現在コロナウィルス感染拡大による経済的打撃に対処するために、多くの国々の政府は財政赤字を覚悟の上で巨額の財政出動を行っています。日本においてはGDPの2割、アメリカは14%、オーストラリアは同11%、カナダは同8.4%、イギリスは同5%という規模です。

 

多くの人たちはこれだけの財政出動を行い、大量の国債が発行されてしまうと「国家財政が破綻するのではないか」「いま政府が巨額の財政を奮発してくれても、後で増税というかたちでそのツケを国民が支払わないといけなくなるのではないか」と不安視する人たちが絶えません。

 

先日安倍政権はコロナ経済諮問会議を設置すると発表したのですが、これに委員として加えられた経済学者は慶大教授の竹森俊平氏や同じく小林慶一郎氏、阪大院教授の大竹文雄氏、慶大教授の井深陽子氏とコテコテの増税・緊縮財政派が揃えられてしまいました。そのうちの小林慶一郎氏は経済再生担当大臣である西村康稔氏が通産官僚だったときの後輩のようです。小林慶一郎氏は”消費税率50%超が要求される日本財政「不愉快な算術」”などという記事を書いており、日本は消費税を50%以上上げないと国家財政危機が発生するとか、「日本銀行が国債を無制限に買い入れれば、国債の償還は必ず実行できる。しかし、その場合にはマネーが市場にあふれてインフレが制御できなくなる。」などと記しています。

 

このブログでは小林慶一郎氏のいうようなことはあり得ないと述べ続けてきました。

 国家財政問題について 編

 

小林慶一郎氏らについては別のことでも批判したいことがあるのですが、それは別のブログで書くとして本題に入ります。

 

冒頭で述べた大型の財政出動のあとで増税を行って国家財政の規律を正さないといけないという発想はリカーディアン的だと云われます。日本人の多くはこうした強迫観念に囚われ過ぎており、その結果として経済力低下とますますの国家財政悪化を招きました。「負債(=借金)」への恐怖というものもありますし、負債をつくることは悪だという考えが根強くあります。

 

しかしながら自分で商売をやっているような人ならお気づきかも知れませんが、モノやサービスを創って売るには自分で資金を用意しないといけません。一生懸命働いて稼いだお金を自己資金にと思いがちですが、銀行などから融資を受けるなどしないと開業資金が賄えなかったりします。ありとあらゆるモノやサービスは負債から生まれていると言って過言でないのです。

 

今回のコロナショックで打撃を受けた民間事業者の経営再建ばかりではなく、巨大災害で都市や生産基盤が損壊したときの復旧・復興についても再投資という見方ができます。民間事業者や政府・地方自治体などがもう一度負債をつくって、再建のための再投資をしないと生産活動や経済活動の再生はありえません。傷ついた事業者が再び大きなリスクを覚悟で再投資をするというのは厳しいことですが、政府や中央銀行がある程度肩代わりする形になってでもそれをせねばならないのです。

 

よく世間では負債の大きさばかりを気にしがちですが、その負債をどうやって償還していくのか、金利負担をどうするのかということまで考えている人はあまり多くなさそうです。ただなるべく負債を抱えたくない・減らしたいという話ばかりです。

 

負債の金利負担や償還について大事なのは金利支払い能力あるいは償還能力すなわち稼ぐ力です。稼ぐ力が強ければある程度大きな負債であったとしてもすぐに経営破綻危機とか財政危機となったりはしません。

前に「企業の経営判断に重要な将来の予想」という記事でJR東海という会社がかつて5兆円以上もの負債を抱えており、現在その償還がかなり進んだものの、リニア新幹線建設で再び5兆円以上もの負債をつくって投資しようとしているという話を書きました。しかしJR東海という会社は超優良企業だと世間から見なされてきました。それは東海道新幹線というドル箱を持っていて稼ぐ力が抜群に高いからです。(いまコロナショックでその稼ぐ力が大きく削がれてはいますが・・・・)

 

「腎臓売れ!目ん玉売れ!」で有名になってしまった京都のとある商工ローン会社ですが、そこに勤めていた回収人が本を書き、「そういう取り立ては素人がやることだ。もっと巧い回収人は借り手がどうやったら借金を還せるかを考えてアドバイスする」と述べていました。この回収人は借り手から菓子折りを持って御礼をされたこともあると言っています。「腎臓売れ!目ん玉売れ!」のモデルになってしまった「ミナミの帝王」も読んでみると、意外と恫喝して脅すよりも借り手にカネのつくり方・還し方を萬田銀次郎が指南する話が多いです。アホな金貸しは借り手を潰して貸したカネが回収できないようにしてしまうけれども、賢い金貸しは借り手にしっかり稼がせるなり他からカネを工面する方法を教えて金利を支払わせ続けたり、最終的に債務の償還ができるようにするのです。

