国際系大学院生mikunのブログ 『常識を疑え!!』-シュエダゴォン・パゴダ


(以前、mixiで書いた記事を転載)



国名・国旗・国歌が変更されたっていうニュースを見た人が居るか、



見たとしてもどこの国の出来事か覚えている人がどれだけ居るだろうか。


その国はミャンマーです。



ミャンマー連邦から2010年10月21日3時33分に



ミャンマー連邦共和国(以下ミャンマー)に変更されました。



国名は1948年-1974年をビルマ連邦、


1974年-1988年までをビルマ連邦社会主義共和国、



1988年-1989年をビルマ連邦、


1989年から2010年10月20日までをミャンマー連邦、



現在はミャンマー連邦共和国としています。



9下旬から10月の上旬まで渡航してきたので、



そのレポートを載せたいと思います。


(何回かに分けますが、長文なので覚悟して下さい)


まず、ミャンマーについての基礎知識を少々。



古くは11世紀頃、現在のタイ・ラオス・中国の一部など



一帯を支配する一大帝国であった。



その後、13世紀にモンゴル帝国に滅ぼされ、




4度の英麺戦争を経て植民地化され、第二次世界大戦中には



日本が1943~45年まで一時的に支配。その後英国領となったが、



1948年に英国から独立を果たした。




同国には135の民族が混在し、中でもビルマ(ミャンマー)族が



人口の7割を占める主要民族です。



現在まで続くビルマ族と少数民族との争いの火種は、



イギリス統治時代に起因するという。



イギリスの統治政策により主要民族であるはずのビルマ族が最下層に置かれ



インド人が権力の中枢につき、ついでシャン、カレン、カチン、チンといった



少数民族が権力の中枢についていった。






戦後の混乱に乗じてビルマ族中心の国軍が権力を掌握し、少数民族を弾圧していった。



以後の対立の経緯は、このあたりの理由だと推察される。



(ちなみに、日本初の第3国定住(難民)制度の許可がおり、


先月末に日本に入国したのは上記カレン族の人だ。



主な少数民族は自ら軍、武装組織をもっており国軍と対峙していた。



特に戦闘が長期化したカレン族は多数の難民を出し、



隣国のタイなどに避難していた。



武装組織も停戦合意派と反対派とで分かれていたが、



いずれにせよ、経済力を持たない、民主主義が根付かない地域では



一番の被害者は武器(=決定権)を持たない民間人だと思う。)





話を戻そう。



独立を達成するために陣頭指揮を執ったのが、



アウン・サン・スー・チー女史の父であるアウン・サン将軍である。



彼の部隊は対英戦の戦力として旧日本軍が訓練を施したという。



彼を称える気持ちは街中どこでも見ることが出来、身近なところでは



旧紙幣(軍政により廃止)、そしていくつもの寺院(パゴダ)で



彼の像が祭られていた。アウン・サン・マーケットという



大きな市場の名前の由来もそうだ。



写真はバゴー管区チャカッワイン僧院のアウン・サン将軍の像。



国際系大学院生mikunのブログ 『常識を疑え!!』-アウン・サン将軍




1948年に独立後、選挙を経て彼が国の代表になるとされていたが、



直前に何者かに暗殺されてしまった。





結局、独立以来続くミャンマーの軍事政権は1962年に発足。



ミャンマーのネウィン将軍がクーデターにより権力を掌握し、


それ以後、臨時政権のはずだった軍がビルマ社会主義計画党(BSSP)


を結成し、一党独裁による閉鎖的な社会主義政策をとるようになった。



その過程で多くの政治家が不当に逮捕される事態となった。



農業を除いて主要産業を国有化するなど社会主義経済政策を推進したが、




閉鎖的経済政策などにより外貨準備高が極端に下がり生産が停滞、



対外債務の累積が増大した。


教育水準が比較的高く人的資源を誇っていた同国は、



1987年に後発開発途上国(LOD:Least among Less Developed Countries)



に自ら申請し、認定された。



ちなみに、LODは国連開発政策委員会(CDP:



United Nations Committee for Development Policy)が認定した基準に基づき、




国連経済社会理事会の審議を経て、



国連総会の決議により認定された途上国の中でも



特に開発の遅れた国々のことを指す。



2005年2月末の時点で、50ヶ国がLDCと認定されている



(アフリカ地域:34ヶ国、アジア地域:10ヶ国、大洋州地域:5ヶ国、


中南米地域:1ヶ国が認定されている。)



この体制が22年間続いた後の1988年、国民の不満が高まり



大規模な民主化要求運動へと発展した。



1962年より続いた体制は崩壊したが、民主化勢力を武力で抑えた国軍が



混乱の中で政権を奪取し、国軍幹部が構成する国家法秩序回復評議会(SLORK)が



政権を担当するという今の軍政(軍事政権)が誕生した。


軍政は、政権樹立後に複数政党に基づく議会制民主主義の復活を約束した。 


これに従い、1990年5月に総選挙が実施された。




欧米諸国が今の軍事政権を「不当」と非難する理由は以下だ。





選挙の結果は、民主化勢力を集約したアウン・サン・スー・チー女史を中心とする



国民民主連盟(NLD)が、議席の80%を獲得する圧倒的な結果になった。



(ちなみに軍政側は492議席中10議席獲得)。





民主化勢力の独走を恐れた軍政は政権移譲に応じず、




反対に民主化勢力への弾圧を強め、武力により強制的に国権を掌握した。


(構図としては軍部と民主化勢力の対立であるが、




軍の高官の中にも軍政の強硬手段に反対し、


命懸けで民主化グループに加担した人も居たという。)


欧米諸国が軍事政権の正統性を認めない基本的理由は、選挙結果を覆したこと


ここでしょう。






以上を基礎知識とします。



非暴力による民主主義希求の活動で、アウン・サン・スー・チー女史は


1991年にノーベル平和賞を受賞しています。





ちなみに、軍事政権への強い非難は、内政不干渉の立場から



今でも常任理事国のロシア(旧ソ連)と中国が反対姿勢を示しています。




以上の騒乱の後、およそ20年ぶりに民政移管のための総選挙がありました。




それが2010年11月7日、昨日です。





次は、フィールド・リサーチの報告をしたいと思います。




国際系大学院生mikunのブログ 『常識を疑え!!』-ミャンマー上空