昔、長男・シンペイ君の下に、やっと二人目の子供、すなわち、陽香(はるか)ちゃんを出産した時のお話しです。
私は働いていた訳ではなかったので、のんびりと子育てをしていればいいのに、
多分、これは、元もとからあった私の気質なんだろう。
いつも、なんかせずにおられない。
普通に穏やかにして、普通にご飯を作って、のんびりしてればいいのに、これがなかなかできない。
しかも1人目のシンペイ君は、ドスーパー級の暴れん坊だった。動きも素早く、いつも走りまくっていた。その上、口も達者でマシンガン、私の子育ては一人目にして、上の子・シンペイの世話で手一杯で、かなりハードだった。
ママ友には、「しんちゃんて、3分?(ちゃうな)3秒たたないうちにどこかへ消えてしまってるね」とか、
当時、クレヨンしんちゃんがテレビで流行りだした頃で、「あのTV、見てたら、Qさんとしんちゃん母子見てるみたいやわ〜」などと言われたりした。
いちばんガーンときたのは、私の母が、
「この間、三つ子を連れたお母さんがうちに遊びに来て見てたのだけど、アンタの方が、その三つ子のお母さんよりずっと大変そうやわ〜」と言われたことだ。
ま、そんな感じで、騒々しく、それこそ毎日しんちゃんに振り回されて、ヘトヘト&バタンキューの日々を送っていたのだが……
周りに次々と、下に弟・妹ができるのを見て、我が家のしんちゃんも、「僕にも妹か弟が欲しいよ〜」と言い出して、私は{アンタひとりでもう十分や〜〜(^◇^;)〜〜}と内心思っていたが………それもかわいそうかなとも思い、2人目に挑んだ。
シンペイがいるのに(当時3歳、幼稚園年中に入る直前だった)、赤ちゃんが産まれて(4月初旬が出産予定日)、新生児を世話しながら、暴れん坊のシンペイもみなあかん、
朝起きて赤ちゃんの世話をして、幼稚園のお弁当作って、赤ちゃん抱っこして、山のけもの道(幼稚園は小さな雑木林を越えた向こうにあって、バギーは使えなかった)を登って、決してまっすぐには歩かない幼稚園児の送り迎え。
子供を2人を育てる近い未来に、ものすごいプレッシャーがあった。
そこでもまた、ちょっとはゆったり構えればいいのに…
家中の掃除もきちんとして赤ちゃんを迎えなきゃ!と、天井のすす払いから徹底的にしまくったり、赤ちゃん産まれたら何もできなくなるかもしれん、それなら、産まれるまでに、色々作らなきゃと、又々ハードルを上げて、編み物をしたり、チクチクもしたり、、、まるで、今しかないでしょ!そんなノリで、はりきりすぎて、私は、毎夜、寝る間も惜しんで色んなことをしていた。
結局、かなりの寝不足妊婦として、私は春の出産日を迎える事になった。
色々精力的?に動いたせいか、出産日は予定より早まり、出産とシンペイの幼稚園の入園式がぴったりと重なってしまい、何よりも楽しみにしてた初の入園式に出れず、これも後悔のひとつになった。
さて、これからが本題です。
序章長すぎてごめんなさい。
寝不足の妊婦が出産で急遽入院しました。
入った病院の6人部屋が、運が悪かった。切迫流産の妊婦さんばかりの部屋で、他の妊婦さんみんながめっちゃ神経がとんがっていて、会話も微笑みも何もなく、私はとても居心地が悪く感じた。
はるかちゃんは程なくして産まれてくれたが、
とにもかくにも、部屋のみんなが神経ピリッピリでおだやかな空気はそこに漂っていなかった。
私は最初は母乳育児を目指していたのに、すぐにお乳は出なくなり、乳腺炎ていうのか、オッパイがバンバンに腫れ上がり、そこから最後には高熱が出てしまった。冷たい部屋でカーテンを閉め、長〜いこと高熱と悪夢にうなされた。
看護婦さんも何かしら怖い、
隣の患者さんもみーんなみーんな怖いッ!
ものすごいナーバスになってしまっていて、せっかく赤ちゃんが産まれたのに、抱く事も出来ず離ればなれ。喜びより、苦痛が大きくなってしまい、私は硬いベッドで悪夢にうなされ続けた。
早くここから退院した〜い!
の一念が猛烈にわき起こった。
なんか、周りのみんなが私を敵視してる気がするゥ。。。グレイ一色の世界にいるような感覚…。
病院での事はここから先、もう記憶にない。
どうやって理由付けしたのかさえ覚えてないが、「退院したい、ここから!」それだけの一念で、その時、元ダンナにも連絡がうまく取れなくて、シンペイを友人に預けている事情があった事もあり、近所の仲良しママ友の旦那さんにまで連絡して、何で旦那さんかよくわからないが…???
(そうだ!仲良しママには連絡が取れなかった記憶あり、代わりに旦那さんが送り迎えをしていたからだと思う)
無理やり、病院からホンマに一目散に逃げるようにして退院して、タクシーで家に帰った。
その後、うちに帰った後、ぼや〜んとした状態になり、その時点で、大阪の妹が私の世話に来てくれていたのだが、
ご飯を食べてもぼややーん、美味しいもまずいも言わない、たぶんぼやーーーんとしていたんだろう。
そんな私を見て、まず、妹がブチキレタ!
