京都の新選組の足跡について その参
続きが随分遅れました。
前回書いた壬生の屯所跡から丁度まっすぐ南下したところに遊郭、島原があります。
そこまでの途中は普通の住宅地ですが、木造の大門が残っています。
中に角屋という、いわゆる料亭があり、事前に予約すると中を見学することができます。
私が訪ねたのは、紅葉の季節。木造の建物は底冷えがしました。
木の格子が連なった外観の写真、ご覧になったことがある方もいるのではないでしょうか。
中は様々な装飾を凝らした大小の座敷がいくつもあり、それぞれ様々な意匠が凝らされています。
その中に螺鈿(貝殻を漆にはめ込んだ装飾)の間という部屋の、ひとつの柱に深々と刀傷があり、
聞けば、新選組隊士(一説には芹沢鴨)がつけた傷とのこと。
本来、刀は座敷に上がる前に店に預けるもので、その刀箪笥というのも残っているのですが、新選組は
刀を携えたまま二階の座敷まで上がりこみ、振り回したわけですね。
江戸の言葉で言うと、野暮の極みというものです。そして京都のすごいところは、そういう細かい古いものを
現在まで残していることですね。
ちなみに映画「御法度」にも登場し、浅田次郎の小説にもなった「輪違屋」も残っていますが、
私が島原を訪れた時は、「見学禁止」という殺気さえ感じる手書きの文字が表に貼られ、中を覗くことも
できませんでしたが、今はどうなんでしょうか。
知っている方、教えてください。
京都の新選組の足跡について その弐
前回書いた、ブームの最中に壬生の屯所跡に訪れた人の中には、大河ドラマ「新選組!」で佐藤浩市さんが演じたとおり、芹沢鴨が暗殺の気配を察知し待ち構えていて、立ち回りになった(そして徳利を踏みつけ転んだ)と信じていた人もいたそうです。
実際は、「始末記」に書かれているように、泥酔して寝ているところを襲われ隣の部屋へ逃げるも文机に躓いて転んだところをトドメをさされた、今は取替えられていますが血しぶきは天井まで飛んでいた、とボランティアのおじさんは話してくれました。
鴨居についた刀傷、そして文机を始めて見たときは感激しましたね。それから、紅葉見物のたびに八木邸を訪ねるのが、なくてはならない私の習慣になりました。
この話、続きます。
京都の新選組の足跡について
毎年この時期になると京都に紅葉を見にいくのが慣例でした。
今は仕事の関係で行くことが難しくなりましたが、なんといっても私の中でのメインイベントは東山地区の
高台寺の夜間拝観です。池の周りの樹木がくっきりと水面に映って、まるで池の中にも世界があるようで、とにかく言葉では言い表せない美しさです。
「有名な水鏡(みずかがみ)でーす」といって呼び込み(?)をしているので、「ねねの道」での
ハイライトと言えるでしょう。当然、伊藤甲子太郎の高台寺党の碑もありますが、わかる人にしかわからない地味ーな感じで建っております。
ところで。
大河の「新選組!」以降、にわかファンが増えたのか、壬生の屯所跡(八木邸)が一次は行列をつくって
いたとのこと。
私が初めて八木邸を訪れたのは、確か毎日見学可能になってすぐのことでした。そのときは、客が2人、
3人と途切れない程度に入ってくる感じでした。ボランティアのおじさんが芹沢鴨の暗殺事件について、現場で話してくれるので、(そしていきなり「そのとき平間重助はですね・・・」)とこれまたわかる人にしかわからな
い話題から入ってくるので、「おおっ」と、新選組ファンでよかったー、と内心喜んだものです。
この話、次回に続きます。
大河ドラマ「新選組!」について
もはや古い話題ですが、新選組ファンの中ではまだまだインなネタなんですよね。
三谷幸喜脚本のあのドラマは、青春群像劇としてとても楽しいものでした。
私としては新選組の日々の隊務といった部分がなかったこと(要するに幹部以外の平隊士の日常がほとんど出てこなかったこと)が不満といえば不満でした。
が、近いものでは、たとえば大島渚監督の「御法度」と比べると、あの時代を生きる若いエネルギーが向かざるをえなかった先を描いたドラマとして、共感を得るものだったと思います。
来年のNHKの正月特番「土方歳三最期の一日」(だっけ?)は、とても楽しみにしております。
日野新選組まつりをはじめとして、今年になっても新選組関係のお祭に欠かせない存在になった土方役の山本耕史さん。本人はどこまで喜んでいるのか(どうも戸惑っているようにしか見えないのですが)わかりませんが、新選組ファンの間ではもはやカリスマ的存在です。
まずは、箱館戦争での土方歳三の活躍がどのように描かれるか、要チェックなところです。
新選組小説について。
世にいろいろ新選組をテーマにした小説がありますが、新選組同好会の方々の話を聞くと、ファンになったきっかけは司馬遼太郎の「燃えよ剣」が一番多いようです。
かく言う私もそのクチで、文庫版の下巻にいたって、こんなに満ち足りた人生を送った男がいたのかと思ったのが、新選組を研究する気になった元になったと思っています。
ところで、浅田次郎の「壬生義士伝」。元ネタの子母澤寛の「新選組始末記」にはたった1ページしか登場しないエピソードを、あれだけの物語に仕上げた手腕、すごいと思います。
発刊当時遠距離通勤をしていた私は、「壬生義士伝」を読んで電車の中で何度涙をながしたことか。
ストーリーテラーとしてはすごい人ですね。
新選組隊士については、まだまだ資料が登場します。人間臭い実話が明らかになればすばらしいと思う今日この頃です。
天然理心流の稽古用木刀
居合をやるようになって武術用具屋に顔を出すようになったのですが、普通の木刀と一緒に天然理心流の使う木刀というのを売っているのですよこれが。木刀というよりこれがもろ丸太。昨年の新選組フェスタで
初めて見ましたが、あれを振って練習するというのはとても厳しい。でも土の匂いのする素朴な剣法である
というのが伺えます。
逆に練習用に一番軽い木刀を使うのが、薩摩の示現流だということ。
「示現流は初太刀をかわせばなんとかなる」と近藤勇が言ったというのは有名ですが、示現流の演舞、
是非見てみたいものです。
会津諸侯まつり
新選組コスプレパレードになぜかはまった私にとって今年の新選組パレードで一番充実いたしたのは、
会津諸侯まつりです。
会津若松市内で、青龍、玄武、朱雀、白虎の各隊をはじめ、その他幕末戊辰戦争に関連した多くの隊が
市内をまる一日行進いたしました。
新聞によると観光客を含め、観客30万人!実に見られがいのある行列でした。
しかしながら、例のダンダラ羽織を着た新選組が会津で戦ったという記録は多分なく、旧幕側に確たる
戦術はなかったのではないかと思います。
このブログのなかでは、まずは天然理心流の剣法、さらには京都での新選組の剣法、戦法を研究し、
新選組の存在意義を考えていこうと思います。
昨日の居合練習
昨日も道場で刀を振る練習をしたのですが、切り降ろしの方がなかなか決まりません。二段の試験がある来年11月(ほぼ1年先ですが)までに上達するのでしょうか・・・。
マイブログの始まりにて不安を少々。
