2023年8月23日

父が亡くなってから今日で1年が経った。早いような、遅いようななんともいえない感覚である。

あの日以降、父のことを忘れた日は1日もない。そのくらい"父親の死"というものは自分らにとって想像を絶するものであった。

今振り返っても後悔しかない。育ててもらった感謝も伝えられていないし、一緒にお酒も飲めていない。加えて自分の端末に父の写真は1枚もない。声もとうに忘れてしまった。思い出したくてももう思い出せない。未練だらけだ。

なぜ救えなかったのだろうと、ふと考える時がある。父を救うのに尽力した救急隊員の方々は、「心室細動を起こしていたので、心臓マッサージだけでは無理があった。あの状況でAEDを持ってきた自分を褒めてください。」と言ってくれたが、当然それで踏ん切りがつくわけもない。今まで仕事柄、救命講習を何度か受けてきたはずなのに結局焦って、AEDをろくに扱えなかった。不甲斐ない。辛い。今でも街中で親子連れを見ると微笑ましい反面、泣きそうになる。

ただ、1番辛かったのは母であろう。夫婦間の仲は冷めきっていたが、30年近く一緒に暮らしてきたのだ。失って辛くないはずがない。母は芯の強い人間だと私は思っているが、あれほど弱った母は初めてだった。そんな母に追い討ちをかけたのが相続や、保険などといった様々な手続きだ。母が夜遅くまで書類と睨めっこをしている中、私はなにもできなかった。情けない。

そうはいっても、いつまでも落ち込んではいられない。親の死というのはいつか誰しも経験する。たまたまそれが早かっただけなのだ。

私は父のことを何も知らなかったので、先ず父がどういう人間だったのか知ろうとした。2023年11月15日に父を偲ぶ会が開かれ、父の同僚、上司、カメラの師匠など様々な方々が父のために来てくれた。

父はアツい営業マンとして、"火の玉ボーイ"という愛称で親しまれていたこと(家の中のだらけきった姿しか知らなかったので、この時点で私と母は衝撃を受けた)、ロック好きではあったが流行りの曲しか聞いておらずミーハーだったこと、飲み会では最後に上司や同僚を介抱する立場だったこと、目立ちたがり屋で曲が流れれば前に出て踊ってしまうような人だったこと、歌うのが好きであったこと...全て知らなかった。当の本人が生きていたとしても決して自分からは話さなかっただろうが、私たちは父についてあまりにも知らなさすぎた。悔しいが"父親の死"がなければ、このように父のことを知りたいとは一生思わなかっただろう。何せ、生きていて当たり前だと思い込んでいたから。
至極当然だが、人はいつか死ぬ。明日かもしれないし今日かもしれない。上述したように、私はたまたま2023年8月23日に父を失った。
これは持論だが、どんなに孝行をしたって、結局誰か親しい人が亡くなった際には「〇〇しておけば...」と後悔は必ず出てくると思う。私は人よりそれが少し多いが...。ただ、私の友人にはこんな辛い思いはできるだけしてほしくない。今のうちから、少しずつで構わない。母、父、兄弟姉妹、"人"への感謝を忘れずに。
2024年8月23日