「お姉ちゃん!一体どーゆーつもりなん???なんか言うたらどないなん???」と激怒し始めたのを覚えている。
それから、テレビで、ドラゴンボールゼットがついていて、確か、あの人たち、顔の色が青い肌じゃなかったっけ、目は何となく睨みつけてる感じがあったよね。それを見た時、「怖い怖い怖〜い!」と私は叫んだのだ。
妹は?え、お姉ちゃん、????????
慎平が無邪気に遊んでる様子を見ても、ドラゴンボールゼットの怖い目つきが重なった。
「シンペイが睨みつけているゥゥゥゥゥー!」
TVで歌舞伎のいわゆる睨みを利かした顔が映り、それも私の恐怖を更に引き起こした。
幼稚園の送り迎えはどうにか行っていたが、
園から渡される配布物のプリントが全く読めなくなっていた。長い文でもないのに、同じ文面を何度も何度も上から読みかえし、しかし、頭は全く吸収しなかった。
妹は、もちろん「お姉ちゃん、どないした〜ん?」だ。
夜、探偵ナイトスペシャルがついていて、名前は忘れたがタイプが似てる探偵のタレント……(石田ヤスシさんだったかな?)と、元旦那を間違えて、「○○さん(元ダンナの名前)がTVに出てるゥー」と言い出す始末。
はるかちゃんに母乳をやることにものすごい執着してて、出もしないオッパイをあげるのに、何回も何回もトライして、夜中に何度も起き続けた。
その頃、元夫は出張中だった。
バスが崖から転落事故、たくさんの人が亡くなるニュースがながれて、「○○さんがアレに乗ってるー、死んでるかも〜〜」と思い込んで騒いだ。
やっと帰ってきた元夫には、
「ね、はるかちゃん、、、可愛いでしょォォ〜ォ??? どこにも連れて行かないでね〜〜〜。おねがい、私から離したらイヤやで……」と、はるかのチンとしたちっこいちっこい足をいじくりながら、元旦那に気弱に話しかけたりした。
…このままだと精神病院に送られるかもという恐怖が私の心の中にわずかながらでもあったということです。
その後、たぶん、夜中に包丁を持ち出した事件があったかもと予想される。。。けれど、そこはあんまり覚えてない…わからない。
それで、妹は、「これは尋常じゃない!」とやっと悟ったらしく、近くの私の信頼できる知人に電話して急遽来てもらい、事情を説明して、どうしたら良いのでしょう???と、
(はるかを抱いてどろーんとしてる私の様子を伺いながら) 2人がひそひそと話し込んでた情景を覚えている。
……寝不足が原因になってるに違いないから、早くたくさん寝かせよう、と結が出たようで、
翌日、薬局で睡眠導入剤もどきのを購入。妹は、少し変な私を見ても怒らなくなって、
「お姉ちゃん、母乳はもういいから、はよ寝早よ寝!とにかく!とにかく寝て!」とおだやかに言ってくれるようになり、
そのおかしな間は、私はおそらく3日間ぐらいかなと感じていたけれど、近くで様子を見ていた友人は、一週間くらいはあったよと後で聞いた。
はるかちゃんが産まれたのだから、少しは写真はあるけど、そんなにたくさん撮れなかった。
ある日、
はっとして、「ワタシ、元に戻ったわ」と感じ、それを境に、精神はあっちの世界からこっちの世界に戻った瞬間を実感したのを覚えている。
その前に、はるかちゃんが産まれてくるのを待って、庭に植えていたチューリップの花壇の前で撮った写真があるが、それはまだあっちの世界にいた時で、
よく見ると、顔がぼんやりと白くて、太ってる訳ではないのに、元来のワタシの表情をしていないのがまざまざと映っていて、ホントにおかしかったことが解る明白な一枚だと思っている。
先日、「寝れる事はすばらしい!」と(→ココ!)とアップしたばかりですが、、わたしはもう既に、その時に体験済みでした。ここしばらく、すっかり忘れていて、あの記事を書いた事で、まざまざと思い出した次第です。
後になってから、「アレは産後鬱というやつちゃうのかな?」と言うのが妹の言葉でした。
私は自分が、今はちょっとおかしいという事もぼんやりとわかっていて、元に戻った瞬間までわかったのだから、
その時は、心からよかったー!
ひいいいいいいい〜、はるかちゃあーーん!、戻れてよかったァァ〜〜〜と産まれたばかりのはるかちゃんを抱いて思いました。
この事も、あの事も、今の状況も、なんでなん?と言いたくなるが、どうにもなりません。
過去は過去。
はるかたんは、がっちりタイプなのでした〜〜笑)
あの時、よかったよー、元に戻れて!と嬉し涙のワタシだったのに。 やっぱり なみだ
人間の脳神経は、いかにデリケートという事でしょうか、今から思うと不思議な体験でした。
これも睡眠不足が引き金となっていました。
気をつけましょう、睡眠不足。
「はるかの絵の本」できました。こちらです