先の第二次安倍政権から2%のインフレターゲットをつけた異次元金融緩和政策が導入され、菅義偉政権に移行してからもそれが引き継がれています。時評編ブログで書きましたが、今月10月14日に自民党有志議員による勉強会=経世済民政策研究会が菅総理に提出した緊急経済対策の提言書にも政府が2012年度中のインフレ率2%達成を実現させるよう日銀に要請することを案に盛り込んでいます。

長島昭久議員による報告

 

異次元金融緩和政策やインフレ目標の目的は単にインフレ状態にすること自体が目的ではなく、企業がモノやサービスの生産のために積極的な投資(研究開発・設備・人材育成など)を促し、それによって雇用拡大と就労者への所得分配を進めることが目的なのだと何度となく私は説明してきました。一見物価安が続くことは消費者にとって非常にありがたいことだと思われがちですが、モノやサービスといった商品を生産する側にとっては物価下落が進むと収益を圧迫されていきます。売上げが落ち込んでも利益を確保し続けるために企業が採る行動は人件費や原材料費、関連企業への支払いを圧縮して利益を確保することです。連続的な物価下落=デフレーションは雇用の抑制や賃金下落につながり、結果として勤労者の所得を減殺することにつながります

しかしながら相変わらず「物価が下がってくれた方が生活が楽になっていいじゃないか」「円安なんかより円高の方が日本は豊かになれる」などという人が絶えません。日本では第2次世界大戦後や石油ショックに起きたインフレがトラウマになっているかのように、わずか2%程度の物価上昇さえ許さないという人が多いです。戦前まで時間を遡ると昭和大恐慌のときにも大阪毎日新聞が「下る・下る物価 よいお正月ができるとほくそえむサラリーマン」などという見出しの記事を書いており、90年以上も日本人の経済観は全然変わっていないのだなと思わざるえません。

 

本来の健全な経済成長というものは生産者が創意工夫をこらしてより優れたモノやサービスを産み、それに惹かれた消費者が多少価格が高くなっても買うといった購買行動をとることで進んでいきます。このことでより多くの富や財を得た生産者が逆に消費者となって付加価値の高い優れた商品を多く買ったり、従業員に所得分配を進めることでより旺盛な消費と成長につながっていくという流れです。ですので物価上昇率数%というのが生産者にとっても消費者にとってもWIN=WINの状態となってきます。勤労者=消費者の購買力低下が招く物価下落(デフレ)は生産者の創意工夫の意欲を削ぎ、モノやサービスの質や魅力がじわじわと低下していくことになっていくのです。

 

1980年代までの日本の自動車産業や電機産業は世界市場を席捲するほどの勢いがありましたが、1990年代に日銀の三重野康総裁が金融引き締めをしてしまってから企業は積極投資をしづらくなり、画期的な新製品や技術開発のための投資を抑制せざるえなくなりました。そして同時に企業の人員削減や賃下げがはじまりデフレ不況が本格化します。この時期以降から日本のものづくりは魅力や質を高めていくことよりも販売価格を抑えることが優先され、簡素化が進んでいきます。経営戦略も保守的にならざるえなくなり、商品の企画者や開発者が革新的なアイデアを持っていても「確実に売れるという保証がない」という理由で不採用になってしまうこともあったでしょう。1980年代までに築き上げた日本製品の革新性や高いブランド力が20年以上かけて失われ、2010年代には電機製品の販売シェアが中国などの中進国に奪われてしまいました。華系資本に買収されてしまった国内電機メーカーもあります。

 

デフレ(Deflation)というのは連続的な物価下落で不況(Recession)を意味する言葉ではありませんが、この現象の裏に消費者の購買意欲や雇用悪化等による購買力低下があるならば問題です。冒頭で述べたようにインフレターゲットや異次元金融緩和政策の目的を単なる物価上昇を起こせばいいという政策だという間違いをする人はデフレの背景にある萎え切った消費者心理を無視しているのです。いずれにしても長期の慢性的デフレ状態は経済活動を委縮させ続け、国内の産業が衰弱し壊死させられてしまう恐るべきことであります。

 

消費者視点だけでみたときは「物価上昇で家計が苦しくなってしまうよりデフレのままの方がいい」と思えてしまうかも知れませんが、それで済むのは親が莫大な資産を遺してくれて一生働かなくてもいいような人だけです。多くの人は勤労によって賃金を得るなり自営業で稼ぐなりしないと生計が成り立ちません。生産者側・勤労者側・経営者側視点も忘れてはならないのです。

 

もう異次元金融緩和をやめてしまってインフレ目標も撤回し円高容認した方がいいのではないかという人たちがいますが、「物価安が続けば自分たちの生活は苦しくならない」といって積極的に自分たちの稼ぎを増やそうとしないならばそれは非常に危険なゲームです。

