A type of the Leoのブログ

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あれは忘れもしない2009年11月某日。上司とその担当先に決算報告に行った時のこと。

その頃そもそも私はもう精神的にギリギリの状態であった。入社して一年の頃、ほぼ同期の二人は担当7件に。

私は1件・・・。勿論それから頑張った。同期は一人辞め、もう一人の人は早く帰る中、遅くまで上司の決算をいくつも組んだ。決算を終える度に担当変更をお願いした。いつも「わかった、私としてはいいが、社長と相談する」という返答だった。上司からその後の報告があった先は一件もなかった。それでも私は文句も言わずせっせと決算を組んだ。担当が少なすぎて辛いということも相談したはずである。あの人は忙しいからしょうがないよ、と周りの人は言った。


あれは今年と違って11月からもう寒い年であった。SMOの経営者と件の上司は仲が良く、決算報告後飲みにいくという話である。要するに私は運転手扱いなのである。

それだけではなく、行きの車の中では、上司が私にネチネチ嫌みを言ってくる。趣旨としては、私が担当している間接的な業務の提出書類(全員提出義務がある)を自分は出しているのに、私がカウントせず掲示板で皆に報告したではないか、という内容である。なんて小さい人だ!と思った。

この人は社長の次に偉い人だが、自分の担当以外の事は全然せず、上記のような提出書類もだいたい下から

数えて4割以下の早さと提出具合の人である。

それなのに、ネチネチと10分くらい言われた。よくもまあ。吐き気がした。


SMOでも経営者と話をした私に、「お前は黙っていろ」と言ってきたwろくにチェックもしていなかったから、事業税が違っていて、計算していたのでテンパっていたのである。ああ情けない。

ただ、私は自分が必要とされるのを強く求めるので、お客さんと話もできない状態にされるのは非常に辛かった。

自分の担当が持てないということは、自分の名前で仕事をする時がほとんどないということである。

勿論業界柄どこの事務所でもある、担当給という売上連動歩合給も私は全然ない。

この日夜帰る時、私の精神不安はピークになった。誰にも必要とされず、死んでしまった方がいいとさえ思った。

帰りの車の中で泣いたのが忘れられない。まあ職場自体には仲の良い(かわいがってくれている)先輩もいたし

、救いがなかったわけではない。


私がこの上司を嫌うのは、こういったことがあっても、すぐ忘れて、大事な相談も忘れて、シレっとして全て済ませてしまうところである。それでいて、社長へのアピールだけは忘れず、私が売上NO1ですと会議で威張っている始末である。下の面倒も見ず、担当変更もできず、捌ききれない仕事を垂れ流している。


SMOの後、彼が懲りもせず「○○君に成長する機会をあげよう」といって、決算を振ってきた。何故「お願いね」

くらいで頼めないのか。私は感情的で態度に出やすいのである。こんなに一緒にいるのに、相談も忘れ、極度に元気がなくなっている私にも気付けず、馬鹿なことを言っている。

この瞬間私の中で何かが切れた。2010年1月、後頭部に10円ハゲができていた。

これ以来今までずっとこいつが嫌で仕方がなかった。

結局社長に直接お願いするようにしたのと、直の上司(先輩)が自分を犠牲にしてまで私の為に行動してくれたため、今はやっと担当10件を超えている。

それと精一杯やったお客さんに先週お礼の手紙をもらった。私が客観的に見て頑張れていたかどうかはわからないが、嫌味な上司には一矢報いたような気分になった。


でも彼を憎むのもここまでとしよう。タイトルとは逆説的になるが、この屈辱的な思いは忘れないようにして、上司のことは忘れようと思う。どのみちナルシストな彼の脳みそでは、繊細な私を少しでも理解することは一生ないであろう。


心ある先輩に救われて、周りの人に助けられて、やっと仕事にやりがいが出てきた。

悔しいあの思いは忘れずに、ただ、もう過去には囚われないようにしよう。


リメンバーSMO