どうもこんにちは。
忘年会の幹事を押し付けられて、ヒッジョ〜にダルくて死んでる私です。
めんどくさいんだよぉおおおお!!!!!
夜勤が良かった…
2時間残業した日勤終わりに ビンゴの景品を買いに行ったんですが、ヤケクソで蛇の人形とか ノートルダム大聖堂のパズル?とか買っちゃいました。
え、個人的趣味すぎる??
蛇人形はちゃんと同行者の同意得たし、
大聖堂パズルも布教(ミュージカル的な意味で)の一環ですよ。
……………はい。
今回は この生命誰のものシリーズ、完結編(?)です。
いや〜、4連チャンで記事書いちゃうくらいドツボだったこの舞台。
先日 千穐楽を迎えましたね。おめでとうございます。
もっともっと行きたかったんですがね…
仕事でしたので…(泣)
ほんと、観劇のために仕事してるんですが、観劇のために仕事辞めたいです。。。
でも 土曜日に四季ファンの方にお会いして、この生命誰のもの を絶賛したら、その方 千穐楽に当日券を取って行ってくださったみたいで。
なんだか嬉しかったです(*´꒳`*)
だってだって、本当に素晴らしい舞台だったんだもの。
1人でも多くの人に観てほしかったのですよ。
あ、それと
原作(?)を手に入れたのですよ!
ネットって何でも手に入りますね。
中は台本形式になっていました。
舞台こそイギリスなのですが、台詞もあまり違っていなくて いい買い物でした(`・ω・´)
これでじっくり考察できるってもんだぜ。
…さてさて。
今回は、作品と直接 関係はないかもしれませんが
私の個人的なお話をしようかな、と思います。
あの舞台を観て思ったことはたくさんあります。
私は基本的に(みんなそうかもしれないけど)、主人公と自分を重ねるというか、主人公の立場に立って観劇するんですね。
シンバの気持ちになったり、カジモドの気持ちになったり。
でも、今回はそうじゃなかったんです。
というか、それだけじゃなかったと言うのかな。
今回は 主人公早田の視点ともう一つ、
医療従事者側の視点から、多角的に舞台を観ることができました。
早田の苦しみを感じながら、医療者の苦悩や考えも感じながら。
江間が早田に精神安定剤の針を突き立てるシーン。
頭にこびりついて離れないのです。
そして思うんです。
「ああ、私はこれをやっている側なんだ」と。
我々は人に針を刺す、ある意味で人を侵襲し傷つけることのできる資格を持っているんですね。
もちろん 医師の指示のもとですし、不必要な薬を使ったりましません。
けれど認知症で暴れる患者に、精神安定剤の注射を突き立てたことは何度もあります。
時には殴られ、引っ掻かれ、罵声を浴びせられ。
そんな患者さんに、私たちは本人の同意なく 注射をします。
もちろん暴れるので、力ずくで。
(看護師、意外とマッチョなんですよ)
我々は間違ったことをしているわけではないかもしれません。
だって そうしなければ、その患者や周りにも危険が及ぶのですから。
けれど患者本人からしたら 自分は全く正常であって、意思があるのに、それを無視して注射をされたという気持ちはあるのでしょう。
仕方ない と思ってやっていたことだけど、今になって考えると 他のやり方もできたのかもしれないな と思うのです。
夜勤中などは特に、看護師2名で多い時は40名弱の患者を診るので、1人1人にかけられる時間は どうしても短くなりがちです。
話をゆっくり聞いて落ち着かせてあげるようなことができません。
看護学校では、興奮する患者に対して「傾聴し共感する」みたいなニュアンスの対応を勉強したはずなのに、実際臨床では不可能なんです。
まあ、あくまで私の勤め先での話になりますが…。
ちょっと話が逸れちゃいましたけど。
私は整形外科病棟にも勤務していたので、脊髄損傷の患者さんも見たことがあります。
若い方はあまりいなかったのですが。
以前、転倒してC5頸髄損傷となり入院してきた方がいました。
その方は頸部の骨折のみで、早田ほど全身に傷を負っていたわけではないのですが…。
その方は首から下がほぼ麻痺してしまい、指は微かに動かすことができましたが、ものを掴むとか そういった有効な動作は何一つできなくなってしまいました。
また 息を吐く力も極端に低下してしまったため、早田のように流暢に話すこともできませんでした。
掠れた声で短く訴えるだけで。
その患者さんはやがて、用もないのにナースコール(手が動かない人用に、息を吹きかけて反応するタイプのナースコールがあるんですよ)をしたりするようになりました。
