先日あるスーパーで若い母親が惣菜コーナーで高齢男性から「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」などと暴言を吐かれてしまうという出来事があり、このことがツイッター上で拡散されていました。このことについて別のブログで記事を書いてみました。

新・暮らしの経済手帖~時評編~

母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだという暴言に潜む無知と傲慢

 

上の記事で高齢男性が若い母親に意外と手間がかかるポテトサラダを自分でつくらせることで機会損失が発生してしまうということや、それによって若い母親が外へ働きに行く時間が奪われ、結果的に高齢男性が貰っている年金の財源である社会保険料収入が減ってしまいますよという話をしました。自分は少子高齢化社会を乗り越えるためにはどんどんモノヤサービスの生産効率を上げて、少ない現役世代で多くの高齢世代を支えられるようにしていかないといけないと常々主張しています。だから若い主婦のみなさんはスーパーの惣菜売り場のポテトサラダを買って、効率よく家事をこなしていただきたいと私は思っております。

 

基礎知識編であるこのブログでは上のブログ記事で書いた機会費用と比較優位説のことをもう少し詳しく触れてみることにします。

古典派経済学者の一人であるデービット・リカードが発見したといわれる比較優位説は、学派を問わずほとんどの経済学者が鉄板の経済理論であると認めています。この理論は世間において自分あるいは自国が得意なモノやサービスの生産に特化し、他者や他国が生産したものと交換することで、両者・両国とも豊富なモノやサービスを獲得できて利潤も増えますよということを証明したものです。

 

比較優位と対になるのが絶対優位です。たぬきが経営する農園ときつねが経営する農園があったとします。たぬき農園は12人、きつね農園は6人の農夫を抱えており、ぶどうとりんごを生産しているとしましょう。たぬき農園は4人がぶどうを生産し1単位の収穫があります。りんごは8人で1単位の収穫であるとします。きつね農園はぶどうをたった4人で2単位、すなわち2人で1単位の収穫を得ることができ、りんごは2人で2単位、1人で1単位収穫できます。きつな農園はぶどうもりんごもたぬき農園より効率よく生産できており、たぬき農園に比べ絶対優位です。

これだったらぶどうもりんごもきつね農園で栽培してもらった方が良さそうに見えますね。しかしきつね農園が投入できる労働量や時間は限界があります。6人の農夫を月月火水木金金で24時間働かせるわけにはいきません。完全雇用状態で求人をかけてもこれ以上農夫を雇えないとしましょう。

 

きつね農園がぶどう栽培担当者4人にすれば2単位のみの生産量となりますが、その代わりりんごは2人の担当者で2単位しか生産できません。ぶどうの栽培をやめれば6人で6単位のりんごが生産できるようになります。たぬきときつねが生産・消費できるりんごは3単位から6単位に増えます。逆にたぬきが効率が悪いりんごの生産を諦めればぶどうが3単位生産できます。見方をかえるとときつね農園はぶどう1単位を生産するにはりんご2単位分の生産をあきらめないといけません。しかしりんご1単位を生産する場合はぶどう0.5単位分の生産を諦めるだけで済みます。何かを生産するために犠牲にしたりあきらめないといけないことを機会費用と言います。きつね農園はぶどうの生産を諦めてりんごの生産を頑張った方が得です。

 

一方絶対劣位のたぬき農園ですが、りんごは8人で1単位しか栽培できないけれども、ぶどうの方はもっと効率よく4人で1単位生産できるとします。たぬき農園にとってぶどうの方が機会費用が小さく比較優位なのです。ぶどう1単位の時給を諦めて12人全員をりんごの生産をしてしまうとりんごは0.75単位しか生産できませんが、、りんご1単位の生産を諦めてぶどうの生産に特化すればぶどう3単位の収穫できます。

 

りんごの生産を頑張った方が効率よく生産して稼げるきつね農園はたぬき農園にぶどう3単位の生産をしてもらい、ぶどう2単位とりんご2単位を交換する約束をします。となるとたぬき側は消費できるりんごの数が自給自足より1単位増えて2単位になります。きつねは2単位のぶどうを消費するには自給自足だとりんごの生産を4単位も捨ててしまうことになりますが、ぶどうをたぬきに作ってもらうときつねは6人で6単位もりんごを生産できます。たぬきにできたりんごを2単位売っても、きつねが消費できるりんごは4単位あります。これならたぬきときつねは両方とも共存共栄のWin-Winの取引ができます。

