットの生殖機能だけを破壊するという仕事で、殺し屋というより去勢請負人と言えるかもしれない。 

少し思い出しながら書いていこうと思う。 

大学受験に失敗し、浪人生というよりはニートの穀潰しの比率の方が高いような生活を送っていた頃、バイトを始めようと思った。 

思い立ったのが家だったらマイナビやらで適当に検索して、応募したりしなかったりしてたんだろうけど、そのとき生憎俺は新宿にいた。 
予備校が新宿なので、どこか近場でバイト募集でもしてないかなと、手当たり次第に近くの店に貼ってある求人を探すという、非常に効率の悪い手法をとってしまっていた。 

飲食店やコンビニなどの求人に対して「大変そうだし嫌だな…」「こんな場所に来る客は質が悪いだろ…」と永遠に逃げ腰になり、ひたすら歩き続け、TSUTAYAに寄るなどをし、また歩き続けた。今でも思うが、こんな奴がまともに勤め先を見つられる筈がない。 

新宿二丁目付近を歩いていると電柱に求人広告を見つけた。 
文面は思い出せないがデスクワークで短期間可能、高時給という美味しくて胡散臭い話が載っていたと思う。 
飲食コンビニ有象無象の求人に辟易していた俺は、興味本位と怖いもの見たさで記載されていた電話番号にかけ、ものの見事にこの後すぐ面接となった。

指定された住所が角海老ビルだったのでその時点で嫌な予感がしていたが、ちゃんと見ようによってはインテリヤクザな社長が対応してくれ、その仕事内容も、ちゃんと振り込め詐欺だった。 
社長はここまで見たからには共犯者になってもらいたさ、タダで逃げられるわけないよなあ?感を出して強制的に研修期間がスタートしたわけだが、俺のあまりの詐欺への適性のなさを見るにつけてある仕事を持ちかけてきた。

それが、生殖機能専門の殺し屋として暗躍することだった。勿論殺し屋というのは俺が勝手にそう呼称しているだけで、当初社長からの説明では浮気性の旦那の制裁の依頼だよ、と聞かされていた。いくら遊び人であろうと、その性欲の根幹である生殖機能を無力化すれば過ちは起こりようがないという理屈である。
そして、どう考えてもカタギじゃないターゲットも含まれていたので組のケジメもつけされされていたんだろうなと思う。 

簡単に業務内容を説明すると、ターゲットの行動圏や1日のルーティンなどが記されたプロファイルを参考に尾行し、隙をみて気付かれないように相手の体内に薬を投与する。これを一人につき1ヶ月、平均3-5回ほど繰り返す。 
あるときは喫茶店でコーヒーに混ぜ、またあるときはプールでウォーキング中に注射器で注入した。

薬の成分は詳しくは知らないが、投薬を重ねるごとに胸部が膨らんでいく対象を見て何となく察しがついた。 
そうして傍目から見て充分に巨乳になったところで任は終わる。

同じ男性性に属している傍ら、ゾッとする行為ではあれど、社長の
「これは望まない妊娠を未然に防ぐ、最も優しい中絶手術だから」「犬猫の去勢と同じ」 
という論法に励まされた。 

1ヶ月が過ぎた頃、銭湯で3人目の去勢執行中に普通にバレて手首を捕まれた。焦って電気風呂に突き落とし、一瞬硬直したところで半裸のまま逃げ帰った。 
その後怖くなり、社長に辞意を表すと30万もらって普通に辞められた。 

俺が巨乳にした二人はどうしているだろうか、そんなことを考えながら、俺はそのお金で雑にMacBook Proを買い、この記事を書いている。     


便所とメニュー表が同じくらい汚い居酒屋での出来事。



サングラスをかけた老人が店の前をうろつき、店の奥にいる別の老人に対して怒鳴り続けている。表に出ろ、だとか言っているのだが、どうにも演技臭い。



騒いでいた老人は、店長に適当にあしらわれて帰っていった。ついでに店長が解説してくれた。

あのじいさんは昔は男前で、女を囲ったり売ったり、相当悪い事もしてたけど、あんなヨボヨボになったら格好がつかないと笑いながら話してくれた。要するに時代遅れだと。



店の奥にいる、怒鳴られていた方の老人はうまくやってる。年相応なのか、それとも元々の人柄なのか、仲間に囲まれながら楽しそうにしている。こっちの勝ちだ。飯にも酒にもありつけている。



