日本人とmailでも電話でもやり取りの始めに、
当たり前に(大人男性に多いかな…?)

「お疲れさま(です)」を使う事が多いなと思うことがあった。

仕事の後とか、疲れてる時だってあるけど、
休みの日やらのんびりしてる時など、別に疲れてない時でさえも、それは関係なく、
日本では、相手の人に対して、
何かしら疲れているであろう〜という状況が設定されているのかと思える。
私は、疲れてない時にいただく、この決まり言葉から始まる日本人の挨拶にかなりの違和感を覚えていた。

きっとよく言う、日本人独特の思いやりの気持ちから発しているのだろうけれど、
なんで、相手は疲れていると勝手に設定されてるのだろうか?
皆んな、そんなに仕事、家事、その他諸々の事が当たり前にしんどい事なのか?不思議に思う。

仕事は疲れるだけでなく、収入に繋がる事であるし、人との関わり会い、そして仕事の中身に充実を、感じているひともいるかもしれない、また、家事を面倒だと思うだけでなく、とっても楽しんでいる主婦だっているはず。



そして、一方、英語では、会話の始めはたいてい、「元気にしてる?最近どう?」とかで明る〜く始まり、答えはたいてい、「元気だよ、調子いいよ、君は〜?」となることがほぼ定番だ。

相手が疲れているのが大前提の日本と、元気だよね?が前提の英語の挨拶パターン。
これは、別に深く考えなくてもよいような、どうでもよいトピックかもしれないけれど、
考え方・モノの捉え方にものすごい違いがあるような気がする。


他にも、

私は大阪の都会のど真ん中に住んでいて、マンションもかなりの人数の居住者が住んでいる。私は愛想は悪い方ではないけれど、こんなとこに住んでいて、全く知らない人に挨拶する気はあんまり起こらない。けれど、廊下ですれ違う時、おはようございます、とかいう人がいらっしゃったり、

エレベーターでは、複数人が一緒に乗ったとして、先の階の人が降りる時、エレベーターのドアの閉めるボタンを自分が出て行った最後まで押して(ご丁寧に!)そして、それが夕方、夜の場合は、「おやすみなさい〜」とか、見ず知らずの同乗者にご挨拶までしてエレベーターの箱から去って行って下さる。

一方、私には、そんな気持ちがさらさらなくて、こんな大都会のマンションの知らない人同士、ちょっとこの丁寧過ぎる?マナーに戸惑いを感じていた。しかし、こーゆーご丁寧なマナーの良さが日本の美徳となっているのだろう。

マンションには、色んな国からの外国人も住んでいるのだが、何と!驚く事に、その外国人達も、最後自分の身体がエレベーターから出る時に閉めるボタンを押して、中の人にお休みなさい〜と言ってから降りてゆく人もいるのだ。

凄すぎ、慣れすぎ、なじみすぎ〜〜〜!

私よりずっとずっと日本人ぽいやん…



挨拶、マナー、日本はとてもていねい。

(何が言いたいのかよくわからなくなってきました、、、)

そこが世界で最も誇るべき日本の美徳なんだろうけど、その当たり前の挨拶の言葉に、ココロが備わっているかというとどうなんかなぁ、、、
と感じる事もある。

私もそうしたほうがいいのだろうが…
先に降りるとき、残ったひとのために閉めるボタンを押してあげるその作業、たまにはする時もあるけど、実はあんまりしていない。…心が伴ってないからか???


だけどさ〜
駐輪場の私の自転車のかごには、しょっちゅう、空きカンやゴミが放り込まれてるぞ!


 気にくわ〜〜〜ん!







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こりゃなんだ???カワウソ?フェレット?よくわかりません。