あげるの迷ったけどあげました。


重いからこそあげる。



そして私は新年のシャワーを浴びていました。


その時ふと、思ったんです。



こうして、心理に向き合ってきた

何年もの間、大概の問題と思っていた問題は



すべての場合



例えばだけど


☀️すでに認められていた

☀️すでにバレていた(その上で共にいてくれてたとか)

☀️すでに愛されていた

☀️すでに充分に持ってたー!



っていうオチが多いということ♡



じゃあなんでそれに気づかないか。

そこに、オチないか。





それは自分のフィルターを通すから


そのフィルターに 

親の呪縛フィルターゲロー

がくっついていて、



オチまで持っていかせないから






親の呪縛はあなただけのもの。

なんならそれが宝物になる。



だって、同じ内容の出来事が起きても


それ、を気にする、気になってしまう

のは自分だけ。



だから、それ、を超えて、

受け取るものは私だけの宝物なんだ。



ってこと。



昨日の想いブログにあげられたからかな



シャワー浴びて昨晩の会話の中で、

思いだしたことがある




それは



大学の卒業式にみんなで来て



長女が言っていて、その中に私も居たこと。



まんまとしっかり親の呪縛で

感情を揺さぶられている真っ最中は



そっちにフォーカスがいきまくって


よく幸せのほうを取りこぼす。






私は繊細でネガティブになって

悲しくなって泣いたりすることも

未だにあるけど、



そこからの回帰力は

この数年で何十倍と

とてつもなく上がってる



しかも、辛くて逃げたりすることも

ほとんどない。






これを今年のテーマに掲げることに

今朝はまだ少し迷いがあったけど



決めた。



なぜ迷いがあったかって、


自分ファーストにしていいのか?

自分勝手とは違うのは理解していても

自分ファーストって結局何?

私は人の喜ぶ事も好きだから



だけど、これらを


自分ファーストしながら、

その中で形にしていこうと思う。



改めて、という感じ。


今更自分ファースト?


じゃなく、



自分ファーストの質をあげる。



本質を理解しない自分ファーストは

自分を本当の意味で幸せにしないし、

周りも幸せにはならないから。




自分ファーストの先に見る世界は

私が最高に幸せで福々で、

その周りにも福々が溢れていること