なぜ危険なのかといいますと日本以外の他国は経済成長によってじりじりと物価水準を引き上げていっています。日本が鎖国して他国と貿易しなくても食糧や資源が賄えればいいのですがそうはいきません。かつては日本より物価水準や賃金水準が低かった中国などの国から安い食糧品や工業製品を輸入することができていましたが、そうした国も経済成長と賃金・物価上昇を続けています。中国製品も10年以上前に比べると高くなってきました。

 

これは卑近な話ですが自分の趣味である模型商品は10年以上前より中国生産のものが多くなっていました。日本の模型メーカーが当時人件費が安かった中国へ生産拠点を移すことで価格を抑えこんでいたのです。ところが北京オリンピックが行われた年あたりに入ってくると中国の人件費が高騰し中国生産の模型商品の価格が上昇していきます。2000年代には1万円台で買えていた商品が現在2万円以上。300円台で売っていたホビー商品が1000円以上もしています。アベノミクスで円高から円安基調に転じたから価格上昇したという理由だけでは説明できません。というよりも中国の安かった人件費と円高に依存するような商品企画がいつまでも通用するはずがなかったのです。

あと自分はスーパーへ行って買い物をするときに商品の値段を気にしますが、帆立貝など中国産の海産物の値段も上昇しています。

中進国がどんどん豊かになっていくと以前は滅多に食べられなかった牛肉とか豚肉、海産物を多く消費するようになります。以前はそれらを生産する国にとって日本はお得意様のひとつだったのですが、やはり中国など他の中進国が高値で買ってくれるようになると、日本へあまり売らなくなるでしょう。

 

輸入品だけではありません。国産車の価格も海外市場に合わせて上昇してしまいました。日本の国内自動車メーカーにとってデフレにどっぷり浸かってしまっている国内市場よりも、高くたくさん買ってくれる海外市場の方が重要になってきます。100万円以下で買えていた軽自動車や100万円台のコンパクトカーが200万円台になってしまっています。いまや日本の道路や駐車場で見かけるクルマの多数が軽自動車やコンパクトカーです。自動車業界や市場は日本の所得水準や物価水準に合わせてくれることはないのです。海外の水準にあわせて自動車という商品の企画が進められます。

 

ハイパ-インフレを起こしたベネズエラは慢性的なモノ不足状態になってしまいました。社会主義国家の場合、官製統制市場を敷いて食糧品などの価格を極めて低く抑え込みます。当然生産者にとってはつくった作物が安く買い叩かれることになります。当然生産意欲が低くなりますし自国政府に売るのは馬鹿馬鹿しいので高く買ってくれる隣の国に売った方がマシということになります。だから国内は圧倒的なモノ不足になりますし、それがハイパーインフレに滑車をかけるのです。

デフレや円高を歓迎してしまうような人々はモノやサービスの生産者側のことを大事にしようとしていないのではないかと私は思えてなりません。そうした人たちは今後日本は機械や食糧などの生産を他国にまかせ、高い自国通貨にものを言わせ安く輸入てしまえばいいと高をくくっているように感じられます。金融政策を引き締めて自国通貨高とデフレを維持しつづければ日本は世界中から安く豊富な品々を調達し続けられたり、安い人件費で外国人労働者の労働力を確保し続けられるのでしょうか。私はそれはできないと予想します。私はそうした発想は親の財産をあてにしてろくに働かないまま「あれ欲しい」「これ欲しい」と散財を続けていたいというのに等しいと思っています。

 

日本の企業に積極的な事業拡大意欲と次世代商品ならびにそれを創り出すための技術研究投資をしっかりやらせないと国際競争力を失って稼ぐことが難しくなっていく恐れがあります。民間企業の経営者や社員たちが持つ優れたアイデアを商品というかたちにしていくには資金が必要です。その調達を容易にするのが金融緩和政策です。

 

20年とか30年も続いた長期のデフレ状態によって日本国民の多くが「物価が上がらないのが当たり前」という感覚になってしまっています。逆にわずかなインフレさえも恐れてしまっているぐらいです。過去の30年間賃金が伸び悩むどころか下がったり失業などで無収入になるリスクも高まってしまいました。それならば物価が上がらない方がいいと考えてしまう人がたくさん出てきてしまったのです。

しかしながらいくら物価が下がっていっても、自分たちの稼ぎがそれ以上にどんどん下がり続けてしまえば生活不安が増幅します。逆に稼ぐ自信や力がつけばより豊かな生活を志向して高付加価値の商品を積極的に購入するようになり、多少の価格上昇があってもそれを受け入れられるでしょう。価格というハードルが上がっていっても稼ぐ力がつけばそのハードルを超えることができます。

 

いまの日本は自分たちが稼ぐ力や能力を向上させようとせず、物価というハードルを下げてしまえばいいと思っている人が多いのです。かつてゆとり教育が模索されていたとき運動会の徒競走で足の速い子が足の遅い子にあわせてみんな仲良くゴールさせるといったことをやっていましたが、それに近いように私は見えて仕方がありません。

 

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