最近、女優の斉藤由貴さんが話題なので、
今回は、80年代後半にアイドル界隈を震撼させた怪人ついて書きます。
その名は斉藤由貴男!
由貴男の読み方が、ゆきおか、ゆきおとこなのかは不明。
性別は、たぶん男で、一人の人物だと思われますが、もしかしたら複数の人間の共同ペンネームかもしれません。(でも、たぶん99%の確率で単独の男性。)
80年代後半といえば、おニャン子クラブブームもあり、アイドル業界が賑わっていた頃で、他には、中山美穂さんや、酒井法子さん、菊地桃子さんなどが人気でした。
また、フジテレビのドラマ『スケバン刑事』シリーズに出演していた斉藤由貴さん、南野陽子さん、浅香唯さんなども人気がありました。
同世代の少年達同様、おニャン子にはまった私は、始めは、集英社が出していた『DunK』や、学研の『BOMB!』などのメジャーなアイドル雑誌を購読していたのですが、そのうち『投稿写真』(考友社出版、改名してサン出版)という月刊誌にも手を出しはじめます。
投稿写真が、アイドル雑誌かどうかは異論もあるかと思いますが、世代的に知らない人もいると思うので説明すると、この雑誌は、誌名どおりカメラ小僧が撮影して投稿してきたアイドルの写真が載っているページあったり(当時はアイドルイベントは写真撮影がOKが普通でした。)、そこそこ有名なアイドルのグラビアや、インタビューが掲載されているかと思いきや、大手出版社のアイドル誌には、絶対に載らないようなアイドルのゴシップが載っていたり、所ジョージ氏が担当するページがあったり、中森明夫氏(明菜ではない)が執筆していたり、西原理恵子氏がイラスト描いていたりしたそんな雑誌です。(今考えると豪華な面々。)
現在の雑誌いえば『BUBKA(ブブカ)』に近いのではないのでないでょうか?
そんな雑誌『投稿写真』には、『5W1H』という連載コーナーがありました。このコーナーは読者が知っている噂やゴシップ、都市伝説などを、投稿してもらうコーナーなのですが、噂やゴシップの対象はアイドルに限りらず、有名人、社会現象全般です。
私が、斉藤由貴男の存在を知ったのは、この『5W1H』コーナーでした。
コーナーを担当していたフリーライターの石丸元章氏は、のちにこの5W1Hコーナーや、他の雑誌で仕入れた噂をまとめた『ウワサを追いこせ!未確認アイドル流言報告』(JlCC出版局)という単行本を執筆しており、その単行本を参考資料として、斉藤由貴男とは何者なのかを説明したいと思います。
投稿写真87年4月号 5W1Hコーナー(以下5コーナー)に初めて斉藤由貴男の事が載る。
当時は、まだ個人情報の扱いにうるさく無かった時代だったので、雑誌等の読者交流欄などに自分の住所や氏名を載せる人が多かったのですが、A氏という人が雑誌『オリコンウィークリー』の読者交流欄に自分の住所と名前を載せたところ『関東16大学アイドル研連代表・斉藤由貴男』と名乗る人物から2枚つづりの手作りの新聞のようなものが送られてきたとのこと。
新聞を受けとったA氏が5コーナーに「こんな新聞が届いた」と報告してきたわけです。
新聞の名前は『フライデー'87』。もちろん写真週刊誌のフライデーとは、なんの関係もありません。問題の内容ですが、斉藤由貴男という筆名から推測して、斉藤由貴さんの事を褒めたたえたり、PRする内容かと思いきや、書かれているのは、斉藤由貴さんを褒めつつの、他のアイドルへの悪口、罵詈雑言!この時点での主な攻撃対象はおニャン子クラブらしいです。
『ウワサを追いこせ!』には、88年発行(?)の新聞フライデーが掲載されているのですが、手書きのきたない字で、ものすごい文字数を使って、色々なアイドルの悪口を書き連ねています。パターンとしては、「斉藤由貴ちゃんは素晴らしいけど、それと比較して○○はブス」という文章。なお、おニャン子解散後のため、攻撃対象が他のアイドルに移っています。
投稿写真87年6月号 5コーナー 。4月号のA氏からの報告を受け、他の読者からも斉藤由貴男情報が届く。情報くれた読者の数46名!