追い払われた老人はあわれだ。金も美貌も失い、今までとやり方を変えれないから欲しい物も手に入れられない。誰にも仲間にいれてもらえない厄介者である。やっぱり夜中にサングラスをかけているような奴にろくなのはいない。



けれども、きちんとした身なりをしていてろくでもない人間も、あわれな奴も、自分があわれじゃないと思いこんでる奴も、どこにでもいくらでもいる。



会計を済ませて居酒屋を出ると、あわれな老人はまだ店の近くをうろついていた。おぼつかない足取り、肩をいからせながらマクドナルドに入って行った。

それを女性店員が快く受け入れる。いらっしゃいませ。

あの店員の前世はほぼ間違いなく女神だ。






:ベン








ソファが家に来た。



出会いは駅から家までの帰り道だった。


ご自由にお持ち帰りくださいという張り紙の下にいろんな家具や家電が置いてあり、その中に一際目を引く大きい真っ赤なソファが鎮座していた。



ソファがずっと欲しかったので頑張って持って帰った。



勢いで持って帰ってしまい全然ドアより大きかったのでアパートの廊下で解体してから入れた。



部屋も置く場所が無かったので家具を全部ひっくり返して無理やりソファの場所を作った。



そして遂にソファを迎え入れる。




凄い!



めちゃくちゃフカフカだし、180㎝くらいの長さがあるので縦横に10パターンくらい座り方がある。



肘置きの部分は結構広くてティッシュ箱とか延長コードとかなら置ける。




あと、いままではベッドに座っていたのだが、そのままご飯を食べるのはなんとなく駄目な気がしていたが、

ソファでご飯食べたらなんかいい感じだ。


同じフカフカなのに。





あと180㎝くらいあるので余裕で寝れる。





当然、初夜はソファで寝た。



ベッドがあるのに。



ベッドを横目で見ながらソファで寝る感覚は格別だった。

知らないけど浮気とか多分こんな感じなのだろう。



でもベッドとフカフカさは変わらないのに翌朝めちゃくちゃ腰が痛かった。



ベッドは凄かった。


でもベッドの凄さも教えてくれるソファはもっと凄い。






あと、背もたれと下敷きの部分が取れるようになっているので間にいろんなものが入り込む。






充電ケーブルとかは常に2本は入ってるし

ゴミとかめちゃくちゃ入ってるし

小銭も100円以上は入ってるし

スマホなんか無くしたら80%の確率ではソファが確保しておいてくれている。







いろんなものが入っていたが1番でかかったのが2リットルペットボトル。

中身パンパンに入ってるやつ。








ソファ凄すぎない?









大雪山


最近とてもよく振り返ります。

愚かな精神や行動の反芻は死ぬほどしていますが、今回は現在の身体的な振り返りです。


部屋の間取りを言います。

中心のソファーに座しているとして正面にテレビと本棚、右側が全面窓、そして背面には壁があります。

そしてその壁には信仰対象が飾ってあります。

好きな芸術家の絵やブリスターに入ったフィギュア、レコードなどです。


これらの存在を確かめるために振り返ります。

1日に何度も振り返りますし、ふとした時に振り返ります。

映画を見てても無性に振り返りたくなり、私を飽きさせません。



理由

①鑑賞物(今回は背面に設置された物のみに絞る)は概ね不変です。

ゆるやかな劣化や崩壊は日常では全く感じませんので、体感恒久的に"あり"続けてくれます。

お馴染みの貧乏性も発動し、いっぺん金払っただけで長く楽しめる。そして "ある"だけで良いという素晴らしい次第です。

漫画や映画も生産側の労力に対し消費側の歓喜発動までのコスト(値段読む拘束時間等)の低さが、上記の理由に加わることで好むことを後押しします。

しかし鑑賞物の"みるだけ"に比べると歓喜発動の頻度は下がるため、最も目につく正面に本棚を、背面に鑑賞物を設置することでトータルでの喜びの総量バランスを少しでも平らにしようという試みがあります。


