昨日8月4日は、私の息子殿と、こないだまでおった心友・チオちゃんの誕生日である。
歳はぐーんと離れているが、なぜか同じ誕生日。そして、彼らは、同じ持病を持っていた。それも偶然…。
ちなみに…私の元亭主の歳と、チオちゃんの元亭主の歳も同じで、性格、印象もほぼほぼ同じタイプであった。一見ものすご〜く温和で、言葉ものごしはやわらかく、、実は中身は薄く…長年暮らして、やっと解って、芯はすかんぽんと私は判断して離婚した。
離婚したあとしばらくして、私達(チオとワタシ)が、ほぼ同時期にお付き合いした相棒?の年齢もまた同じで、電話で話したかぎりでは、今度は前回の奴と違って、又々、ほぼ同じようなタイプで、とても良い人で、信じられないくらい超ポジティブでかなり珍しいタイプだった。それで、2人して「今度こそは大切にしよ〜な〜〜♡♡♡」と言っていたのだけど……しばらくして、またまた、二組とも破局になった。笑
私達は昔から趣味もとても似ていたし、とても波長があっていた。男の好み・そこまではわからないながら、あまりにも偶然な数字が多いよなぁと、お互いに、以前から思っていた。
息子には、「お誕生日おめでとう〜」と昨日、電話をかけた。
一方、チオの声はもう聴けない。
アイツは最近私を泣かしてばっかり。
罪深い
ついこないだまでは、苦しむ私の背中をさすってくれ、時にしずかに見守り、ものすごい距離を越えてたくさんの時間を過ごし、心をひとつにするようにお互いに支え合って生きていたというのに。
これはなんという仕打ちなんだろう。
こんな傷心の私を、更に痛めつけるなんて、許せないよ。
チオよ、お誕生日おめでとう。
「ババアになっても、おしゃれしてQちゃんとずっとこうして過ごそうね〜♡」とチオちゃんは言っていたのに
それなのに、嘘をついた。
電話をかけてもチオちゃんは出てくれなくなった。
代わりに、
今日は、チオちゃんの遺した数少ない俳句を、
ここに載せることにする。
彼女の存在はなくなったけれど、身体でなく、まごころのチオちゃんがこの世に生きて存在し、たくさんの人を癒して生きてきたことを忘れないために。
この作業は、死者のためでなく、
生きなければならない私のため。
なす術のない、ある意味、弔いのひとつである。
・五十歳越え「初心者です」と新たなる意慾をもちて歌を作らんとす
・目の見えぬあの男性(ヒト)いつもホームに立つ誰か気がつき我が声かけそびれる
・がんばってと心でいって目の見えぬ人を見送る朝のパペロン駅
・十七の娘が「もうこれ以上年をとりたくない」というなり
・月の暈こぼれこぼれて金粉の泪にまじり風吹くままに
娘・ノノちゃん画 チオの雰囲気がうまく漂っている。ノノちゃんウマイ!
嗚呼、嗚呼、嗚呼〜、チオちゃ〜〜〜ん‼️
「おつかれさまでした。」
二十歳から長い海外生活、ホントに長いことがんばったんだよね、って、しかたないから、言ってあげる。ショウコより♡♡♡♡
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