いま「貧困・雇用・格差問題 」編の記事を書き続けていますが、この経済・社会問題を語る上で外すことができない人物といえばドイツの哲学・思想家であったカール・マルクスと盟友のフリードリヒ・エンゲルスでしょう。
こちらのブログ記事である「産業革命の陰で進んだ労働者の貧困 」で書いたことですが、産業革命期における資本家の暴走はひどく、彼らは女子どもを問わず労働者に低賃金で一日15時間近くもの長時間かつ過酷な労働を労働者に課しており、貧困や格差、公害や疫病蔓延といった都市荒廃を招きました。
マルクスの「資本論」は何巻にも及ぶ分厚い本で、しかも非常に読みづらいと云われる本ですが、その内容はまず資本主義社会においる富として位置づけられる商品の価値についての分析から入っていきます。マルクスは商品について使用価値と交換価値という二つの価値がのあると述べます。
使用価値はその商品を手にした人が得ることができる利便性や満足のことを指します。これについては商品を買って遣う人の価値観によって、同じ商品でも価値があると見る人とないと見る人が出てきます。
交換価値は商品と商品あるいは貨幣と交換するときの数量基準すなわちレートです。その商品の価格がいくらで売ったり買うことができるのかという相場が存在します。多くの人たちにとって共通了解となっている価値が交換価値です。
自分は鉄道模型を集めたり弄ったりする趣味を持っていますが、買ってきた模型をそのままで愉しむのではなく、いろんな別売りパーツをつけたり、塗装を塗り直したり、好みのタイプに近づくよう改造したりします。そうすることでより実感的で自分の趣向に合う模型となり、満足度や使用価値が高まります。
しかしながら自分にとって使用価値が高いと思っている模型であっても、他人から見たら「お前の作品ダメだなあ」となるかも知れません。せっかく精魂こめて改造した模型でも、中古品屋に持っていったらジャンク扱いされることでしょう。交換価値は極めて低くなってしまいます。高値で模型を売ろうとするならば「改造しちゃアカン」なのです。
改造前の模型(上)と改造後の模型(下)
現役時代の蒸気機関車らしく煤や錆汚しをしましたが、中古模型市場においては交換価値はほぼ無く、下の改造品は完全に自己満足の世界です。
話を「資本論」に戻しますと交換価値がいくらあるのかを決める基準となるのが、労働価値であるとマルクスは考えます。その商品を生産するために投じられた労働量が労働価値だと言うのです。労働によって価値が生まれた商品を交換するための媒体として金(ゴールド)が用いられるようになったというのがマルクス流の貨幣論になります。この見方についてはいくらでもツッコミが入れられますが、飛ばして説明を続けます。
ドイツ語で商品のことを「Ware(ヴァーレ)」、金(ゴールド)や貨幣を「Geld(ゲルト)」と呼びますが、マルクスはW→G→Wと商品と貨幣の交換を繰り返すうちに、G→W→Gという発想を持つ人間が現れ、お金Gを殖やすことを目的化した人物が現れると述べます。1000円というGで買ったWを1200円で売りつけて200円の利潤を稼ごうと考えるわけです。1200円をG’(ダッシュ)とします。この部分が搾取という行為につながっていきます。
さらにマルクスは労働力も商品であると考え、やはり使用価値と交換価値があるとしました。
労働力の「使用価値」とは、「労働者を労働させる」ということです。
労働力の「交換価値」とは、「労働者が働いて労働力を売ったことに対する価値=賃金」です。
「資本論」では、労働力の価値は労働者が継続的に働き続けるためにかかる衣食住などの必要経費によって決まるとあります。それが「必要労働時間」で、資本家はその費用を賃金として労働者に支払います。
最初のうちは労働者と資本家の間で
必要労働時間=賃金
