もう
これで後悔するのは終わりにしよう。

自分を許してあげよう。


何度も何度も書き直しては下書きに入れ
読み返しているうちに、
心の整理がついて楽になってきた。


もう許してあげよう。

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羊蹄山



母が意識を失い、命をさ迷っている時に、
弟が三重から面会に来た。

弟は、泣きながら母に謝っていた。

遠くにいてなかなか会えず
私より後悔が深かったのだろう。




母が少し元気になり、介護付きの施設に入ったが2カ月で体調が悪くなりまた病院へ入院。

この頃はもう自分で起き上がる事も出来なくなっていた。


 この時も母は家に帰りたいと毎日言った。
時々外泊や外出をもらい自宅に帰ったが、もう最期かもしれない。
家に帰してあげたい。

考えたら、もう一年以上も入院している。


母が食事を摂れなくなり、末梢の血管の点滴も針が入らなくなり、中心静脈栄養になった時、最期を自宅で看取ろうと覚悟した。

介護保険のサービスを調整をし、介護ベッド、点滴台などなど準備して退院させた。

昼間は訪問看護、訪問リハビリ、往診を入れ、夜は私が介護した。
オムツ交換、眠れない母の身体をさすり、私も朝まで眠れない。


私は忙しい職場を休めない気持ちと、自宅で母を待たせている焦りと
私がいない時に母が急変して亡くなっているのではという恐怖に、疲弊していく。

私は一週間だけ介護休暇をもらった。

この一週間は母とゆっくりできた。
今思えばこの一週間があって良かった…


でも休み明けは仕事が溜まった。

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自分の中の矛盾が大きくなっていく。

仕事をしながら在宅介護なんて
本当に出来るのだろうか…


大丈夫、サポートするから!
在宅介護を諦めないで!
と、散々患者さんの家族に言ってきた。

なんて勝手な励ましだったか…
押し付けだったかもしれない。

患者さんにとって良かれと思っても
家族が疲弊しては患者さんだって幸せでは無い…

自宅での介護が二週間を過ぎた頃
意識状態が悪化した。

結局入院させた。

看取ると決めたのに、仕事を休めなかった。
いや、今思えば休む事は出来ただろう。
でも、あの時の私は仕事を休まなかった。

何故だろう…
今考えてもそれがどうしても理解できない



自宅で看取ろうと覚悟したのに入院させた…強い後悔。
そのうち、私は精神的にバランスを崩してしまった。

ドクターストップ。

仕事を休職することになった…

入院している母は意識が低下していった。
休職しているなら自宅で母を介護出来るじゃないか…

でも、私を心配していた夫も弟も反対した。
私は自宅で休養することなったが、
母が入院しているので毎日病院に行っていた。


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ある日家にいると病棟から電話、母の呼吸が浅くなったと。
病院に行き話しかけると母は私が分かって
小さくうなずく。

モニターの呼吸も心拍も延びている…
最期の最期に、
今迄言いたくて言えなかった、

ばあば、今までありがとうね。

と、言った。

この言葉を言ったら母が生きることを諦めてしまうような気がして、ずっと言えなかった。

すると母は泣きそうな顔になった。
ちゃんと聞こえていた。
泣きながら、ありがとうって
言いそうな顔だった。

そして息をひきとった…

私は声をあげて泣いた。
ごめんね、ごめんね。
今まで本当にありがとうね。


看護師なのに
最期を自宅で看取れなかったという後悔が
今までずっとあった


と思っていた
けど、

今思う。
最期をどこで、よりも

母に優しくしてあげなかった事に後悔しているんだ。

もっと優しく話しをして、聞いて、
もっとたくさん話しをすれば良かった…
もっとたくさん一緒に出かければ良かった。
もっとたくさんありがとうって言えば良かった。
なんでもっと優しくしてあげなかったのか、
後悔が溢れる。


きっと、母が家に帰りたいと言ったのは、家で死にたいというよりも、
私と楽しく家で暮らしたかったのだ。
昔みたいに…


ごめんね…


もういっぱい泣いたから、
これからは前を向くね。

お母さん、ありがとうね。

私を産んでくれてありがとう。