今日、あなたが「クレイジー」だと言った価値観は、百年後のスタンダードになる。

 

空を見上げれば、当たり前に飛んでいる飛行機。

 

百年前、それはクレイジーな存在だった。

 

あなたが手に持っているスマートフォン。

 

20年前、誰がその存在を当たり前だと思っただろう。

 

逆に百年前、当たり前だと思っていた価値観は、現代から見れば実にクレイジーだ。

 

もうこれ以上、いちいち例は挙げない。

 

そういうことだ。

 

クレイジーな奴が常識を越えて、時代を切り拓いてきた。

 

もちろん、その陰には累々たる屍が転がっている。

 

人生はクレイジーでなくちゃ面白くない。

 

むしろクレイジーでなくちゃ生きていけない。

 

常識と良識に押しつぶされてしまうからだ。

 

もっとクレイジーに。

 

もっとユーモラスに。

 

つまらない現実と冷笑主義に鉄槌を下すのだ。

 

人生は闘いであり、それだけの価値がある。

 

せっかく死ぬまで生きていくのだから、闘わなくちゃ退屈で死にそうだ。

 

 

 

こんなことを平素から言っていると、外野が実にうるさいこと。

 

黙ってろ。

 

俗物に用はない。

 

お前らは、一生愚痴を文句を垂れながら、酒でも呑んで貴重な時間を酔いつぶすがいい。

 

私は酒を呑まない。

 

酒を呑んで大きなことを言うヤツが嫌いだ。

 

酔った勢いで言ったことなど、0.1ミクロンだって信じない。

 

我ら俗情との結託を峻拒す。

 

酒の酔いなど週明けには醒めているが、天下に志を打ち立てた者は、その高揚感が醒めることはない。

 

もちろんこれも、シラフで言っている。

 

もっとクレイジーに、人生を楽しんで闘い抜かなければならない。

 

It’s Show Time!

 

このセリフを、いつも喉の奥で反芻しながら生きている。

 

お楽しみはこれからだ。