②不完全な部分への補完の意味合いがあります。脳内の独自宇宙の展開は得手ですが伝達能力が不得手であり、あと普通に見てくれが悪すぎることが大きな起因です。

イコール自らを表現という行動が著しくできていないと感じているようです。

伝えたとて、という事は都合よく無視しています。

25年経っても土台すら組みたっていない未熟で稚拙な私自身を、鑑賞物が上乗せで表現してくれるのではないかと期待しています。どうかイメージする背伸びした自分以上の自分を1%でも具現化してくれていますように。


真剣MAXに自分を喜ばせる事ができる物を選ぶ必要があります。

長らく輪っかの外であったり、同じ敷地でも絶妙に組み込めなかったりが続いていますので、ソロ完結する娯楽を欲しました。

探さざるをえないから探したのか、対象の輝きに心を奪われたからなのか、どちらが先だったかは思い出せません。

どちらにしろ面識薄友人の誕プレを選ぶような訳にはいかなく、今思えば血眼で探していたように思います。

そういった状況のなか見つけ出した逸品たちがすぐそばにあってとても幸せです。

これから先も沢山出会えたらいいなと思います。



今はない完成に向かって進む背面を楽しみながら、窓のある右面にコレクションケースを複数設置しています。

(自分なりに)ある程度の美しさを感じるようアイテムを陳列していくと安らぎを感じます。

そして壁をつくっているような感覚もあります。


正面右面背面はもう概ね大丈夫です。

そして左面は部屋の出口へと続いています。入口ではなく"出口"です。

そちらまで塞いでしまわないように細心の注意を払いつつ、城ではなく強固な意思ある部屋に留めておきたいです。

愚か者め、強固な意思のある人間から生み出されたただの部屋を目指せ。


あざみ



最近は芸術や文字から遠ざかっていて、あまり書きたいこともなくなってしまうとからっきし書けなくなる。書けない理由についてこれから書いていこうと思う。

 

こういった突然ライフスタイルが変わることは今までの人生でたびたび起こっていて、高校の頃にもその大規模な絶滅期が起こり、それからあんまり音楽を聴かなくなった。このように知り尽くしたとはあまりにも言えない状況なのに、突然「なんかマスターしたわ」感を感じて、興味がなくなってしまうことがある。すでにヤフオクで販売されている怪しい遊戯王カードのサーチ法や、ジャンプの最後のページのヤバめのサプリメントの通販などは克服済みである。

こういった変化は後々から考えると、わりと正しいことが多いので、あまり抗わずにあるがままに受け入れることにしていて、それ自体がこの変化を克服しているということなのかもしれない。

変わることに抗わない、と言うことだけが変わらないことだが、それを続けてしまうと変わることが変わらないことが変わらなくなってしまうので、変わることを変わらなくなることで変わるといった手段をとることもある。

まあ、要するに何も考えていないのである。

しかし、最近では考えないことでより考えないといけなくなってしまう状況になってしまうことが多いということを考えることが多くなったので、考えないために考えるようにすることにしている。あまり生活のために考えることはしたくないので、考えることについてしっかり考えないといけないようである。

つまり、いい感じにやるということである。

しかし、たまに、いい感じにやり続けている自分に嫌な感じを抱くことがあり、そうならないためにいい感じでい続けるために、時にはいい感じに嫌な感じを抱くようにして、いい感じを保つようにしているが、それこそが嫌な感じの元凶なのではないかと気づいてしまったので、嫌な感じのまま嫌な感じを味わうということも意識している。しかしそれを続ければ続けるほど嫌な感じはいい感じに変わっていくのでどうにか嫌な感じを保ったままいい感じになる方法がないか今も探している。

 

なんにしろ書きたくないときには書かないべきだし、寝たいときに寝るべきで、結局のところ頑張らないといけなくなったときににっちもさっちもいかなくなってどうにか生活するためにやるしかなくなって、生活と理想と好きなことを擦り合わせてその絞り汁を啜るしかない。それが今の『生ショップ』である。

 

おっと、そうそう偶然話が出てきたから宣伝すると『生ショップ』という活動をInstagramで始めたので「@nama_shop」で検索してみてね。生ぬるいものを生ぬるく売るオンラインリサイクルショップだよ。絶賛発売中!お客様はみなさん満足しています!

