過度の寒さにより起床。
というよりも、地域の治安のせいか、戦争に参加する夢を見て、そこでちびりそうになり、危うく小便を漏らす寸前で起床。
気温は1度、
掛け布団をたくさんかけてるとはいえ、標高が高いため寒すぎる。
寒すぎて誰も起きてなくて何もする気が起きないためとりあえず二度寝。
そして、8時過ぎ頃、朝食を用意してもらう。
ナン均一生活、
ナンキン生活である。
朝昼晩込みとはいえ、このご飯のクオリティーと、この極寒の中水しか出ないシャワーで、1日1000ルピーは完全なるぼったくりである、
それならまだましで、加えて軟禁生活が鬼畜すぎる。
前回も既述したが、なんとか交渉して、孫(憎きマンズールの息子)が学校に行くらしいので、それになんとか乗じて対岸へ行くことができた。
行ったら危険だからと一向にどこも行かせてくれない中、
なんとか抜け出すことができた。。
対岸に着き、息子を学校へ送る途中、たしかに店はほとんど閉まっていた。
ただ、他の露店や、パン屋、生活に必要最低限の雑貨屋はやっていて、むしろ人もいっぱい歩いていて、
見る価値満載の街だった。
そこで、昼までには帰るという条件付きで、街を回ることが許された。
道行く人が、振り返り二度見して、
物珍しそうに俺のことをみる。
それもそのはず観光客らしき人が一人もいないのである。
そして、リキュシャ(トゥクトゥク)とシカラ(ボートタクシー)の男たちが全力でこの唯一の観光客を呼び止める。
絶望的になり、インド人間不信になりつつある俺にとって、もはやうざいとか嫌悪とかいう感情はなく、無気力という憂鬱に打ち消される。
日本に帰りたい。。日本に帰りたい。
この長旅の中で初めて陥った慢性的なホームシックが完全に末期となる。
何件もホテルを回るが、WIFIは宿泊者のみしか使えず(当たり前)
探そうと思えば、めちゃくちゃ安くて快適でインターネット込みの宿はたくさんあった。
街の人に聞きまわる末にようやくたどり着いたゲストハウスに今の状況を説明し、
なんとかwifi を使わせてもらえることに。。
そして、はじめて涙するほどの温かさに触れた。
無料でチャイを用意してくれたのだ。
ここで、感情をなくし枯れ果てそうになった俺にまだこの国も捨てたものではないという潤いがもたらされた。
なんとか、今の状況を受け入れて、自分でなんとかこの環境を楽しめないかと、スリナガルでできることをひたすら調べる。
そして、大量に調べた情報を帰った後に家族に伝えて、涙ながらに説得すると。
明日ムガルガーデンとリバートレッキングとこなら行く方法を教えてくれると。
これで、なんとか希望は見えた。
そして、昼食のまえにマンズールの従兄弟に約束の散髪式をしてもらう。
このクッソちっさいハサミで3ヶ月間伸ばし続けた鬱陶しい散髪式だ。
ちなみに、このようにめちゃくちゃ楽しんでいるように見えるが、
普通の人間(何を基準に普通というか謎だが)なら完全に憔悴して、絶望に打ちひしがれたい状況である。
ただ今までの様々な経験から、いくら絶望に感じても、何かしないと、何かを楽しまないと始まらないし、
これも神様がくれた導きなのだと信じ楽しもうと努力している。
そして、散髪式終了。
そしてそのあとお昼ご飯ゆで卵入りの謎のカレー
常にぼられた感に苛まれる。
ご飯を食べたあと、ファミリーの家に
謎の商人船に乗って現れる。
かれは、カシミールでんとうの器と織物を売りに来た。
かれのプレゼンテーションには関心し、賞賛してあげたが、
いかんせんお金がないのである。
何度もなんども、お金があれば買いたいが、
空港に戻る金しか残ってないと何度もなんども、口酸っぱく言うも、
you wanna buy something? と仕切りに諦める様子を見せない。
しまいには状況を知り始めたファミリーも、こいつかねマジでないんだよと説明し諦める。
そして議論の後に素晴らしいことを耳にする。
明日ムガルガーデンに行きたいのならリキュシャ(トゥクトゥク)にたのめと。
いやいやいや、だから金ないって、、
ところが、そうではなく、リキュシャにカシミアのカーペット工場に連れて行ってくれと頼むと、そこまで無料で乗せて行ってくれるらしい。
というのは、カシミアの工場で、観光客が何かを買えばコミッションが入るからである。
想像はつくが、いかんせん現地の人のみが知り得る裏事情をこの惨すぎる俺に教えてくれたのである。
ナンキン生活二日目にして、だんだん希望が見え始めた。
そして、午後は俺が買い物の手伝いするならボートで散策してもいいよと、条件付きの軟禁解除を発令。
それに大喜びした俺は、気前よく子供達とお絵描きしながら遊びその時を待つ。
美しいカシミールの自然を少しだけ満喫できた。










