私は本当は、我慢と窮屈が大キライ。
前回まで書いたように、
当たり前だが、精神病院、閉鎖病棟で、普段の生活と真逆の禁止を多く強いられた。
その間、ものすごくスマホが触りたくて仕方なかった。看護師さんは忙しいからそんなに私の事を監視していないだろうと思って長い時間、触っていた時もあったけど、それはバレて、注意勧告を受ける事になった。
それと、付き添い、外出禁止!!!
なんやねーーーん、ソレ???
私は、ちょっとやそっとで破れる壁でない事を承知していたが、
少しズレタ頭の中で、カレも親も駄目!と言われて、その壁を突き破りたくて仕方なかった。
息子に来てもらうのは無理。
それで、
次に、こんな事を思いついた!!!
私には1人だけ若い友達がいた。
そんなに会うわけではなかったが、やはり友達だ。
歳は30過ぎってところか??
息子と対して変わらない・よな??!!?
私のカレが面会に来たとき、身分証明を提示されたか?と聞いたら、なかったと言うので、
私はその若い?青年?にlineした。
今、私はこんな状況である。外出禁止されてる。
息子のふりして、来てくれないかと頼んでみた。
顔なんか違ってたって、わかりっこないのだ。
少しだけ芝居をしてくれたら……上手く行くかもしれない。
一回、この病院に面会に来て、部屋の鍵を渡すから、私んちまで行って、コレコレを持って、引き返しても一回この病院に持ってきてくれないかと。私は、うちの観葉植物も枯れてやしないかと気になってイライラし始めていた。
それだけをしてもらうのには半日以上は潰れる事は分かっていたから、バイト料はちゃんと出すと、lineしてみた。
すると、その子は興味深々そうであったが、、、
今、こんなやねんと、顔にペンキみたいなのを塗りたくった写真付きのlineが来て、どうもお祭り騒ぎor日本にいないかもしれなかった。
ごめんなー、○曜日には行けるかもと書いてあった。
けど、それではもう遅すぎる、今やねん、欲しいのは!しんどいのは!!!
私の悪巧みはもろくも崩れ去った。
あきらめるしかない…。
ここまで画策をして、ダメなんだから…
〜それで、私は、やっと完全に諦めがついた。
今、こうして書いていて、私もいい加減ひつこいな〜と思うが、それができたら、多分スリル満点でなかなか面白かったかもしれない。\(^o^)/
そんなこんなで……どんな患者なんでしょうね???
午後は、ずっとビーズいじりに没頭し、
それをキッカケにして、何だかお話ししたりする人が増えて、私の心は随分と救われた。
アクセサリーはいくらどんどん出来あがっても、ネット販売は私には無理と諦めていたし、お店に持ち込むのもなかなかはかどらず…だったのに、何人かの患者さんは、ソレ欲しいから予約ねと言って下さって、皆んなが退院したら、また、会ってその時にと、連絡先の交換をしたりした。
焼肉でも食べに行きましょうねと約束しているの。
楽しみだな。
身体は徐々に楽になるのがわかった。
だって、上げ膳据え膳、買い物もご飯作りも掃除も風呂洗いもしなくていいのだ。
これで、たまに下のレストランに行けて、酒もタバコも吸えたら、最高かもしれんなと友達と冗談交じりに笑った。
禁止が多いのには閉口したけど、それは仕方ないもんね。自分で臨んで入ったのだし。
患者さん友達にも恵まれたとも今は思う。
それと、精神科救急電話のおっちゃんの言ったのと違って、病院は私の家から奇跡か!と思うぐらい近かった。精神科救急ダイヤルのおっちゃんの記事、ココです! (ココ押して、びっくり記事!読んでみて下さ〜〜い!!!)
病棟内の環境も落ち着いていて、他の患者さん達は、皆が皆、入院するならここが一番!だから、あんまり病院側に不服を言わないようにしようと、話しをしておられたぐらいだった。
振り返るまでもなく、私にとって、ホントに辛い事ばかり続いたこの数年だった。
しかしながら、
私はある意味、何かしら、強運みたいなのを新たに感じている。
精神病院入院の経験は、それが勘違いであったとしても、はるかの体験に少しだけ近づけような気がして、、、良かったように感じている。
「はるかの絵の本」復活しました
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