 

 

8/27(木) ひまわり組

しゅうへいくんたち仲良し元気っこグループは、ポケモンごっこでいつも通り☀️でも全員ミュウツー💧

お昼寝のあと、りゅうせいくんがマタビちゃんのくまちゃんパンツを急に脱がして奪い去りました。 
玉井先生と一緒に少し厳しく叱ったところ、泣き出してしまい… 
どうやら自分のおぱんつはうんちを漏らしてしまって、それを隠したかったみたいです💦
明日からりゅうせいくんの牛乳に下痢止め入れてください。 

たいがくんが何度戻しても備品のカスタネットの紐を全てほどいてしまいます… 

8/28(金) ひまわり組

たいせいくんがまつぼっくりを沢山持ってきてくれました。最初は皆に配っていましたが、途中からまきびしの要領で園内に撒き、先生が罠にかかるのを楽しんでいました。 
非常に危険なので、明日登園時に持ち物チェックしてお母さんに預かってもらってください。(前回、たいせいくんは取れた乳歯の穴に玩具を隠していたので注意!) 


園内で時折する異臭に関してですが、原因が分かりました。 
ダクトや机の隙間のところに、お給食で残された肉の脂身が敷き詰められ、腐っていました。(恐らくミカンちゃんかと思われます) 
単純にお残しを隠したいのか、腐らせて異臭を楽しんでいたのか判断しかねますので、観察して後者の場合は親御さんに通達願います 

少し虚言癖のあるみなみちゃん、前回Nintendo Switch2(実在しない)を所有しているという旨の主張を組の全員に無視されていましたが、誰も信じなくなったことがわかったのか、ついにターゲットを年少の子たちに絞り始めました

追伸
たいがくんが何度戻しても備品のカスタネットの紐を全てほどいてしまう件ですが、本日すべて処分し、マラカスに変えました。




世代的に幼少期からドラえもんを観て育ったが、しずかちゃんの入浴回数の多さには辟易させられた。




事あるごとに風呂。しかも多くがシャワーを垂れ流している場面だ。水を大事にして欲しい。

映画版でバギーちゃんが爆発四散しようとも、テレビ版ではいつものように風呂。これが生活というものかと、割り切る事の必要性を苦味と共に教えられた。


あの異常な湯浴みの回数も、常に綺麗でありたい乙女心からの奇行と思えば理解出来なくもない。

しかし過度な保湿洗体はかえって肌に良くないと知ってからは、なんと哀れな女よと心中彼女を小馬鹿にしていた事も認めなければならない。







しかし今の自分を見ればどうだろう。

隙あらば銭湯、深夜に目を覚ませば自転車を漕ぎ24時間営業のサウナに飛び込み、帰り道汗をかけばまたひとっ風呂浴びたいなと考える始末である。

入浴中という理由で連絡に出れず、他人に迷惑をかけた事も何度かあった。もはやしずかちゃんを責める義理は一切ない。むしろ気付けば私は、幼少期の自分に責められる立場にいるのだ。


一体全体どうしてしまったのか。




自己省察の末、この体たらくは不健康だからという事に気付いた。

普段から酒タバコを体内にぶち込み、日光を浴びず液晶を眺め、日によっては朝寝て夜起きる堕落した生活自体が風呂を求めているのである。




昔は水風呂を拷問の道具だと思っていたが、今は宇宙か何かだと思っている。これは間違いなく退化である。

加えて銭湯サウナに反社会的な人々がたむろする理由もわかった。彼らもまた、比喩ではなく肉体的に不健康な生活を送っているのである。







結論、しずかちゃんも不健康な人間である。


しかし生きて年を重ねる事は、必ず健康的でない側面を持っているものだ。この気付きも幼少期の私には理解出来ないだろう。


今は深く反省し、彼女に対する無礼を恥じる毎日である。もし慈悲の心があれば水に流して欲しい。そしてついでに背中も流して欲しい。






:ベン