という等価交換の契約をしますが、やがて資本家は「利益」=「剰余価値」を得るために必要労働時間を超える労働をさせるようになるとマルクスは説きます。資本家が「剰余価値」を得るために労働者に必要以上の労働時間を「剰余労働時間」と呼びました。マルクスによれば資本家はこの「剰余労働時間」を労働者から搾取していると述べます。等価交換のG→W→GからG→W→G’となるのです。
資本家が労働者にただ必要労働時間以上長く働かせて得た利益を「絶対的剰余価値」といいます。
これについてはちょっと考えるとおかしな話で、労働者の一日の労働時間を「朝の3時から夕方の5時までは自分たちの食い扶持を稼ぐ労働時間だけど、5時から深夜10時までは雇い主の利益ための労働時間である」というように区切ることができるでしょうか?できっこないですよね。
こちらは資本家が機械を導入して人間の労働を置き換えて、省人化を進め、労働者の必要労働時間をどんどん短くし、実質的な剰余労働時間を増やすことによって生まれるものと説明されました。
機械導入で商品の生産に必要とする労働者の労働量が少なくなっていくと、雇用の縮小や労働時間短縮による賃金の低下という問題を引き起こすと考えられました。これは技術的失業というものでラッダイト運動につながっています。
技術的失業の拡大は労働市場の飽和を招き、さらなる賃下げを加速させると述べました。
資本家から搾取され続ける労働者階級は所得を減らす一方で、やがて資本家が生産した工場の商品を買うことができなくなります。マルクスはそれが不況や恐慌の発生原因だと言いました。
またマルクスはカネからカネを生むような投機行為に対する批判も展開します。
1820年代に鉄道事業で得られる莫大な利益を当て込んで、鉄道建設ブームが起きました。その建設資金を調達するために鉄道株が大量に発行され、資本家たちは銀行から金を借りて鉄道株を買い漁ります。
ところがその建設事業のいくつかが難航し、やがて鉄道株が買いから売りへと転じました。さらにそこへイングランドの小麦不作に伴ってその輸入をせざる得なくなり、現金が流出してしまうことになります。それがイングランド銀行の金利引き上げへとつながり、資金繰りが苦しくなった銀行や企業が次々と倒産するという事態を招きました。(前回記事) 鉄道株も暴落し、資産バブルが崩壊します。
このようにマルクスとエンゲルスは資本主義経済の欺瞞や搾取構造を立証しようとしたのですが、上で述べたように商品の市場価値がそれを生産するための労働量で決まるという労働価値説が誤りであり、その後の剰余価値説も論理破綻してしまいます。
商品の市場(交換)価値は生産者側が投じた様々なコストだけではなく、商品を買おうとする人たちの価値観にも左右され決定します。例えば私が「この模型を造るのに5時間かかりました。職人さんの時給相場は3000円ですので15,000円の労働価値があります。それ以上の額で買ってください」なんて話が通じるでしょうか?買い手側が「お前の素人作品なんかに15,000円も払えるか!他にも安くていい製品があるわい!」なんて思ったら、私の作品は商品として売れないでしょう。「これだけ手間暇かけて造ったんだから高く買え!」なんて話は商売の世界で簡単に通用しません。
マルクスらの不況や恐慌が発生する説についても、彼らの死後に発生した恐慌の原因を探っていくと、商品の過剰生産や労働者側の購買力不足だけではなく、マネー(マネタリーベース)不足であることがわかってきます。
その後起きた恐慌についても金本位制による足枷で企業の投資に遣う資金が調達できず、そのまま操業停止や倒産に陥ったために起きたというのが、経済学者間の議論で得られた結論です。
ただし資本主義経済というシステムは一部の富裕層に富や財が集中してしまう、著しい経済格差が生まれてしまう宿命的構造を抱えていることについては、フランスの経済学者トマ・ピケティ教授が膨大な資料を分析して証明しております。ピケティ教授のことは改めて取り上げる予定です。
参考までにこちらの方が書かれた記事も