こんばんは、お久しぶりです^^

 

今日はとても真面目な内容で長文になると思いますので、先にお伝えしておきます。。。

今から話すことは本当に、あくまでも素朴な、私の考えなので、「アンチ○○」のようなことを訴えたいわけではありません。

しかし反論したくなる方もいらっしゃるかもしれません。

でもそれを覚悟で、それを予想した上で、それでも書きたいと思います。

そして、当事者でもないので誤解を招く言い方をしてしまうかもしれません。

しかし勢いではなく、最大限冷静に言葉を選んで、落ち着いた状態で書いているということをお伝えしておきます。

 

 

 

 

日米だけでなく、全世界で大きく取り上げられている、”オバマ米大統領の広島訪問”

この行為に対しては多くの賛否両論が。

でも賛否両論が出ることは、誰もが予想していたことだと思います。

国を超えた課題、全世界にとっての課題であり、関わっている内容(戦争)や、もの(核)が

大きく重い存在であるから、それはそうだと思います。

簡単に扱うことはできなく、本当に本当に本当にとても難しい。

 

でも私はオバマさんの訪問や演説、その前後の報道を通じて感じていたことがありました。

 

「謝罪」「原爆投下の正当性の追究」

 

引っかかる言葉でした。(今も引っかかっている言葉です)

反論覚悟で言います。

「謝罪」が重要なのか?

原爆投下という行為が正しかったかどうかの答えを出すことは大事か?

人の命に関わる問題であるから、これらのことを気にする人がゼロではないのは

最もです。

 

でも、

謝罪したからどうこう、謝罪しなかったからどうこう、

原爆投下はこういう理由で正しかった、こういう理由で正しくなかった

最も重視すべきことはこのようなことか?

焦点を当てるのは本当にこれらの点か?

と思うのです。

これらのことを考えることが、良いか悪いかではありません。

これらが議論・話題の中心(又は議論の中心になりがち)になっているのではないかと感じているのです。

それは、メディアやメディアの近くにいる発言者・情報発信者の声によって(骨組みは)作られたかもしれません。

でも、

 

今回の訪問を通して本当に扱うべき点はもっと単純なもので、でも重くて難しいもの、ではないか。

 

誰が悪い、誰が正しい、この国が悪い、この国が正しい、謝罪しろ、

訪問は謝罪行為と同じだ、うちは被害者、そっちは加害者、、、、、

 

議論の的は、もうそこではないのではないか。

いくつか出てくる議論の一つにはなる。でも”的”にはならないのではないか。

 

原爆で亡くなった方々は、亡くなったのだから、もうここには”いない”のです。

オバマさんが原爆投下をした当事者では”ない”のです。

”いま””ある”のは「原爆投下後の広島」の「姿(原爆ドーム)」と「原爆は恐ろしい」

という「事実」です。

この「姿」は不変のものでずっと残り、言葉なしに原爆”そのもの”についてを語ります。

そして「原爆は恐ろしい」という「事実」は確実に全世界の人々の共通認識であるはずです。

 

TVや新聞でオバマさんと被爆者の方が抱き合っているのを見た時、

「原爆は恐ろしい」「目指すのは核兵器なき世界」

という2つの思いを共有していると強く感じました。

そしてまた、そこには善悪といったような、どちらが正しい悪い、の概念は

存在していなかったと感じます。

これが今回の訪問で大事であったと私は考えます。

メディア含め、日米関係なく、より多くの方々がそう感じていることを願います。

 

過去に起きたことを忘れないことは、私たちが必ずしていくべきことです。

でも、その際の善悪や加害者被害者の問題にあまりに捉われてはいけない(と私は考えます)。

原爆はこういうものだ、という事実を決して忘れないことが必要で、

二度と繰り返さないことが重要です。

重要視する点がズレて、本質や本来の目的を見失っては、今回の訪問も水の泡と

なるのではないでしょうか。

”いま””これから”どうするか、が私たちが一番に注力して考えていくべきことで

国を超えての動きが必要だと思います。

過去に起きたことによって過去に捉われるのではなく、過去を許して受け止めることに

つなげることが必要です。

受け入れる、とは違います。受け入れるのは、もしかしたらずっと出来ないかもしれない。

”許し”というと、「そんな簡単な行為で片づけられない/そんな簡単な行為で片付くのか?」

などの意見がおそらく出ます。

しかし、”許す”という行為は単純な行為だけど、”これから”すべきことの為に

背中を押してくれたり、”次”に導いてくれたりする力を持っているものだと私は思います。

どんなことに対してであれ、”許す”ことは良いことを生み、つなげます。

 

誰が悪い、誰が正しい、この国が悪い、この国が正しい、謝罪しろ、

訪問は謝罪行為と同じだ、うちは被害者、そっちは加害者、、、、、

 

上記のようなことが議論の中心になったり、これらに対する答えを出すことが目的に

なっては、原爆は言うまでもなく、核兵器なき世界など目指せないのではないでしょうか。

善悪や白黒といったはっきりとしたもの(又はその答えを求めること)は時に足踏みをさせて

留まらせてしまいます。

憎しみや不満は、新たな憎しみや不満しか生みません。

 

オバマさんにとって訪問の目的は、これから目指す世界と果たすべき目的を全世界に明確に示す為だったのではないでしょうか。

だから白黒はっきりとした意見を仰ることなく、中立性を維持していたと私は考えます。

 

 

原爆をはじめ核兵器は恐ろしい、という「事実」を忘れず、許すことを通して、

”これから”目指すべき世界や果たすべき目的の為に、世界が動いていくことを願って、

今日は私の考えを書かせて頂きました。

 

便利なものや「良いもの」は、私たち次第で更に便利になったり良くなったり、

逆に史上最悪のものにもなったりすると思います。

核兵器に限らず、IoTのように、ネットというものも核兵器と同じ二面性を持つと感じます。

パスワードは自分や自分の情報を守る「良いもの」ではあるけれど、時には悪用されて

自分を危険にさらしてしまい悪いものにもなる。

良くするのも悪くするのも人間。

このことはこの先の世界の発展を考えると尚更、ずっと忘れないでいたいと思います。

 

この文章がどれだけの方の目に留まるのかは本当に全く分かりません。

私がただの普通の大学生だからです。

でもだからこそこんなに自由に自分の考えを書けていると思います。

気分を害してしまった方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。

私の考えに共感しない方も勿論いらっしゃると思いますし、私の拙い文章や

誤解の生む言い方も原因となる場合もあると思います。

私は日米の善悪については一切触れません。

しかし亡くなった方を悼むことは大切、必要と感じます。

 

 

そしてこの先の世界が平和となることを願います。

 

 

 

 

最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。