荒野/桜庭 一樹



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(本人にとっては)記念すべき最初の紹介作品は、やっぱり好きな作家さんのものが、ということで桜庭一樹さんの最新刊を選びました。



本書は既刊の『荒野の恋 第1部』と『荒野の恋 第2部』に第3部を書き下ろした構成となっている。

といわなければ、「直木賞作家桜庭一樹の作品」と思って手に取った読者は、本書がもともと中高生をターゲットにかかれたライトノベルだとは微塵にも思わないだろう(なにしろ既刊はファミ通文庫から出ているのだ!)。それくらいに複雑な味がする作品で、年代物のワインのような作品で未成年にその味はわかりそうもないのだ。



荒野は鎌倉に住む女の子。恋愛小説の大家という父を持ち、母を早くに亡くしているという特殊な境遇にある。かといってその中学生生活はごく普通の女の子の日常。電車通学という、小学生とは明らかに違う身分ながらも、派手にお化粧するわけでもなければ好きなものを気軽に買えるほどの財力があるわけでもない、いわばこどもとおとなの二面性を持った多感な時期がごく素直に描かれている。ごく素直に。



ごく素直なだけに。

読み終わった直後の感想は「わからない」だった、素直に。
「わからない」というのは女の子がわからないのと、12~16歳がわからないのと両方だ。


僕は男だ。

女は男にとっては永遠の謎だ。異論あるまい。

だから女の子はわからない。


12~16歳のころというのは一般に女子のほうが精神・肉体両面において男子と比べて発育が早いといわれている。 肉体面の発育が早い女子はその分、自分のことについて考え、悩む時間が多いがために精神の発育が期待できるのではないだろうか。だからこそ、この時期は男子はぼんやりと過ごし、そのころのはっきりとした記憶がないのだ。

これでは12~16歳はわかるまい。



荒野は考える。

自分が何者なのか。友人とは何なのか。家族とは何なのか。

そして、男とは何なのか。恋とは何なのか。


答えは出たのだろうか。きっと答えは感じ取ったに違いない。

なぜなら、最後の荒野はとても強く見えたからだ。

「おんな」になったともいう。



是非ともよく読んでもらいたいのは

「おんな」と「女」の使い分け方


僕は、「女」はもとは「おんな」である、と考える。

だから本書に多く出てきた「女」はもともとは荒野と同じ「こども」であり、「おんな」であったのではないか。

つまり荒野も「女」になる可能性があるのだ。

しかし可能性は可能性でしかない。悠也がいる限りそうはならないのかもしれない。


んん、ということは「女」はよくないものなのか?

そうでもないんだが、「おんな」よりは後ろ暗くてどろどろしたものというか…



結論、「おんな」も「女」もわからない!

わからなくていい!

わからないからわかろうとする。そこに恋があるのではないのか。



欲を言えば、奈々子さんが気になる。

奈々子さんは他の「女」とは違うはずだ。それをまるで同じように扱うことは果たして荒野にできるのだろうか。「おんな」はできるのだろうか。

いろいろととっちらかしたねたもおおかったな…。