少し昔の歌を知ってる人なら、聞いた事ある
青い目をした、おにんぎょは青い目をした・・・
の歌の基になったお話・・・

青い目の人形は、1927(昭和2)年にアメリカの子どもたちから日本の子どもたちへ贈られてきた「友情人形」のことです。
贈られた当時は友情のあかしとして、大切にされてきましたが、戦争になると敵国の人形として、焼かれたり、壊されたりするなど悲しい運命をたどりました。

日本からの返礼・答礼人形

  日本からも返礼として日本人形をアメリカの各州に贈ることになりました。
人形の数は日本代表の他、各道府県、六大都市、合計58体製作され、その年のクリスマスに間に合うようにアメリカへ送られました。一体350円程度の人形が作られましたが、 当時、先生の1ヶ月の給料が40円だった頃のことで、大変贅沢な人形だったようです。
 アメリカで大歓迎を受けた答礼人形は、アメリカ各地を回って展示された後、
アメリカの各州に1体ずつ贈られ、博物館や美術館などに保存されました。


きもの neisan
ニュー ヨークで歓迎を受ける答礼人形
〔横浜人形の家提供〕
http://footandtoy.jp/returnsalute.html
詳しくは、このサイトからご覧ください。


この人形を見て、殆どの方は

「怖い!」「これ、髪伸びるんでしょ?」

きもの neisan

そんな人形だったら一儲けできるから
売んないよ!って職人さんは
笑います。

昭和の初期は日本の
女の子の憧れの
お人形さんだったのに
最近じゃ、お化け呼ばわり・・・

70工程以上の手間隙かけて
作られるお人形。

今じゃ、この職人さんも
10人も居なくなりました。
愛知県の岡崎市に一軒
関東地方に数件の
人形やさんが
コツコツ作られています。

昔は、ひな祭りには
お雛様の下に
飾られて、嬉しそうに
してたのに・・・・

ちなみに、この人形は
松乾斎 東光さんが
作られた、答礼人形です。
答礼人形の由来は
次回に・・・・
東京に、江戸東京建物博物館がある。
貴重な、古い建物を移築して
残してある。

広い敷地は、タイムスリップしたみたい。
千と千尋の神隠しの湯屋の
モデルになった風呂やが
有ったり、有名建築家の
歴史的な建築物があったり・・・

こんな、昭和初期の客間が
有るような、古い家で
きもの着て過ごしたい。

きもの neisan

この千本格子は、金沢の
有名な景観条例が出てる
道から、お部屋を覗いた
大好きな写真。

きもの neisan

やっぱり、きものは最高に素敵!