今年はじめからはじめた「将来の予想と合理的期待仮説」の話ですが、今回は1990年代以来の日銀金融政策や政府の財政政策についての批判です。1990年代初頭に日銀総裁に就き、「バブル退治の鬼平」と呼ばれた三重野康が公定歩合(政策金利)を思い切り上げて景気を失速させて以降、日銀の金融緩和政策は小泉政権時代の中原伸之・テイラー緩和やいまのアベノミクス・異次元緩和をやっていた時期を除き消極的でした。財政政策も1995年に武村正義蔵相が「財政危機宣言」を発して以降、緊縮基調を続けます。(しかし国家財政の累積債務は逆に増えてしまった。)

 

その結果、1990年代以降の日本は経済成長をしない国となってしまい、かつて世界中を席捲していた日本の民間企業は勢いを失った上に、雇用は不安定化します。雇用や就労者の所得不安定化・低減は当然のことながら消費の低迷につながります。1990年代後半より連続的な物価下落現象であるデフレスパイラルが発生しました。三重野日銀の金融引き締めで企業投資が一気に冷え込みましたが、デフレスパイラルによって名目金利をゼロに下げても実質金利が下がらない状態となります。当然設備投資や研究開発、雇用といった民間企業の投資意欲をさらに削ぎます。

 

このような長期に渡る景気低迷が続くと、さすがに政府や日銀への批判が高まりますので、上で述べた2000年代初頭の中原・テイラー緩和みたいなことをやったりするのですが、マイナス成長を脱するか脱しないかといった微妙な時期に金融緩和解除をやったり、財政を緊縮傾向に戻したりします。それからしばらくすると再び企業の倒産・廃業や失業が目立ちはじめてリーマンショックのような大不況に見舞われることの繰り返しでした。

 

2006年3月の金融緩和解除を批判した記事

拙速な量的金融緩和の解除と景気・雇用の再悪化

 

過去の日銀がやってきた金融緩和政策は旧日本軍の戦力逐次投入と同じで、小出しの金融緩和をやってはすぐにやめてを繰り返し、結局デフレ不況の猛威に潰されてきたのです。もう記事は見られませんが、森永卓郎氏がそうした表現をしていたようです。

 

同じ規模の金融緩和や積極財政政策をやるにしても、中央銀行総裁や政府が本格的な景気回復が実現するまで政策の手を緩めないという態度や姿勢を明確に打ち出し、人々にそれを信用してもらわないと政策効果が失われます。いくらゼロやマイナス金利という超低金利の金融緩和政策や何十兆円以上にも及ぶ大型財政出動を行ったとしても、それがごく一時的なものであり、すぐに金利引き上げや増税や歳出削減などの緊縮財政に戻すことを中央銀行総裁や政府が人々に臭わせただけで民間企業の投資意欲や消費者の消費意欲を鈍らせることになります。何度も申し上げますが、人々が「当面金融緩和や積極財政政策が継続する」という予想を持たないと簡単に企業投資や個人消費は回復しません。

 

2012年末に発足した第2次安倍政権が進めてきた大規模な金融財政政策によって、劇的な企業投資と雇用の改善がみられるようになりましたが、2018年末より再び景気失速の兆しが見え隠れするようになってきました。にもかかわらず安倍政権は2019年10月に消費税率を10%に引き上げてしまいます。このまま金融緩和政策や積極的財政政策を怠っていくと、せっかくのリフレーション政策が失効していくことになるでしょう。いまの時点(2020年1月)では企業投資と雇用はまだ持ち堪えていますが、これまで崩れてしまうと”アベノミクス崩壊”や”失敗”という認識が世間に広まっていきます。このような事態になればもう「いくら日銀や政府が金融緩和政策だの、バラマキ財政をやろうが景気や雇用は回復できない」と人々は思い込むようになります。多くの人々は今後所得の不安定化や目減り、そして増税や緊縮財政の影におびえ、さらに消費意欲を失っていくことでしょう。

 

企業もまた新しい商品サービスの開発や研究、生産設備、そして雇用を拡大する意欲を失っていく恐れがあります。

 

あともうひとつ注意すべきことを申し上げておきますと、1990年代から日本はゼロ金利とかマイナス金利など、世界で最も金融緩和政策を進めてきたのに景気がよくならないじゃないカーという人がいます。

 

 

こういうことを言う人は、これまでここで説明してきた話をまったく理解していないのです。

三重野以降の日銀がやってきた金融緩和政策は常に「タイミングが遅いし、小出しで、緩和解除が早すぎる」のです。高橋洋一氏はSPA!において三重野総裁の金融政策に対する批判をしていますが、

 

”さらに大きな問題は91年7月に6%から5.5%に下げるまでに時間がかかったことだ。下げのタイミングが遅れると、その後の引き下げは後追いとなって景気が回復できない。このように大蔵省との対抗心から、バブル期に日銀は金融引き締めという間違った金融政策をした。”

と述べられております。

 

金融緩和をはじめるタイミングが遅すぎて、その間に民間企業がバタバタ倒産や廃業をしてしまったり、緩和解除が早すぎて不況をぶり返してしまうなどして、金融緩和政策の効果を日銀自らが減殺してしまったのです。結果としてもっと低い利下げをしたり、量的緩和政策や異次元金融緩和といった強力な金融緩和政策をしないといけなくなってしまったのです。民間銀行と関係が深い日銀や財務省という組織は低金利政策を非常に嫌がりますが、それをやらないといけない状態に追い込んだのは日銀自身です。政策の財政政策も同じで日銀のデタラメ金融政策と相まって景気低迷で余計な財政赤字を膨張させてきました。

 

日銀とその背後にいる財務省という官僚組織が、緊縮基調の金融・財政政策によって民間の経済活動を萎縮させ、結果的に国家財政の悪化をすすめ、この国を「失われた40年」の道へと導いています。半藤一利氏のいうとおり「滅びの40年」となってしまうかも知れません。

 

~お知らせ~

 

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

 
サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター https://twitter.com/aindanet
 
 
イメージ 1