今から約2年半前に弟が結婚した直後から、自分の実家に弟の奥さんの両親から「結婚式はいつですか?」、「日取りはいつですか?」という電話がしきりにあった。そして、何度か自分の実家に、弟の奥さんの両親が訪問もしてきた。

弟は結婚以前から「奥さんの一族は嘘つきである。あっちの一家は結婚式を挙げたがっているのに、仏滅や大安などの縁起に強い拘りがあり、挙式日をどんどん先延ばしされて困っている。」と主張し、実際、弟も平気で噓をつかれたり、約束を破られたりしたとのこと。

実際、自分も2回、家族ぐるみでお会いしたのだが、その際に約束の時刻になっても待ち合わせ場所に来なかったので、弟が電話で確認してみると「30分ほど遅れてから来ます」と言い、2回とも弟が指定した時刻の30~40分遅れでやってきた。

そのような経緯ゆえに、父は電話や訪問に対し、「一切、反応しない。」と結論付けて、今現在もその考えを崩していない。

 

しかし、この時点で自分には二つの疑問が生じていた。

一つ目は嘘つきだからという理由だけで一切、応対しないというのは人間的・道徳的に観ても非常識なのではと感じた点である。

二つ目は弟は以前から、虚言癖があったので、自分は弟の言うことが全て事実だとは思っていなかった点である。この点については以前から自分の両親もそれなりに理解していたのだが、いざ自分の両親に意見してみると「弟よりも奥さんの一族の方が嘘つきなので、弟の主張を信じる」と結論付けられた。

 

上記のように、自分が疑問を感じていた頃、偶然にも弟の奥さんの両親から「コロナ対策のこともあるので、返事をください。」という内容の留守電が入った。新型コロナウイルスが流行し始めた約2年前のことである。感染拡大防止のためにも意を決して、自分は両親に内緒で弟の奥さんの両親に返事をした。

具体的な用件を聞いてみると「新型コロナウイルスが急拡大しているのに、弟さんは帰宅しても手を洗わずに素手で料理を食べている。いくら自分たちが注意してもすぐに開き直るので、実家の方からも注意してほしい。」、「いつになったら挙式してくれるのか」の二点であった。

一点目に関しては「自分が両親にさりげなく伝えてみます」と答え、二点目に関しては上記のように、自分たちは弟から奥さんの一族が挙式を望んでいるという旨を伝えると「それは違います。私たちはあなたの弟さんが挙式を望んでいるのに、あなたの両親が仏滅や大安などの縁起を理由に挙式をどんどん先延ばししているので困っていると、弟さんから聞いています。」と言われた。

自分が返事をしたことが果たして、正しかったのかどうかは未だに分からない。ただ、この一件以降、弟の奥さんの両親からの「結婚式はまだですか」という要求は一切、無くなった。なお、結婚式は未だに実現していない。

 

 

自分の父や叔父叔母、祖母が入所している施設の社長さんにいわせると「弟の奥さんの実家は嘘つき。なので、相手にするだけ時間の無駄である。だから、関わりを持たず、交流するべきではない。」とのこと。

・・・たしかにそうかもしれない。しかし、自分は例え、嘘つきでも話し合いの場を設けるべきだと思う。これは童話「狼少年」が好例だと思う。狼少年は日頃から嘘ばかり付いていたので、本当に狼が来ても誰も助けてくれなかった。これは自業自得だと片づけてしまえば、それまでだが、どんなに嘘つきであっても一人でも良いので、狼少年の話に耳を傾ける者がいれば、結末は大きく変わっていたのかもしれない。

 

現代社会でもそうだが、一番怖いのは「みんなが同じ方向を向いている」ということだと思う。

うろ覚えだが、学生時代に社会科の授業で見た戦前のアメリカ映画にて、こんな場面があった。

裁判員裁判として集められた人々は多忙な日々ゆえに招集されたことに内心、嫌気がさしていた。

一通りの証拠が揃っていたこともあって、裁判長が「全員一致で有罪の決議だと、この場でお開きとなります。」と語った。

裁判員たちは安堵の笑みを浮かべ「家に帰って野球中継が楽しめる」などと談笑し始めた。

しかし、実際に決議を取ってみると、一人を除いて有罪という決議になってしまった。

有罪という選択をしなかった一人の裁判員に他の裁判員が問うと「ここで自分が有罪と判定すれば、ちゃんとした議論もされないまま被告は有罪となってしまう。」と語った。

 

改めて言うが

例え、嘘つきであっても話し合いの場を設けるべきだというのが自分の結論である。