それによると、斉藤由貴男の新聞フライデーの配りかたは、『オリコンウィークリー』や『TVガイド』などの雑誌の、売買コーナーや文通希望欄に住所、氏名を載せている人に無差別に送り付けるパターンと、都内の駅近くで通行人に直接手渡すパターン。
駅で配ってる姿を目撃した読者によると、とんねるずの石橋氏に似た大男だったそうです。
石丸氏、斉藤由貴男に蛮行をやめるよう忠告。
投稿写真87年7月号 5コーナーに斉藤由貴男本人から、手紙が届く。その手紙も『ウワサを追いこせ!』に掲載されてますが、筆跡からして同一人物に間違いなし。その手紙には、「おにゃん子クラブはもう終わりだぜ!我々の努力の成果が出た。全国に25万枚もこの種のコピーをバラまいたんだから!おかげで、おにゃん子は消えてゆき、斉藤由貴ちゃんの人気は大バクハツ」などと書かれています。また「TBSラジオの『こさきんむりやり100%』で『南野陽子って松原のぶえそっくりの下品なホクロ顔のブスだ』というネタが読まれたのは俺だ。今度からは南野陽子つぶしに力を入れることにした。」
とも書かれています。
この手紙の注目点。
「我々」と書いて複数だと思わせようとしているが、ラジオでネタが採用されたの部分では「俺」と単数になっている。
おニャン子がなぜか平仮名。
「25万枚バラまいた」当時封書の切手代は60円。コンビニのセルフコピー機がやっと普及した時代です。
「おニャン子が消えると、斉藤さんの人気があがる」という論理の飛躍。おニャン子ファンはおニャン子が消えても、元メンバーか、似たような新手の素人ぽいグループアイドルに流れる可能性が高く、なぜ斉藤由貴さんだけ人気があがるのか常人には理解不能。それどころかおニャン子ファンが、斉藤由貴男が、この時点で目の敵にしている南野陽子さんに流れるかもしれないのに。
「こさきんむりやり100%でネタが読まれた」
また平仮名で書いているが、『スーパーギャング~コサキン無理矢理100%~』が正解。
南野さんにも、演歌歌手の松原さんにも、なんとも失礼なネタですが、私もコサキンのヘビーリスナーで、ネタも何度も採用された事ので知ってますが、コサキンで「下品なホクロ顔のブス」などと直接的に人を中傷するような文章は100%読まれません!構成作家の鶴間さんが許さない!南野さんと松原さんが似てる。といじった程度のネタなら採用されるかもしれませんが。
先程取り上げた88年版の新聞フライデーを見ると、俎上にあげられているアイドルは、南野陽子、中山美穂、荻野目洋子、小泉今日子、本田美奈子(敬称略)他ですが、やはり南野さんに一番文量を使っています。
どうやら斉藤由貴男は、ドラマ『スケバン刑事』の主演が、斉藤由貴さんから南野さんに代替わりしたのを、南野さんサイドが、斉藤さんを、追い出して乗っ取ったと思い込んでいる様子です。主演が替わったのは、斉藤さんのスケジュールの都合か、より本格的な女優を目指すため、ガキ向け(失礼)ドラマである『スケバン刑事』制作陣に斉藤さんサイドから、卒業を提案したのだと思うなのですが。
投稿写真87年10月号 5コーナー。斉藤由貴男目前情報。武蔵小杉駅で、新聞配達の人が使うような実用自転車に乗った男が、ビラを人に手渡したり、止めてある自転車のカゴに放り込む姿が目撃され、そのビラが『フライデー』の最新版。
また、斉藤由貴男は他の雑誌でも取り上げられはじめ、『月刊歌謡曲』が誌面で斉藤由貴男に対し「然るべき措置を断行します」と宣言。新聞フライデーを受け取った月刊歌謡曲の読者には「相手にするな」と呼びかけた事も報告されています。
おニャン子も解散後の、投稿写真87年12月号 5コーナー。この月の斉藤由貴男目撃報告は23通。武蔵小杉駅で止めてある自転車のカゴに新聞フライデーを放り込んでいる男を読者が発見。写真に撮る。(誌面に写真は載らず)編集部も斉藤由貴男の住所を入手したので、斉藤由貴男に悪口新聞をやめ降伏宣言を書くよう再度、忠告。住所は、その後紛失したそうです。(本当に入手してたのか?)
投稿写真88年1月号 5コーナーに、斉藤由貴男暗殺部隊結成の報告届く。暗殺部隊の隊長の宣言文によると、メンバーは大学生を中心に12名。隊長と特攻隊長は空手有段者で武蔵小杉駅周辺をパトロールするとのこと。
少し間があき、投稿写真88年5月号 5コーナーに斉藤由貴男から終結宣言文が届く。B4紙に小さい字で8枚。
それによると、活動をはじめたのは86年4月頃、当初の目標は「おニャン子のレコードが斉藤由貴より売れなくなるまで」「夕やけニャンニャンが終わるまで」なので、夕ニャンが終わった87年8月で時点でやめるつもりだったが、既に色々な雑誌で斉藤由貴男の事が取り上げられていたため、やめるにやめられず南野さんに攻撃対象を変えるが、新聞を配っているところを張り込みされるようになったりして、苦戦。誌面もマンネリ化してきたため、年末のNHK紅白歌合戦に斉藤由貴さんが出演する報と南野陽子さん落選の報を聞いてから活動終了しょうと決意。(斉藤由貴さんは、NHKの朝ドラマ『はね駒』の主演を努め、前年の紅白には出演していた)
しかし、斉藤由貴男の予想に反して、斉藤由貴さんも紅白に出ず。(南野さんも)そのショックで、書きあげたのが、さきほどから何度か取り上げている88年版の新聞フライデーだそうです。そういえばNHK紅白の事もボロクソに書いています。
そして、斉藤由貴男は、「斉藤由貴の未来は確かなものと確信できるので引退を決意した。」と書き(確が重複してる気が)、ついに怪人・斉藤由貴男は昭和の闇に消えたのです…。
と思ったら、この後もちょくちょくアイドル業界を騒がせます。
長くなったので、その話は、またの機会に。