 

政府が抱える負債ですが、これについては税収で償還していくことには違いありません。しかし税収というものは元々民間がモノやサービスを生産して稼いできたお金です。その民間が弱ってしまったら税金を支払えるでしょうか?無い袖は振れません。民間が潰れたら国家財政も傾くのです。国家財政は民間経済という担ぎ手の抱えられた神輿と同じです。「仁義なき戦い」で菅原文太兄いが「神輿が勝手に歩けると思うのだったら歩いてみろ」というセリフを吐きましたが、国家といえど民間が支えなければ何もできません。

 

今回のコロナ禍や巨大災害などで民間の経済活動が大きく弱ってしまっているときは、政府や中央銀行が手を差し伸べて民間の生産活動や事業活動の回復に協力すべきです。そうしなければ結果的に国家財政も余計悪化します。民間の稼ぐ力の回復が最優先です。

 

そうはいえども国がGDPの2割とか、国家予算一年分を上回るといわれる108兆円(ただし財政支出は39兆円5000億円)もの規模の緊急経済対策を打ち出してしまって大丈夫なのかと思う人が少なくないでしょう。

 

多くの人は負債の残高の大きさに目を奪われますが、とりあえず金利だけでもちゃんと支払い続けられればお金を借り続けることが可能です。元本はゆっくり返済していけばいいでしょう。国家の場合は一般の民間企業や個人と比較して永続性が高いです。となるとかなり長期間の借り入れや借り換えができます。

国家財政が健全化しているのか破綻に向かっているのかを把握する指標として有名なのはドーマー命題ですが、これについても収束(財政健全化)するのか発散(財政悪化)するのかはGDP成長率と国債金利が肝となっています。つまり国債金利以上に経済成長率(稼ぐ力)が上回っていれば債務負担が重くならないということになります。

 

負債の残高を風船に例えると風船玉(残高)が大きくても、それがどんどん膨らみ続ける(発散)なければすぐに割れる心配は少ないです。風船玉が膨らむか膨らまないかは経済成長率と金利の関係で決まります。

 

それといまの国債で思い出してほしいのは借り手と貸し手が誰なのかということです。日本国政府の国債が外国の投資家に買われているのであれば、そこに金利を支払い続けないといけませんし、負債を償還しないといけません。しかしながら今の日本の国債はまず日本の金融機関が買い漁り、それを日銀がどんどん買い取ってしまいます。

 

となると借り手が政府で貸し手が日銀となるわけです。政府と日銀は統合政府だと見做せます。会社でいえば日銀は日本国政府ホールディングスの一社となります。親会社と子会社間でお金の貸し借りをしているような状態だといえましょうか。

 

日銀が国債を買い取ると日本銀行券を発行することになります。それは日銀にとって負債となりますが、貨幣は負債の手形や借金の証文みたいなものだとはいえ、金利がどんどん膨らんでしまったりするわけではありません。債務性が低いものです。こういう形でマネーがどんどん増えてしまうとハイパーインフレになってしまうとか言う人たちがわんさといますが、実際にはそうなりませんでした。なぜなら殖えたマネーは日銀内に設けさせてある民間銀行が準備預金(マネタリーベース)を蓄える当座預金口座に積まれたままであり、直接市中に大量のマネーが一気に流れ込んだわけではないからです。日銀内の当座預金口座に積まれたマネタリーベースが市中に流れ込むのを制御するのは政策金利です。もし仮に過剰投資や過剰インフレが目立ってきたら金利を上げてやると市中に流れ込むお金の量を抑制することができます。

 

今回のコロナショックで政府は民間に巨額の財政的支援を行わなければなりませんが、これを2年、3年と延々に続けることはないでしょう。財政支出が増えてしまうといっても極めて短期間に限られます。となると政府は何年、何十年とお金をずっと借り続け、この間に経済活動を再開させた民間からの税収で負債の償還をしていけばいいことになります。

 

何度も言いますがいちばん愚かな選択は政府が苦境にあえぐ自国企業や国民を見殺しにし、生産活動に復帰できない状態をつくってしまうことです。倒産したり廃業した民間企業や失業した就労者が税金を支払うことができますか?日本の場合は過去30年に渡って稼ぐ力をどんどん衰えさせてきたのです。その結果日本政府の負債がどんどん膨張するに至りました。

 

いまある負債の残高よりも、民間の稼ぐ力を強くすることを優先すべき時なのです。

 

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