 

 

絶対劣位の国であっても必ずひとつは比較優位の財生産があって、効率よく生産できる方に特化して別の国と交易すると得になるのです。

 

ご自身の息子さんも脳性麻痺を持った障がい者で「障害者の経済学」を著された中島隆信さんは比較優位説に基づいてこのようなことを仰っています。

 

引用ウーマンエキサイト

「障害者福祉は税金の無駄」という意見はなぜ生まれるのか、経済学の視点から考える

 

引用

比較優位を簡単にいえば、各自の持っている能力の中から相対的に優れているところを見いだし、それを社会に活かすという発想です。
この考えの素晴らしいところは、それが社会全体をより豊かにするという点です。

「障害者福祉は税金の無駄」という意見はなぜ生まれるのか、経済学の視点から考えるの画像


Upload By 中島隆信

私たちの社会は、人間に優劣をつけ他者よりもすべての面で劣っている人間は使い物にならないと見なしがちですが比較優位の理論に従えば、どのような人間も社会の一員として受け入れることが、全員にとって得となるのです。

あと比較優位説で有名なのががアインシュタインとタイプライターの例え話です。

アインシュタインは自分の秘書よりもタイプライターをずっと早く打つことができた。
この時、アインシュタインはタイプについて秘書より「絶対優位」をもっている。
ではアインシュタインは秘書を雇うより自分でタイプしたほうがよいかといえば、そんなことはい。
アインシュタインといえど時間が無限にあるわけでないからだ。
アインシュタインはタイプを秘書に任せて研究に専念したほうが、より優れた成果を生み出せる。
2人合わせると結果的に多くの研究と多くのタイプができる。
この時秘書はタイプで、アインシュタインに対して「比較優位」を持つ。
お互いに「比較優位を持つ」」仕事に専念し、そうでない仕事は相手に任せることで、双方に、そして組織にメリットが生まれる。

比較優位説って面白いですね。

 

さて例のポテトサラダの件ですが、この料理は意外と手間がかかって主婦泣かせだと云われます。高齢男性が若い母親に「ポテトサラダぐらい作れ」と強要するということは手間のかかるポテトサラダづくりに時間と手間を奪われ、他の料理ができなくなってしまいます。この主婦がハンバーグやらカレー、とんかつづくりの方が上手く効率よくできるのだったら、そちらに時間と労力を注いだ方がおかずが増えて家族が喜びます。ポテトサラダづくりの比較優位はスーパーの惣菜売り場です。

 

あるいはこの主婦が外へ働きにいって、仕事をてきぱきこなせる人だとしましょう。ポテトサラダを作る時間を外で働く時間にすれば効率よくお金が稼げますよね。小池百合子さんなんかですと、家事をやるより都知事の公務に時間を割いた方がいいのです。

 

あと森永康平さん(森永卓郎さんの息子さんです)は家事代行を頼むことを投資だと仰っています。投資とは一旦お金を出すけれども、それ以上のリターンが得られることであります。

森永さんは次のように説明します。

それでは、「投資」か「消費」かという点ですが、本来は家事にあてていた時間を家事代行を使うことで別のことに使えるわけですよね。、その時間で仕事をして家事代行に掛かる費用以上のお金を得れば、投資そのものだし、お金を得なかったとしても、美味しいレストランに食事に行ったりしてリフレッシュしたことで、そのあとの仕事が頑張れるなど副次的なメリットを受け取っている場合においても投資といえるでしょう。

引用元

キッズライン「家事代行を頼むとお金が増える?!家事代行を投資と考える理由

 

「比較優位説」という言葉はインタビュー記事に出てきませんが、森永さんの仰ることは比較優位説の話です。

 

比較優位説は自由貿易の話でよく援用されますが、わたしたちの身近な暮らしの場面でも応用できる経済理論です。時間と労働力を有効につかって効率的な生産活動をしていきたいものです。

 

あとそれで「社会保障費を稼ぐ」という発想も忘れてはいけませんよ。

 

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