その人が産まれのが、富山の山奥で一男五女での一番上で、戦争が終わって雪国の人たちは仕事がなく、途方に暮れいた
昭和36年に家族を捨て、大阪のあいりん地区にきて、日雇い労働者として50年の月日が流れ、ある日、仕事終わりお金を監督に、貰いに!
おじさん電話が掛かってると、じぃちゃんの名字で聞いたことのある、女の人でけど、じいさんはなんなく流してしまった!
後々考え見たら長女の名前だった!その次の日、役所からお母さんが亡くなって、遺産をどうするかと、通知が来た。
また電話が来て!じいさんが「おまえか!お前か!」と、50年ぶり長女に会話をした。電話越しに言葉に出来ない涙があふれて。お互いが生きていると!!生きてる!
それからじいさんは「遺産はどうでもいい」とオレはみんなを捨てた兄ちゃんやと!遺産についてはみんなで分配したみたいだ!
電話の番号を交換し。
じいさんに富山にお出でよと!
ある日じいさんは富山へと、サンダーバードに乗り富山駅に、駅には妹たちが迎えに来てた!そこでは本当に
本当に、みんなが生きてるとお互いに50年分の涙を流し、みんな家族を持って生活してると!一泊し…
帰りまた逢おうねと!電車に乗り大阪に帰るとき電車の中で背中から寂しさ、悲しさを感じワンカップ呑みながら涙を流したとさ。
おわり
