私の家は父親がいなくて、母と2つ違いの妹ととの三人家族だった。
私が大学生の時、アキという猫が家族に仲間入りした。
家の中がいっぺんに楽しくなった。
アキを中心に家庭の中に笑い声がふえた。
アキはどちらかといえば家ネコで、そんなに長時間外出することはなかったのに、ある夜、ふいっと出かけたまま、朝まで帰らないことがあった。
私達はひと晩帰ってこないアキのことをとても心配した。
アキは朝帰りした。
私はアキに向かって少し怒った。
「もう、アキッ、心配してんで!」と言って、お尻をペシッと叩いたら、ポワッと埃が出たのを覚えている。
カーテンをそろっと開けて外を見ると、柄の悪そうなブサイクな猫が、我が家の前、道路の向こう側からこっちの方をじっと見て座っていた。
それを見て、はは~ん、さては、あいつとやってきたんやな。アキもそろそろお年頃やもんなと思った。
それから急いで、猫の飼い方の本を読んでみると、猫は懐妊後約63日前後で出産と書いてあり、、、カレンダーとにらめっこしていたら、アキのお腹はどんどん大きくなり、
なんと、その日後ぴったりに仔猫が産まれた。
その日、アキはうんうん苦しそうにして、もしかしたら今夜産まれるかも?という日、その日に限って、母が同窓会とかで割と長く外出していた。
私達は少しハラハラしながらアキの様子をみ守るしかなかった。
普通ネコが出産するときは、どこか人目のつかないところに行って、静かに出産すると人の話しで聞いたことがあったが、
それなのに、アキは重たい身体を引きずりながら、なんと!帰ってきてない母の布団に潜り込んでいる…。
アキの飼い主はワタシと思っていたので…
少しだけショックだったけど、、、
それどころではない!
母の布団で産み落としたら、布団が大変なことになるやんか!
そう思い、私の部屋に、バスタオルを厚めに敷いて、洗面器、タオル等を用意した。
うーんうーんうーん…なかなか赤ちゃんは出てこない。もう、夜も11時も過ぎていた頃だったろうか、
母が帰ってきた。母はかなりお疲れと見えて、少しアキにねぎらいの言葉をかけて(推測)、そのまま寝入った。
アキは母の顔を見てから、、、
やっと安心したのか、、、
ゆっくりゆっくりと、赤ちゃんを産み始めた。
あそこからぬるっとした膜に包まれた仔猫が押し出された。
1匹目は、産むのに15分かかった。
2匹、3匹、4匹、5匹。もう最後の方は30分ぐらいかかった。
アキの表情は、徐々に「くるしい、くるしい、たすけて…」って目で訴えかけていた。
最後の方はアキはもうヘトヘトで、どうやったのかはもう覚えてないが、私も仔猫を出すのを手伝ったように思う。
産んだ後も、アキはぐったりしていたので、
そこらへんのハサミをライターであぶって消毒して、へその緒も私が切った。ぬるぬる(羊膜?)をはがすのも手伝ったかもしれない。よくは覚えていない。
私だって、まだ娘さんだったのだ。
初めての体験、立ち合い出産?私はアキの産婆さん。
アキは女王さまだったのに、私の母の帰りをずっと待ってからでないと産まなかったこと。
「お願い…たすけて…苦しい…」と涙目で訴えかけ、私が手伝うことを受け入れてくれたこと、初めての出産というメスにとって一生の大仕事に私も参加させてもらったことは、今思い出すだけでもかなり感動的な経験だった。
子猫は5匹。
赤ちゃんの猫はほんとうに可愛かった。
三人家族の寂しい家の中に、うごめく宝ものがあるようだった。
アキはその子猫を口に加えて、2階から1階へと階段を上り下りする。しかし、階段の途中で子猫を落とすこともしばしばだった!!! コツンコツンコツンコツン‼️ そのたびに、もしや死んだのではと何度も冷や冷やしたが、なぜか、5匹とも何度も落とされつつも、とりあえずすくすくと育っていった。
ひと月ほどして、安心してから、少しずつ貰い手を探して、5匹の内の4匹は、近所の人と大学の友人に貰い手が決まった。
私達は、鍵形に曲がった尻尾のブサイクなオス猫を1匹残した。
それが前回書いた「石松」です。
アキと石松の話し、また、ゆるゆると思い出して書きます。
「はるかの絵の本」できました。