ある映画から。
「鉢植えの観葉植物が友達」という殺し屋と、
一家を惨殺された少女の物語。
殺し屋は、自分のことを
「地に足のついていない人間」と言います。
だから、地に根をはることのない
鉢植えの植物が自分と同じだと。
地に足がつく、つかない
資本主義の世界では、
これはお金を持つか持たないかという
定義に置き換えられるかと思います。
お金がなければ、人としてまともと思われる
生活ができませんから、
仕事をして収入がきちんとあることが
「地に足がついた」生活という
定義が通ります。
収入が不安定であれば
「地に足がついていない」と、
結婚を反対されたり、あるいは
結婚しない理由にしたり。
一方、殺し屋は
この意味でこの言葉を使っていません。
"自分が何者なのかわからない"
「あなたは誰ですか?」
と、質問されて、あなたは
「名前」以外に自分のことをなんと説明するでしょう?
例えば、
「会社員です」
「母親です」
「経営者です」
「○○コンサルタントです」
「○○コーチです」
「自由人です」
それが、自分自身が認識している、
またはされたい自分の姿で、
言い換えれば、
自分が自分をカテゴライズしている『枠』
となります。
人はこうした『枠』を作りたいし
その『枠』の中でモノを考えることが好きです。
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