我々職員の多くは、忙しさにかまけて その方の精神面をきちんと理解してあげることができませんでした。
その方は持病の進行もあって 後々なくなってしまうのですが…。
もっと関われたはずなのに、という想いがずっと離れません。
もう1人、胸髄損傷の方もいました。
その方は胸から上は動くのですが、強い疲労感もあり 結局腕をあまり動かすことはできませんでした。
その方はよく、「死にたい」と言いました。
私たちは何もしてあげることができませんでした。
「死にたい」と言われたときに、なんと答えればいいのかもわかりませんでした。
その発言を主治医に報告すると、すぐに心療内科の医師が来て、精神安定剤を処方していきました。
この患者さんは「楽になりたい、眠りたい」と精神安定剤の服用を受け入れていたのですが、
もし早田のような患者さんがいたら…。
私はどう関わっていいか、今でもわかりません。
看護師の視点から見ると、早田は非常に関わりづらい患者です。
頭が良く口が達者で、少し頑固者で。
でも関わりづらい理由を考えると、それは我々看護師が、職務を円滑に進めるために 患者さんの自由意志を無視しようとしているからなのではないかと思うのです。
個人を診るのではなく、流れ作業になってしまっているのではないかと。
…と、この作品は尊厳死や命の問題だけでなく、私の仕事のことまで考えさせられるほど 多角的な問題提起を孕むものだったということです。
舞台を観て、看護師としてのあり方を見直すきっかけになったと感じます。
そういえば、あの舞台を観た後
観客の方が、
「あの状態じゃ死にたくなるよね。でも6ヶ月も世話したり助けた側からしたら 複雑だよね」
と言っているのを聞きました。
個人的な見解では、
私は 死に関しては 本人の意思を尊重すべきであると思うので、何が何でも生かしたいとかは思わないです。
いつかの回でも書いたように、私の周りの看護師たちも、ほとんどが同意見でした。
それは、患者と一番頻繁に関わっているので、患者の苦しんでいる姿を間近で見てきたからなのか
あるいは、人の死というのものが常態化してしまっているからこその感覚なのか
そこはわからないけど…。
何ヶ月と入院した患者さんが亡くなると 悲しいというより寂しいな、と思います。
ああ、もういないんだな、って。
自分ではあまり意識していなかったけど、
それこそ、患者と距離をとっている証拠なのかもしれませんね。
冷血な人間だと思われるかもしれませんが、
私は 患者さんが亡くなって 泣いたことがありません。
もともとあまり泣くタイプの人間ではないのですが…。
同期にはいたんですよ、患者さんが亡くなると 毎回のように泣いてしまう子。
優しくて 患者さんに寄り添うような いい看護師だったのだと思います。
その彼女は 今はもう仕事を辞めてしまいました。
本人に理由をきちんと聞いたわけではありませんが…
患者さんに近づき過ぎると、そうなってしまうのかな と思いました。
死は太古から存在する、普遍的なものです。
人によって、恐怖の対象であったり、絶望の対象であったり、救いの対象であったり。
同じものなのに、人によっては評価が正反対なのも不思議なものですよね。
どうせいずれは迎えるものですから、こちらからわざわざ行く必要があるのかな と以前は思っていましたが、
もし自分が、早田のような状況になったら。
私は、早田と同じ道を選ぶかもしれません。
あくまで想像しかできないので、早田の、そして実際に障害を持っている方々の苦しみを 完全に理解することは 私にはできません。
障害を受け入れて生きる方々にとっては、この記事は不快感を感じるものだったかもしれません。
その点は お詫び申し上げたいと思います。
本当に、個人的な意見の記事です。
早田も言っていたように、同じような状況でも、当人がそれを受け入れて生きていくことを選択したのだとすれば、その選択に則って生を全うするのに 我々の意見が及ぶべきではないと思います。
もしそんな方を社会が殺そうとするなら、確かに非常に恐ろしいことですね。
そこはきちんと承知しています。
どの流れで終わらせれば良いのか分からなくなってしまいました。
何せこの作品、余韻が凄くて
観劇して数日経った今でも、色々思い出しては考えて、を繰り返させられています。
本当にいい作品に出会えたな と思っています。
今回はもう 千穐楽を迎えてしまいましたが、
再演することがあれば また観に行きたいと思います。
皆様も是非、実際にご覧になってみてください。
……ではでは。