今日も性被害による脳神経の異常で、耳官が不随運動を起こし頭の中を凄まじい音が、鳴り響いている。

それはまるで洞窟の中でカスタネットを鳴らすと音が反響するような感じで、起床時から寝るまで鳴り響き続け止まることはない。

視界も相変わらず、水の中にいるように揺らいではっきり見えない。

首から上、頭の中、耳の中は相変わらず、トラウマという石のような異常な筋緊張で、首から下は離人感でよく感覚がわからない。

そして、自分が外の世界と隔絶されたような、性被害前まで生きていた世界と違うパラレルワールドにいるような現実感喪失症状。

そして、人の機微がよくわからない。

辛い、、、

が、身体の中は、落ち着きやすくなり、筋緊張もリリースし続けている

起き上がれる日も、多くなってきた。




裁判が始まりあと少しで2年になるが、提出するべき証言、見解、証拠、診断書、意見書等、2021年1月12日の期限にだし終わり、今日までただただ茫然と日々が過ぎた。

裁判がはじまり次から次へと問題が起き、弁護士も三人変わったが、支えてくださった方々、協力してくださった方々のおかげで、なにもするべきことがない日々が訪れた。

そしてここにきてやっと気力が回復してきた。


が、同時に、依然、消化できない様々な思いも巡る。


性被害から、凄まじい人間には起こりえないような症状にみまわれ、それまで大切に生きてきた人生を加害者にメチャクチャにされ、破滅させられ、失わされた、悔しさと憎悪と憤り、恨み。

真夜中目が覚め、この6年、加害者、加害者家族、そして裁判がはじまると、加害者が性被害行為をタントラヨガと正当化し、それに対して正当化する証言を出した女性ヨガ講師達を心の中で何千回メッタ刺しにしてきたかわからない。

言い方をかえれば、それぐらいの憎悪を私に加害者達は抱かせることをしたが、私はこの六年、心の中でそれぐらいのことしかできず、加害者達に対してなにもすることができなかった。


精神科医達は、

「性被害を振り返らず新しい記憶を重ねたほうがいい」、
「前を向いて行け」、

「裁判をしても虚無感が残るだけ」、

「裁判をすると症状が酷くなるからやめた方がいい」と


精神科の「セオリー」を私にいい続けた。



その言葉は、私の心にとって、一切受け入れることはできないものであった。




前を向いていけるくらいなら、精神科になど何年も通わない。




そして8人目の最後の精神科医だけが、「症状が酷くなったら僕がサポートしますから、加害者のもとに証拠をとりにいってきたらいいですよ」と。




その精神科医だけが、「私」を観た。





他の精神科医達が聞けば、患者にとって無責任な発言だと捉えるかもしれない。



が、私は、この精神科医だけか、この精神科医の「責任」において、患者である私に向き合い、精神科医として患者の私に「責任をとった」発言をしたと、現在でも考える。



私にとって「症状」など酷くなろうが、加害者達と相討ちして死のうがどっちだっていいことだった。



それよりも、加害者達によって頭から首、胸にかけて直線上に何本も突き刺さされたように感じる包丁を抜きたいと思う思いしかなかった。




それが私に突き刺さったまま人生を送ることは耐えがたいものだった。





そして、それが、「症状」を発生させている原因の一つだということも、私にはわかっていた。




例え時間が経過し、精神科医達が、私が回復したと思ったとしても、回復など見せかけにしかすぎない。





精神科医達は、時間が解決すると言うだろう。



が、傷つけられた私の自尊心は、加害者達によって私の身体に突き刺さされた包丁を、加害者達に突き刺し返すことによってしか回復しないことは私はわかっていた。



そして、身体に包丁が突き刺さったまま、精神科医達が表面的に回復したように見える身体と、ズタズタの自尊心で生きていく選択肢を選らんで、生きていくことなど私にはないこともわかっていた。





「私」がどうすれば、この性被害からぬけだせるのかは、「私」が一番その方法を知ってる。



私には、私の身体に突き立てられた包丁を、加害者達に突き刺し返す為に、





「裁判」をする以外方法はなかった。






そして、それ以外に、私を回復させる方法はないことを確信していた。




そして、裁判を起こせば、加害者家族が、加害者が性被害を起こすことを止めてくれると考えていたが、現実にはそれはなかった。





いずれにしても、8人目の精神科医だけが
患者である私が回復するために、精神科医として患者である私に「責任」をとったのだ。





この精神科医が、自分を守れば、患者にも自分にもリスクがあるこの決断はしない。



他の精神科医達と同じように、患者にもリスクがないと思われ、医師にも全くリスクのない、ありきたりな「精神科セオリー」を私に言ったであろう。





だが、8人目の精神科医は、私が回復する為にとらなければならないと選択した、私の決断のリスクを、この精神科医は、患者の私と一緒に、医師として患者に為に、医師としてリスクのある責任を患者である私にとったのだと私は確信する。




その医師は、私自身を観たのだ、


そして、私が回復するために何が必要なのか、理解したのだと考える。






私は「症状」でもなく、「症例」でもない。





性被害にあい、「症状」をもっている「私」なのだ。



患者は固有の人間だ、「セオリー」に当てはめるのではなく、患者を固有の人間として、観て、そして理解して欲しい。




今までの精神科医達にそう言いたい。





(前出の大学病院精神科医は、

私を「症例」と記載し、

私の「症状」を治す為に医師として自分はいる、

「症状」を治すためにいるのだからあなたに起こったことを知る必要はないですよね、

性被害を振り返らず前をみるというのは精神科の「セオリー」ですから

と言いマインドフルネスを語ってきた。

私を観ることができないこの医師が全く勘違いした、

自分の傷つい心をみずに(蓋をして)過去を振り返らず前だけみて進むという、精神科の治療の考えであると言い「マインドフルネス」を私に語ってきた、、


私を観ないで(理解しないで)、私の症状をどう治す気なのか、、薬で症状を抑えて治した気になっているのだろうと、、


患者を治すのは患者自身だ、医師はそのサポートしかできない、、それがこの大学病院精神科医師にはわかってない、、、



この医師の「みる」は、



「観る」でもない「診る」でもない「見る」でもない、



患者を「みない」のだ、、、

患者を「みないと決めている」のだと



先日8人目の精神科医に大学病院精神科医のことを相談にいき、大学病院精神科医が私に署名捺印入りで出してきた

「診断の説明はしない、診断を変えない」という書面を見てもらった。


8人目の精神科医は

「覚悟がないんですよ」と


大学病院精神科医のことを言った。




私はそれを聞き、この8人目の精神科医は患者に対して


「覚悟」



をもって診療診断をしているのだとわかった。)





私は、被害から、何故加害者から被害を受けたのかわからず、その理由を考えることが頭から離れなかった。



裁判をしていくなかで、加害者からの答弁書や準備書面の嘘偽りで、加害者の中にはヨガのタントリック(性被害行為)というものを正当性があってしたのではないことははっきりわかり、加害者が表向きに見せる信頼されているものとは全く違う人格もわかった。





そして、協力してくださった証言者、タントラヨガについての見解をくださった方、意見書をくださった医師や関係者の方々のおかげで、加害者に真実をつきつけることができた。




そして先日それを全て裁判に提出し、


6年間続いた、真夜中に加害者達を心の中でメッタ刺しにすることは終わった。




そして、性被害から今日はじめて、安穏とした心地よい時間を束の間だが、感じた。






性被害前に感じていた、穏やかなゆっくりとした時間だった。