引き分けに終わったコンフェデレーションズカップ2005 日本vsブラジル戦の真相 前編 | ギタリスター誕生~ギター500年の歴史がここから変わる~

 悪夢に終わった2006年のドイツワールドカップ。そんなジーコジャパンがワールドカップ前、高く評価された試合がありました。

 

 
 それは連覇を成し遂げたアジアカップでも、チェコ戦やイングランド戦でもありません。2対2の引き分けに終わったコンフェデレーションズカップのブラジル戦です。

 

 
 中村が豪快なミドルシュートをきめたあの試合です。覚えている人も多いと思います。『加地の疑惑のオフサイドさえなければ日本が勝っていた』という人すらいました。

 

 
 ロナウド、ロベカル、カフー、ジーダは出ていなかったものの、ロナウジーニョもカカもアドリアーノも出ていたブラジルに日本が引き分けたのです。ワールドカップの悪夢を考えれば、この試合をジーコジャパンのベストバウトにあげる人も多いかもしれません。

 

 
 そして試合終了後、解説の清水秀彦さんもジーコジャパンの健闘を褒め称え、放送が終了しました。が、観終えた私の感想はこのようなものでした。

 

 
 『たしかにブラジルに引き分けたものの、ほとんど中村のロングキック頼みという内容だったな。日本がやろうとしているのはこういうサッカーではなかったのじゃないのか……?』

 

 
 それからややたってサッカーから離れていき、さらに数年が経過したある日、スポーツライター杉山茂樹さんの【ドーハ以後ふたたび】という本と出会ったのです。

 

 
 それまで私は当時のジーコジャパンが、なぜアジアカップやワールドカップ予選で格下相手に苦戦の連続だったのか?なぜワールドカップで悲惨な内容に終わったのか?具体的な理由がわからなかったのです。テレビを見ても雑誌を読んでも。しかし杉山さんの【ドーハ以後ふたたび】の中に、ジーコジャパンが弱かった理由が克明に書かれていたのです。

 

 
 なぜ、ジーコジャパンは弱かったのか?━━当時、世界は4231の時代に突入しており、ジーコが採用していた4222や3412は時代からずれていた上、日本の選手たちに不適任なシステムだったらしいのです。

 

 
 では、なぜ4231はすぐれているのか?まずはサイドバックとサイドハーフがいることでわかるように、サイドをふたりで攻めることができるという点。

 

 
 次に2列目に攻撃的MFを3人も使えるという点。日本は傑出したFWがいない代わりに、中田、中村、小野など、秀逸な攻撃的MFの宝庫です。その日本の武器をいかしやすいシステムだったというわけです。

 

 
 ところがジーコは4231を一切やろうとせず、ブラジル伝統の4222や、攻撃的MFをひとりしか使えない3412でチーム作りをおこなってしまったのです。こうした理由からサイドからではなく中央からの攻めが多くなり、優秀な攻撃的MF陣も眠らせたままになってしまったというわけです。

 

 
 しかし、そんなジーコジャパンもいい試合もしたのです。前述のコンフェデのブラジル戦です。

 

 
 しかし杉山さんの【ドーハ以後ふたたび】には、あえて取り上げるまでもない内容だったためか、さんざんコケにしてきたジーコジャパンがいい試合をしたため【都合が悪い】と判断したためかわかりませんが、ブラジル戦の結果だけが書かれていて、試合内容についてはまったく触れられていませんでした。

 

 
 それなら自分で分析・検証してみようと、数年前に録画した日本vsブラジル戦のビデオテープを押し入れの奥から引っ張り出すことにしました。

 

 

「ドーハ以後」ふたたび 世界から見た日本サッカー20年史/杉山 茂樹
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