揚げすぎコロッケ、波乱万丈

揚げすぎコロッケ、波乱万丈

齢50を目前にはからずも、2ヶ月の冬眠を余儀なくされ、桜3月に冬眠から目覚められるのか、緩めの公開日記。さて、いつまで続くか?

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親しくさせていただき、父の認知症の介護中も温かく見守ってくださったご近所のお宅のご主人が約2年間の闘病生活を経て亡くなられました。
奥さんが帰ってきたらご主人が倒れていると走り込んで来られた時に、妻は躊躇なくかけて行き、可能な限りの応急処置をし、奥さんに付き添いながら、救急車に乗り、病院へと向かい、後から私も病院へと向かいました。それは元看護師だったとかいうことではなく、なんの躊躇もない行動だったと鮮明に記憶しています。
一命は取り留めたものの、長い闘病生活、ご本人もご家族も大変だったと思います。
その後も、実は同じようにご近所の独り暮らしの方が倒れられたときも、躊躇なくその家の応接間のガラス窓を一緒にいた男の方と叩き割り、同様の応急処置をしたと町内の方達に後でお聞きしました。
その方は不幸にも倒れられてから半日以上が経過しており、残念ながらお亡くなりになりました。
その度ごとに起きたことに正対したが故に抱えるやりきれない思いを妻は抱えています。

同じ時期に開発された団地、周りには私の親の世代の方達が独居又はお二人で住み、私と同世代の子供たちは多くは県外にいます。

独居老人が突然倒れた場合、いくら普段ご近所同士でやりとりがあっても、夜の19:00以降であればアレ?と思った近所の方が動くのは早くて翌朝8:00以降、救うことができる確率はとても低いです。
また、ご夫婦二人で住んでいても、日常生活を過ごすためには、買い物をはじめ家を留守にすることは避けられず、買い物から帰ってきたら倒れているのを発見することがおおく、時としてやはり数時間が経過してしまいます。

もうすぐ老々の側に否応なしに入っていく私も含めこの町内、とりあえずこの小路の者同士、挨拶を交わしつつ、どうやって生きていくのか

躊躇なく飛び出し、可能な限り迅速な応急処置を試みる妻を見て、到底自分にはできないことであり、それを理屈抜きにできる妻を尊敬しつつ、とりあえず妻の内心の消化のために帰宅後、聴くことに専心しようと

少なくともこの小路の方達と挨拶はきちんと、話しかけられたら時間の許す限りお話をしようと

うちの奥さんと話すのは
生活をして行く中で多くの人に支えていただいて生きているし、最近は週末に翌週への気持ちの切り替えをするのに、特にいろいろな方達にお世話になっており、体力の消耗以上に、それ以上のエネルギーが充填されていて嬉しい😃ねと

ただ、奥さんは体力と気質を、私も自分の昔からの気質を自覚して、身の丈にあったサイズの楽しさに参加しようと、

明らかに多くの人が参加して楽しいとわかっていても、こういうイベントに参加すると、周りのテンションとの差に違和感を感じることが多くかえって消耗が先行してしまうのが、隣で見ていてわかるらしく、選択とブレーキも必要と、まさにそのとおりで、長期の登校拒否のもたらした閉鎖的な部分は、こういう場の対応に未だに少なからずストレスを生み出します。

これを理解しながら素敵な燕三条の方達とお付き合いができればいいなあと改めて思いました。
違ってくれれば、それにこしたことはないけれど、5年半前と同じような自覚症状がちらほら

最近、奥さんとはあと半年私が給料がいただければ、娘三人全員社会人!
一馬力の収入で関東の大学に三人、おまけに長女は6年制の私立

週末に燕三条を中心に県内を散策しながら、お互いにお互いを笑顔で「グッジョブ❣️」といえるようになったし
(ちなみに昔はいつ離婚、いや傷害事件が発生してもおかしくないくらい険悪に娘たちにはみえたそうで)

富永草野病院の近くに転勤しようと思ったのも身体と心が自然に選択したのかも

みなさんそれぞれに病気や悩みと付き合いながら進んでいるので、自分たちが特別どうということでもないよねと話しながら、長谷川先生約束どおりまず最初の五年をきっちりもたせてくれたあなたはやはりゴッドハンドですねー。
落ち着いた心持ちで、でも今年度末までは働かないといけないので、電話して受診します。

周りに対する感謝がたえない年齢ですねー。