皆様、本日は立春祭おめでとうございます。
誠に畏れ多いことではありますが、主神は、唯一の神であり、すべての創造主であられます。
私どもは、何よりもまず、創造主であられる主神の創造のみ業が私ども自身の中で行われていることを認め、主神に対し、〝あなたがわたしの中で創造をしてくださっているのですね〟と応答させていただく必要があると思います。
明主様は多くのお歌をお詠みになりましたが、それは、私ども一人ひとりの創造主であられる主神が、私どもの中で働いておられることに気づかせてくださるためであると思います。
本日のお歌の二首目、「眼(まなこ)開き破壊の裏に創造の槌(つち)を揮はす神業(みわざ)見られよ」というお歌は、たとえ私どもにとって破壊的に感じることがあっても、主神が私どもの中で創造の力を揮っておられることを認めなさい、と語りかけてくださっているのではないでしょうか。
私どもの中には、どんな時でも、溢れんばかりの主神の無限のパワーが漲(みなぎ)っているのです。
三首目のお歌、「暗雲の幕うち破り日の如くメシヤの救の光出でなむ」は、私どもの心の中にどんなに深い暗雲が漂っていても、私どもの本体である「霊の体」には、その暗雲の幕を打ち破る主神のパワーが、メシヤの救いの光として太陽のように輝いていますよ、と呼びかけてくださっているように思います。
また、本日の御教えは、明主様が昭和25年の立春に、世界救世(メシヤ)教を創立された折のものですが、この御教えの最後に、明主様は、「救いの力も決定的でなくてはならない。その力こそメシヤの揮わせらるる大神力である」と述べておられます。
私どもは、自らの源である天国において、すべてを救う力、メシヤの御名にある主神の「大神力」というパワーを賜っていたのです。
私どもは、その力を自分のものとし、限りある力、片寄った力として使っていました。
私どもは、そのことを悔い改め、自らの中心に存在する天国に立ち返って、あらゆる力を、吸う息と吐く息と共に、力の源である主神に帰させていただきましょう。
そして、立春を期に、心を新たにし、すべてを赦し、救い、永遠の命に甦らせるという、メシヤの御名にある主神の「大神力」にお仕えさせていただきましょう。
このみ恵みがすべてのものに分け与えられますよう、明主様と共にあるメシヤの御名にあって、主神に委ねさせていただきます。
ありがとうございました。
平成30年2月4日
教主 岡田 陽一